四/警察署

 説明会の会場を後にして昇降口に出ると、門を通って西門がこちらに向かってくるのが見えた。和久田を見つけるとまっすぐ速足で近付いてくる。和久田は彼の表情に険しい色を感じ取った。

「フェルミごめん、西門が何か用があるみたいだから、先一人で行っててくれ」

「ふうん? 二人きりの用事で?」

「ああ」

 靴を履き替え、あくまで呑気な調子で昇降口を通って西門に手を振りながら、フェルミはスキップで駐輪場へと向かった。

 入れ違いで西門が入ってくる。一応学校に来るということで詰襟を羽織ってきたようだが、その下は明らかにTシャツ一枚だった。似つかわしくない朱色が隙間から覗いている。

「また何か動いたのか」

「劉が攫われた」

「劉!」

 これまで連絡の取れなくなった三人とは違い、劉は二人の共通の知人だった。名は浩然という。しかし「消えた」でも「連絡がつかなくなった」でもなく、「攫われた」とは?

「攫われたって何だ、誰か見てたのか」

「カラオケ帰りの男子連中の目の前でとっ捕まった」

 朝五時に集合して十一時までカラオケに入りびたり、さあ昼飯だと外に出た途端のことだった。突然現れた黒い影、白い髪と目をしたモヒカン頭の男が七人いた他の生徒の目の前で劉を組み伏せて絞め落とし、飛ぶような跳躍で連れ去ったという。

「その時名前を名乗ったらしい。パルタイの、なんとかいう長い名前だったらしいが、聞き取れたのは最後の、マリヤ、だと」

 マリヤ。その名を和久田は頭の中で反芻した。マリヤ、マリヤ……似たような名前の化学者や物理学者はいただろうか。

 パルタイの名前は恐らく元素名に使用された諸々のサイエンティストからとられているというのが和久田の見立てだった。フェルミは元素番号101番フェルミウムの由来である物理学者エンリコ・フェルミからだろう。しかしマリヤというのは、マリアに通ずるのだろうが、あまりに一般的な名前で、それだけではどうにも判断できない。

「そのマリヤ曰く、これで四人目、だそうだ」

 西門が続けてそう言った。夏のような日差しの射す戸外からの反射光を背に受けて、その顔に暗い影が浮かび上がった。

「多分直も朱音も奴に攫われてる」

 その表情のあまりに悲痛な感じに、和久田は驚かずにはいられなかった。ほとんど泣きそうな顔をしているのである。この数年来の友人のこんな表情を、彼はこれまで見た覚えがなかった。

「どうする、警察でも頼るか」

「それがいい。個人じゃどうにもならないんじゃないかと思う」

 二人は西門の通っていた中学のすぐ近くにある警察署に向かった。そこにはかねてから西門と付き合いのある警官がいて、名を浅井という。

 署内に入ると、「浅井さんなら今出てるからちょっと座って待ってて」と壁際のベンチに案内され、二人して座って彼を待った。二十分ほどしてやって来た浅井はやや肥えた中背で、ぷかぷか煙草をふかしながら西門と和久田をみとめて言った。

「またお前らか。ああ用は言わなくていいぞ、さっきも来たんだよ」

 聞けば昨日集まった面子の何人かがまともな誘拐事件として扱ってほしいと直談判に来たらしい。

「親御さんの方からは全然届出は出てないんだが、一応七人分の証言があるし、そう本当に一応な、実際その四人とは連絡がとれなくなってるのも事実だから、調べてないじゃないってところにはなる」

 西門が応えるようにして言った。

「警察は《パルタイ》についてどうしてます、今」

「上は特に何も言わないんだこれが。今んとこ証言しかパルタイが何かしら、超能力的なアレを使ったって証拠がない。おれも実際見たわけじゃないしな。でも……」

 そこで浅井は和久田の存在に気付いた素振りを見せた。

「隣のそいつ、誰」

「高校の同級生です。校舎のそと出歩いてたせいで一人だけパルタイに勘付かれずに奴らのやってること見れたらしいんですよ」

「へえ、名前は」

「和久田、徹です」

「和久田、和久田ね」

 浅井は言った。

「そのパルタイはどんなだった?」

「全部で……見たのは、四人です。髪と目の色が鮮やかなんですよね。髪は緑だったり青だったり、あとは目が赤とか金とか。皆黒い服で、一人は水兵服、一人は礼服、一人はよく見えなくて、一人はなんか、鎧、みたいなのを着てました」

「鎧? どんな」

「どんなって言われても、見たことない鎧で」

 警官は画像検索でいくつか甲冑の画像を見せてきたが、どれもカフカが身に纏っていたものとは異なっている。

 結局浅井の方もこれといった収穫は無しと見たようで、西門と二言三言話したきり仕事へ戻っていった。いつの間にか三時半を回って四時になろうとしていた。照り付ける太陽の透明な光に焼かれて町中がやや黄みを帯び、空の青さはいやに明るかった。

 明るい鮮やかな空を、目を細めて見ていると、西門が後ろで言った。

「見たんだ、パルタイが人の体に潜り込んでまったく別の形に変身するのを。よく覚えてないけど、おれも体を乗っ取られたらしい」

 それからしばらく重苦しい間があって、すう、と息を吸う音が聞こえた。

「たしかあの時は学校中、敷地全部が奴らの勢力圏になったんだろう。もし今回もパルタイだとしたら」

 それは和久田が初めて耳にした、彼の初めてのパルタイ評であったように思う。一週間と経っていなかったので、和久田も積極的に西門から話を聞こうとは思っていなかったし、西門も踏み込んだ話はしようとはしなかった。

 西門はパルタイに対する恐怖を抱いているようだと和久田はいたって冷静に考えた。和久田はといえば少なくとも命の危険はないのだという安心があったからだろう、むしろどうやって自分の秘密を西門に明かすことなく動こうか考えていたふしがあった。このたっぱのある秀才はパルタイが人間を殺しえないということを知らないのだ。

 と、その時である。署内から浅井が血相を変えてばたばた走って来た。

「今病院から連絡があった」

「病院?」

 声に振り返った和久田はおうむ返しに言ったが、そこで西門がさっと色を変えるのが見えた。

「八木大我、そう大我だったな、彼が両足の、ええ脛骨と腓骨? 脛を複雑骨折する重傷だそうだ」

 一昨日の夜行方知れずになったサッカー少年は、関節と逆の方向に脛をへし折られ、ふくらはぎから骨を飛び出させてゴミ捨て場にうち捨てられたのである。

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