六/予言(警告)

 カラオケの大部屋に集まった面々は皆沈痛な空気に包まれていた。数は昨日より少なく和久田と西門を合せて総勢十三人。ゴールデンウィークの昼間に人を集めようとしても無理な相談だった。頭数の少なさが余計に場の雰囲気を重苦しくさせた。

 中学から八木と付き合っているという女子がさめざめと泣くのを小澤が慰めている。和久田は集まった顔ぶれをそれとなく見回して、あの灰色のパーカーを着た姿のないことを確かめた。しかしそれを確かめ終えてから、自分があの美羽なる人物の顔を見ていないことを思い出した。

 とくべつ背丈があるでもなかったし、これでは見つけようがない。ただ思い返してみれば、ただ一点、フードからややはみ出た長い髪がまっすぐとして射干玉の黒を呈していたことだけは、頭に浮かんだ。

「それで、劉を攫ってったのはどういう奴だった」

 時が言うと、その場に居合わせていた者の内こうしてカラオケに来た五人はマリヤの出で立ちを挙げていったが、それから異口同音に「あんなのは人間じゃない」と繰り返した。

「目と髪が白いんだが、人間の白じゃなかった。カラコンならまだしも、髪はあんな修正液みたいな色になるはずがない」

「劉の首根っこを掴んでひと跳びで二十メートルは跳んだ」

「腕が溶けて霧状になった」

「つまりなんだ」

 と、時。

「パルタイはやっぱり人間じゃないって? 仮面ライダーかよ」

 吐き捨てるように言う。だが、決して馬鹿にする色はなく、むしろ彼の目には怒りが浮かんでいた。

「写真は撮ったりしてないよな」

「間に合わなかった」

「やっぱり証言だけか、痛いな」

「こんだけの人数行ってゆすればもっと人動かしてもらえそうじゃない?」

「馬鹿お前証言なんて一番信用ならない証拠なんだよ、口約束みたいなもんだ」

「お役所だもんね」

 はは、と一人が軽薄な調子で笑うと、歔欷の声を漏らしていた女子、名前は久保といったが、彼女が、

「何笑ってんの?」

 と一転、今にも噛みつかんばかりの調子で半笑いの連中に吠える。時もこれにばかりは「まあまあ」と言って宥めることもなかった。

 西門がトイレに行くといって個室を出ると、隣にいた和久田に自然と視線が集まる。

「助っ人の徹は何かないか、その、パルタイについて。白いのは見たことあるか?」

「いや」

 そこまで言って、いや白い髪というなら見たことがないではない、と思い至る。言葉が詰まった。あの白銀の髪持つ《黒兎》……彼のよく知る少女が変化する異形もまた、白い髪を持っていたはずだ。

「なに、なんか知ってんの?」

「白い髪の奴ならあるんだが、もっと長かったし、目は赤かった。別人だと思う」

「は? 意味わかんない」

 それきり久保は口を鎖してしまった。

 その時のことである。和久田は、酸が金属を溶かした時に浮かぶ無数の泡沫あぶくの幾重にも重なって形作られるさざ波の気配と、粘性を持った霧の粒子の一つ一つがぴたりとはりつき広がって皮膚全体が覆われる感覚を感じ取った。この町に巣食う怪人パルタイの、その顕現の気配……それも、二種類。

 首筋の毛が逆立つのを感じた。和久田は簡単にことわりを入れ個室から出ると超常の気配の方さして走りだす。中心点はカラオケボックスの内部、それも西門が向かったのと同じ方向にあった。彼は二つの気配の内一つを感じたことがあった。名をドミトリという。橙色に光る文字を操るパルタイで、高校の敷地丸ごとを覆う結界を張り、紫のパルタイ・ニールスを遠隔移動テレポートさせる。あくまで他のパルタイの手助けをする性分であるようだった。もしかすると今回は。

 角を曲がる。そしてすぐ目の前には……

「光生!」

 角を曲がって手前には向こうに背を向けた西門がいて、その足元、つま先のすぐ前では何か橙色のものが光っていた。その光が消えると共に肌にはりつく粘ついた超常の気配は消え去り、あとには二人が残された。

 西門は真後ろで聞こえた声に少しばかり反応を示したが、それはあくまで少しばかりであって、ただ振り返ろうとしてそれを思いとどまるように動きを止めただけだった。

「光生。大丈夫か」

 西門はゆっくりと振り返った。和久田は問う形で確認をとった。

「パルタイだよな」

「ああ」

「橙色の方は」

「見覚えがある。紫の、ニールスが出てきた文字と同じだ」

 西門はややほっとしたような顔をしたが、しかし、すぐに痛ましい表情を取り戻した。

「今マリヤに会った。顔も服も覚えた。背格好も。大体おれと同じくらいだった。それで」

 和久田は何も言わなかった。西門はややためらい、そして体を小刻みに震わせながら、超常存在からのことづけを目の前の友人に伝えた。

「おれを狙うのは、一番最後だとさ」

 和久田は何も言わなかった。言わなかったが、しかし、その時一つの気付きと疑問を得た。それまで彼は自分の有する怪人の力とその詳細を漏らすことなくいかに立ち回るかを主に考えていたのだが、そこに一つが加わった。

 この高等学校時代のフランツ・カフカに似た友人は、どうやら悲しんでいるのではなく、怯えているらしい。しかし、何故?

 和久田が知る限り西門光生はおよそ私人間の調停に極めて優れた才覚を有する。パトカーが常駐しているような中学の生徒会長になって校内環境を大幅に改善するという人間離れした実績もあった。それこそ他人から恨まれるなど、少なくとも校外から彼にかかわって来た和久田には考えられないことだった。それでいて本人は明らかに狙われる憶えがあるらしい。

 一体、西門光生は過去に何をした?

 そこまで考えて、いや、と思い返すことがあった。和久田はもう一度西門を注視すると、彼はひどく汗をかいているのみならず、瞳の焦点が合わずに、また呼吸さえもどこか覚束なくなっているように見えた。

 この半月ですっかり超常の持つ独特の気配に慣れた和久田も、最初は複数のパルタイの気配にあてられてひどく神経を昂らせ、挙句昏倒さえした。西門は一度取り憑かれているだけで、超常をその身に組み込んだ和久田とはまるで違う。

 過去の罪を指弾されるのみならず、その心身をひどく揺さぶられて、西門は今や前後不覚一歩手前という状態まで追い詰められていた。とりあえずとドリンクバーで水を二杯注いできて飲ませ、二人は個室に戻った。


 西門はパルタイのテレポーテーションについてその集まりの中で最後まで話さなかった。他の連中は脚の骨が折れようといいと思っているのか? 邪推したが、超常の気配にあてられて体調を崩していたとはいえ、西門が足下も半ばおぼつかなくなるほど何かに怯えるなど、それこそ尋常のことではない。

 和久田としても、もしここでドミトリ、橙色のパルタイの力による移動や封鎖の話を持ち出すと、話がこじれてしまうのではないかという不安があった。西門の反応を見るにつけ、やはりフェルミを平然と受け入れてしまった自分の価値観が他と大分ずれているらしいことが和久田にもわかってきたのである。何故和久田があの軽々しく他人の領域に土足で踏み込みながら融和できる異人の血を引くと自称する怪人に、それも最初に己の青髪の異形を見せつけられていながら、違和も嫌悪もなくひと月以上にわたって接し続けてこられたのか、自分にもわからない。和久田が言えることといったら、ただなんとなくという程度で、それ以上は偶然か、あるいは和久田が暗に彼女に惹かれ続けていたとか、取り繕ったような理由を挙げるより外ない。

 フェルミ……フェルミはどうするだろう? パルタイ本来の業務であろうし、静観しているだろうか? 一度頭に浮かぶと、次々あの童女にまつわる思考が湧いてきた。フェルミ瑠美という偽名でもって高校に通うパルタイの住まいは、和久田家の隣のアパートの一室である。集まりがまたも解散すると、一人になった和久田は自宅へと向かった。

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