ⅱ Logia/事件.二日目

三/独逸部

 ゴールデンウィーク二日目の昼過ぎ、和久田はフェルミに連れられて休日の高校に来ていた。休日とはいえ学内の活動ということで二人して詰襟とブレザーである。夏服への移行期間にはやや早い暑さで、戸外は額に汗が浮かびそうな高温だった。今二人がいる廊下は建物の東寄りなので日差しは今や入ってきていなかった。

「ここがその部活か」

「はい、ドイツ部」

 言葉通り、部室棟二階の階段に一番近い教室の番号札「201」の下の壁とも窓ともつかない位置に、角ばった書体の丁寧なレタリングで「ドイツ部 入部説明会」と書かれている。そしてその更に脇にはフラクトゥールで同じ内容と思しきドイツ語がある。

「本当にあるんだな」と和久田はひとりごちた。説明会で見たり聞いたりした覚えがあるような気もするが、ろくすっぽ覚えていない。

 彼は視線を「ドイツ部」の紙から左にずらした。

 カッパープレート体を模したらしい優美な書体でもって「フランス部 入部説明会」。

 アラベスク風の装飾で見るからに毛色の違う「スペイン部 入部説明会」。

 鎌と槌のシンボルを五本指の龍が囲むアイコンの下に筆文字で書かれた「中国部 入部説明会」。

「戦争が起きそうなラインナップですね、素晴らしいじゃないですか」

「イタリアがないのはフェルミとしては残念か」

「英語部があればアヘン戦争でひと悶着できるんですが、ええ、そこは残念ですね」

 曰く、元々は生徒の自主的な活動として英語以外の言語、更には他の文化圏を学ぼうとするサークルが出来上がって、そこに学校側が「二十一世紀に向けてより広い視野と知識を持った人材を」云々といった名目で説明会や資料でPRするようになったのだとか。

 跳ねるように進むフェルミに続いて和久田も教室へ入る。

 何故和久田は休日の昼間にこんなことに付き合わされているのか。それは早い話が、彼が巷を騒がす怪人の一人であることに起因する。既に述べたように、《怪人》カフカとは和久田が超常の鎧を身に纏った姿であるのだが、この鎧を与えた力の源泉に、ドイツの哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェの思想が深くかかわっているというのである。彼の提唱する《超人》、人間の上位種を目指すと豪語するパルタイの一人フェルミが、その活動の隠れ蓑として、また教養として、ドイツ部の活動に狙いを定めたために、彼女の力の一端を譲り受けた和久田も同行しているというわけだ。

 閑話休題。

 すぐ目に入るのは縦長の教室の左前方五割弱を占めるスペイン部のブース。その隣、教室左後方にはフランス部、教室後方にやや突き出て右後方四割程度までを占めるのは中国部、そしてその手前、教室入口に一番近い場所に、ちょうど和久田らが目的としていたドイツ部のブースが位置していた。

 新入生と思しき人影はほとんどない。閑古鳥が鳴いている目の前のスペイン部ブースでは、上級生が呑気にペーパーバックを読んでいる。勧誘の時期もだいぶ過ぎてしまっていた。おそらくこのサークル連も多分に漏れず一通り勧誘を済ませていて、今日はあくまで取りこぼしを拾えれば僥倖ということなのだろう。

 フェルミにつられてドイツ部のブースに向かう。机の下で脚を組んで新書を読んでいた焼けた肌の線の細い先輩が顔を上げて「ああようこそようこそいらっしゃい」と甲高い声で言った。隣の銀色の眼鏡をかけたブレザーの先輩が「どうぞその前の椅子適当に座っちゃって」と手で示す先を見ると、机を並べたブースの前に椅子が三つ一列に並んでいる。

「お名前は?」

「和久田徹です」

「フェルミ瑠美っていいます」

「へえ、和久田にフェルミ……ああ君らを探してるって子が一人来てたなあ、ねえ谷村?」

「アア、あの色の白い子。ああ気にしないで気にしないでこっちの話だから」

「有望そうな新人だったよ入ってくれないかな」

 日焼けした方は小西、眼鏡をかけた方は谷村といった。

 ドイツ部の活動は主として火曜・金曜週二回の定期活動と文化祭における企画展示の二つで、定期活動では語学やドイツ語圏の文化、社会、経済、そして哲学、数学、文学、科学といった分野別を含めた諸々の歴史を学ぶべく集まっているらしい。

 正式の入部希望届は五月の十五日、まだまだ時間はあるから次は実際の活動の見学にも来てほしい、歓迎する、云々。

「まあほらね、何かとお洒落な、洒脱なさ、フランス部なんかはケーキにまみれてるけどさ、ドイツ部は比較的、うん、書物にまみれてる感じなんだけどさ」

 小西の言葉を谷村が制して言った。

「クリスマスにはシュトーレン作ったりしないでもないけどね。まあここは何かにつけて食べ物に走るフランス部とかとは違うってことでひとつ」

「聞こえてるぞォ谷村!」

 斜向かいのフランス部ブースから野次が飛んでくる。見れば、やや肉の付いた女生徒が一人でブースを切り盛りしているようだった。

「やかましいわ! 大人しぅ新入生待っとれ!」

「ああん? てめー『世界政策』はどう言い訳するんですかねーっ」

「知るかあんなもんこっちが聞きたいわ!」

 喧々諤々のフランス部部員と小西を見る和久田とフェルミに、こっそりと谷村が囁く。

「仲良いんだよ、二人」

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