scene:01 従者たち(その2)
「くそ、どこに行った!?」
アトロ・パルカの怒声が森の暗闇へ溶けていく。
アトロは
こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。一刻も早く
アトロは自身の内側へ意識を集中させる。
戦闘用に魔導神経へ常駐させていた複数の魔導式を
その他十数の魔導式がもたらす情報が激流のようにアトロの脳髄へ流れ込む。常人なら気絶どころか廃人化しかねない情報量。それらをアトロは、やはり複数起動させた〔
もし王国の魔導士が知れば、自身の非才さを嘆いて自死しかねないほどの魔技。
しかしアトロの胸中には自負も誇りも無く、ただただ焦燥で満たされていた。
ヒロト。
ヒロトを早く見つけ出さなくては。
姉さんの大切なヒロト。
早く。早く早く早く早く――
焦燥が、アトロから冷静さを奪う。
ヒロトを連れ去ったとすれば、あの『門』を指定した王国側の何者かに決まっている。
アイホルト回廊は『門』と『鍵』の組み合わせで動作する。そして『銀鍵』に異常が無いことはケイトが
そう決めつけたアトロは、唐突に笑みを
「見つけたぞ、
居場所さえ
そしてアトロは〔音響制御式〕によって自身が放つ音を消すと〔飛空式〕を起動させ、マリナが潜む場所へと急いだ。
途端、側頭部にピリッとした感覚が走る。
『アトロさぁん、どこにいるんですかぁ?』
『――
念話を飛ばしてきたのはケイトだった。
相変わらずの間延びした言葉遣い。これが歳のせいなら仕方ないとも思えるが、ケイトのそれは相手を油断させる為の“演技”なのだ。それを付き合いの長い相手にまで行うのだから
『
『ちょ、アトロさ――』
返事を待たず、アトロは念話に使っていた魔導神経への魔力供給を強制的に切断する。
普段であれば念話など大した負担では無いが、今はリソースが惜しい。
何しろ、あの
アトロが
この魔導式は、物体が持つ
逆に言えば――僅かな力量しか内包していなくとも、消費する魔力と魔導神経、魔導式の数も変わらないのだ。
その点で
身を守る為、1つ1つに〔力量制御〕を施すならば〔
だが。
来ると
――見えた。
視界に黒いメイド服と赤髪が現れる。都合の良いことに、メイドはこちらに背を向けて足元で何かを
しめた。このまま捕らえてやる。
アトロは魔導神経を圧迫する〔飛空式〕を切って、木陰に身を隠す。
そして湿り気のある腐葉土へ、そっと左手を置いた。
途端、指先から流し込んだ
足下に魔導陣が浮かびあがった事で、ようやく
――が、もう遅い。
圧縮されていた式が瞬時に解凍、実行された。
途端、
地に突っ伏した
まるで、身体そのものが鉛にでも変じたかのように。
アトロが展開した式の名は、重力制御の発展系である〔重力奔流〕。
本来、単一の物体にしか施せない〔重力制御〕を、魔導陣を用いて空間に施す魔導式だ。普段は大量の敵を一気に押しつぶす際に使っているが、魔導陣の展開面を小さくして変数を低くすれば捕縛にも使える。つまり、
アトロは木陰から歩み出ると、新たな魔導式を右手に宿す。
起動させたのは〔自我
欠点は対象の肉体に直接触れて術式を流し込む必要があること。
だが、今なら――
アトロは地面に突っ伏したまま動かない
あと2メルトも無い。
アトロは右手を伸ばし――
――途端、メイドが上体を起こした。
動揺するアトロの額に突きつけられる〔レイルバウ〕の
引き絞られる
放たれる
217の礫がアトロ・パルカの額に殺到し、
「……
その
目を見開く
確かに数百の礫は脅威だ。
対応するには膨大な数の魔導神経を運用しなくてはならない。
そして、先ほどのアトロは処理しきれないと判断し回避を選んだ。
だがそれは、伏兵や
〔魔力感知〕〔動体走査〕〔天眼〕〔視覚共有式〕などを使って周囲に脅威は存在しないと
そうなれば、数百どころか数千の礫であろうとも全てに〔力量制御式〕を
「これで
「――――ッ、」
アトロは〔重力奔流〕の変数を調整し、
そして再び〔自我境壊式〕を
自意識さえ消してしまえば真実しか語れまい。その後は、都合の良い自我を植えつけてスパイにでも仕立て上げてやる。これで決着だ。
――――ふと、
今や
故に
――勝ち誇るには、まだ早うございますよ。
「はんッ、なにを――」
鼻で笑おうとして、アトロは気づく。
――箱の突起を、
途端、耳を
反射的にアトロは〔時間流操作〕と〔知覚拡大〕を行った。
数十倍に加速された意識と五感が捉えたのは、
しかし、その数が圧倒的だった。
無論、今のアトロの魔導神経は充分に余力を残している。数百は
――だが、今アトロの周囲を包み込んでいる鉄球の数は万を超えていた。
浮かんだ思考の答えを求めて、アトロは思わず
違う。
鉄球のほとんどは
つまり鉄球に襲われるのは
この
加速された思考の中でアトロは戦慄する。
――無論、そんな事はなかった。
なにしろ仲村マリナは魔導式に
マリナがアトロの行動から読み取ったのは次の二つ。
『〔力量制御〕は対象の一つ一つに施す必要がある』ことと、
『尋問の為にはこちらへ直に触れる必要がある』ことだけ。
それすら、ダリウスが〔力量制御〕を三方向別々に施していた事からの推測に過ぎない。
だが、そこまで
――相手はこちらを生け捕りにしたい。
――こちらは一人までは殺して良い。
手段が判らなくとも意図が判っていれば、逆手に取るのは
どんな魔導式を使うにしろ最終的にこちらへ近づいてくるのだから、自身を中心にクレイモア地雷を設置するだけで簡単に
仲村マリナの思考は概ねこのようなものであり、ニッポン防衛戦線から幾度も『一人で敵部隊を足止めしろ』という命令を受けてきた彼女としては自然なものだった。
故に、アトロ・パルカが〔重力奔流〕を使用せずとも結果は似たようなもだったはずだ。
しかしアトロに、そんな事情は
――やってくれたな、この化け物が!
アトロは心の中で一度だけ悪態を吐く。
だがそれ以上の
なにしろ万を超える鉄球が迫ってきている。のったりとした動きに見えるが、それはあくまでアトロの思考が加速されているからそう見えるだけのこと。千の罵倒を
しかし、こう囲まれていては、〔時間流操作〕や〔身体強化〕を駆使して避ける事も不可能だ。他の魔導式にしても起動までの時間を考えれば間に合わない。既に起動している〔力量制御式〕を使って迎撃するしかない。幸いアトロが現在使える魔導神経を総動員すれば、鉄球全てに式を施すことも可能だ。
しかし、それは〔重力奔流〕を停止させるという事。
その隙をこの性悪が見逃すはずがない。
――
ひとつだけある。運命を変えられる力は。
されど、それは隠し通さねばならない“力”だ。
確かに“アレ”を使えば自分は助かる。
だが、メイドも逃してしまうだろう。
そうしてこの“力”の存在が露見すれば帝国の――ヒロトの百年の努力が水泡に帰す事になる。
鉄球を迎撃し、
自分の身を守る為に、ヒロトと積み上げた百年を無駄にするか。
……………………――――――――――――――――ッ!
「こんのぉッ!!」
アトロが選んだのは――前者だった。
思考を圧迫する〔重力奔流〕を強制終了。確保した余剰魔導神経を全て〔力量制御〕へ注ぎ込んだ。万を超える鉄球全てから力が
同時、自由になった
再び突きつけられる〔レイルバウ〕の
大丈夫、さっきもやれた。今度も〔力量制御〕で――――――――
――あ、間に合わない。
ヒロト、
「はぁい、そこまでですよぉ~」
◆ ◆ ◆ ◆
マリナが放った散弾は間延びした声に遮られた。
正確には、声と共に現れた白い柱に受け止められたのだ。
突如、マリナとアトロの間を割るように天へ伸びた白く太い柱。
その先端がぐにゃりと鎌首をもたげる。
ぶるりと震えた柱の先端には、
そこでようやくマリナは、地から生えたのが白い柱ではなく、巨大な軟体動物の触手だと気づいた。
まるで――
「
白い触手はその身をくねらせると、目にも止まらぬ早さでマリナの身体に巻きつき縛り上げた。そのままマリナは戦利品が如く、天高く掲げられてしまう。
「まったくもぉ……お
木々の奥から修道服が現れる。
この触手はあの女が生み出したものか。やはり尋常な人物ではなかった。――人が最も気を抜くのは危機が去ったその瞬間。今まで姿を隠していたのはオレが気を抜くのを待っていたのだろう。マリナはこちらを見上げて
対して、アトロは
「助かったケイト、そのままコイツを――っておい!!」
新たに地を割って生えた触手に縛り上げられた。
アトロは怒りも
対するケイトは、
「もぉっ、アトロちゃん落ち着いてください。この人は敵ではありませんよ」
「
「もしかしてぇ、アトロちゃん気づいてないんですかぁ?
この方、
「なに……」
困惑するアトロを見て、ケイトは大きく
「こんな武器、ヒロトさんの世界のものに決まってるじゃないですかぁ。それを無尽蔵に用意できるとしたらぁ~、もう
その契約者である辺境伯を危険に
「――ならば尚のこと、二人して
「熱くなり過ぎて脳みそ溶けちゃったんですかぁ? 辺境伯が貴族どころか陰謀好きなシャルル七世とすら繋がりが無いのは、アトロちゃんがだぁい好きなヒロトさんが作り上げた軍情報部が調べ上げたでしょう? 仮に王政府が仕組んだ事だったとしても、この二人は何も知りませんよ」
アトロの視線がこちらを向き、その
魔導干渉光というやつだろう。何らかの魔導式を使用してこちらが
ケイトは話は済んだとばかりにアトロから視線を外し、イカの腕に掲げられたマリナを見上げる。
「マリナさん、でしたよね? わたくしたちもぉ、この件に関しては何も知りません。証拠はぁ、ここで頭を沸騰させているお馬鹿さんです」
「……私を信用させ、
マリナは必要の無い問いを返す。
既にこの二人が無実だという事はマリナも察していた。『王政府に皇帝が連れ去られた』として戦争を吹っ掛けるならマリナに構う必要はない。それにケイトはともかく、アトロの行動が演技だというなら迫真過ぎる。『きちんと
それでも聞き返したのは、単に相手の言うことを
そんなマリナの心中を見透かしているのか、ケイトはくすくすと笑いを
「そうやって時間を稼ぐとぉ? そんな事をするくらいならぁ、わたくしのカトル様で
ケイトは一切笑みを崩さぬままに、首を
――こういう手合いに意地を張るのは危険過ぎる。
「分かりました、信用します」
拒否など出来ようもない。生殺与奪の権利は文字通り向こうが握っている。
ケイトも分かっているのだろう。わざとらしく破顔して、
「よかったぁ! これで協力し合えますねっ。うちのボケ老人とは大違いです~」
「おい! ボケ老人は
「まったくもぉ、わたくしより年上なのに落ち着き無いんですからぁ」
「黙れ老亀が。今にその厚化粧の下にある
「はぁい、静かにしてくださいね~」
「……、…………ッ!」
アトロの
二人の関係はまるで不出来な妹と、それを
「いいですかぁアトロちゃん。
わたしたちはぁ、仲間割れなんてしてる場合じゃないんです」
「――――、―――――ッ!」
恐らくアトロは『そんな事は分かってる』とでも言っているのだろうが、
ケイトも特に気にせず――というより無視して――話を続ける。
「今の状況はぁ、ヒロトさんを狙った何者かが仕組んだ事には間違いないでしょうし。その目的がどこにあるにしてもぉ……わたくしたちが
ケイトの顔から、初めて
「このまま放っておけば、お二人は魔獣の腹の中です」
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