ⅲ Logia/事件.三日目

七/パルタイ

 八木はマンションの一室に監禁されていた。何階であるかはわからないが、八木の感覚ではそう高いものではない。武蔵小杉に林立するタワーマンションの類ではなく、もう少しこじんまりとした比較的低いものであろう。

 窓は段ボールとガムテープでふさがれて、隣室への出入り口の傍にスイッチのある簡単な照明は消されていたため、時たま男がやって来て電気を点ける以外部屋にはほとんど灯りが存在しなかった。

 彼が台の上に乗せられた膝とくるぶしの間に鉄塊を落とされて脚を砕かれ閑静な住宅街のゴミ捨て場に放置された時は既に日が高く昇っており、家の近所を散歩していた老人に発見されるまでの数時間人通りは全くなかったという。そして彼を痛めつけた相手は、やはり白い目と髪をしたパンク・スタイルの男であった。それも生気の感じられない無機質な白、ちょうど修正液のような白色を呈していた。

 次の朝には直と朱音が別の住宅街のゴミ捨て場で発見された。頬骨から鼻を通って反対側の頬骨まで皮と肉を抉りとるような真一文字の傷を負った朱音に対して、直は無傷である。どちらも両手両足を縛って簀巻きにされており、発見したのはごみ出しに来た近隣住民だった。

 美人で通っていた朱音の顔を横断する惨たらしい切り傷に一同は義憤を募らせる一方、どこを探しても傷一つない直を、怪しむではないにせよ警戒するところがあった。とりわけ西門はなにか恐れてさえいるような様子があったし、和久田も身構えていた。

 思い出すのは体内に入り込み支配権を奪う紫のパルタイである。目を覚ました途端、集まった面々に襲いかかるのではないか。

 和久田は携帯電話を取り出し、さも着信がかかってきた風を装った。

「フェルミからだ」と言ってその場を離れる。

「フェルミ、今どこにいる」

『ハイ今家ですけど』

「ザインが必要になるかもしれない、準備お願いできるか」超常の力であるザイン……パルタイの因子と人間の因子の相の子……の管理はパルタイに一任されていた。

『はい?』

「マリヤ、パルタイの一人に誘拐された奴が病院に運ばれたんだが、二人とも意識がない。目が覚めた時何が起こるか……」

『ああ大丈夫ですよ、マリヤでしょう? 人の体に潜り込めるのはニールスくらいですから』

 安堵する和久田に、意地の悪そうに笑ってこの女生徒は言った。

『それにザインなんて、武藤さんがいるでもないのに使えないでしょう?』

 実際その通りだった。和久田が持つ《鎧》、ザインは、あくまでも人の意志ではなく願いで駆動する。義憤や善意ではなく、ましてや上辺だけの意志では足りない。ザインを発動させるのは、自己そのものであり、同時に自己という全存在Seiendesをも全焼させるような、己を内側から焼き尽くす己自身とでもいうべき願いである。そしてその和久田の願いとは外でもない、昨日小西と谷村が言及していた「武藤」を自らの手で殺すことなのだ。

 武藤というのはクラスで彼の隣の席を占めている女生徒の姓である。名を陽子という。あらゆるパルタイとその産物に問答無用の死を与える爪を備えた手甲と、トゥシューズに似た黒い靴と細身の礼服、白銀の長髪と赤目の《黒兎》への変身能力を有するが、理由なくして超常殺しの力を手に入れたのではなかった。超常《ビオス》の一人が、彼女の無二の友人と契約を交わし、末期癌で余命の短いその友人の魂を奪い去っていった。そのビオスを殺すべく武藤もまた別のビオスとの契約によって先の力をその身に宿すこととなったのである。

 以来彼女は何があってもその身に傷一つつかない。突き立てられた刃は皮膚を咲く直前で動きを止め、頭から地面に落ちても空間の歪みにより着地するときには両足が地面にぴたりと着いてしまう。死ねない体になった武藤を殺すには、願いを叶えることで「仇を捉えるまでの間何があっても死なないように」と保険として掛けられたビオスの呪いを解くよりほかない。

 昨日ドイツ部の説明会の席で谷村が言ったことを覚えている。二人が来ていないか調べる、色白の「武藤」なる人物がいると。間違いなく和久田の知る人物だろう。

 ビオスによく似たパルタイを通じて、パルタイの「インテリジェンス」であるビオスに至ろうとする彼女の計画は今も継続しているらしい。本来戸籍を持たないフェルミに瑠美の名を与え学生として高校に編入せしめ、住宅の手配等を行っているのも、このインテリジェンスことビオスの誰かであると考えられた。

 和久田がかつてザインを起動したとき、彼は武藤を前にして法悦と情慾の炎にその身全てを焼き焦がしながら、かつて憧れた英雄に似て非なる鎧を纏った。だが結局それ以来彼は一度もザインの鎧を身に纏っていない。その必要がなかったのと、展開しようにもできなかったことが理由だった。前に記した通り和久田が身に宿す鎧は、己の存在のすべてを懸けて起動する。その全焼の感覚を得ることが、最初の一度を除いてどうしてもできなかったのである。

 事実、誰よりも無謬にして一つの秩序調和の下にある武藤に仕え、同時に彼女に先んじて超常を狩るという現場でなければ運用できないだろうこの武装には、《鎧》を作ったフェルミも頭を抱え、もう一つ自動的に起動する条件をプログラムに組み込んでいた……と、そこで和久田は、全身の皮膚感覚を張り詰めさせる無数の泡沫ほうまつさざなみを感じて身構えた。

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