scene:05 動く死体《アンデッド》
『エリザ、』
マリナから念話が届いたのは、出発予定時間の一刻ほど前だった。
丁度、宿屋での夕食を終え、
エリザは身体の匂いを確かめつつブラウスを羽織り「どうしたの?」と返す。
『そろそろそっちに着くぞ』
「いまどこらへん?」
『ちょっと待て――』誰かに確認するような気配、『ミカーラ山? を越えるとこらしい』
ならば、もうガルメンは目と鼻の先だ。
エリザは少し考え、
「そうしたら町の外で降りて町門まで来てくれる? 迎えに行くから」
『こんな
冗談めいたマリナの言葉に、エリザは思わず吹き出す。
「ふふ、町からは出ないから大丈夫よ。それに万槍もあるし」
『わかった。念話はこのまま
「はーい」
エリザは早速部屋を出ようとして、ふと思い至る。――そうだ、先に皇帝陛下に事情を話しておかないと。変に疑いをかけられても困るし。何ならケイトさんと一緒に馬車で迎えに行って、戻ってきたらそのまま陛下を乗せて『門』へ向かっても良いかもしれない。ガルメンの地図と『門』までの経路は既に暗記しているから、道に迷う心配もない。
エリザは既にまとめていた荷物を肩にかけ、ベッドに寝かせていた万槍を持ち上げる。
万槍をベッドに寝かせていたのは、ファフナーが何度も『我が友』と呼んでいたのが理由だ。壁に立てかけるよりはベッドに寝かせた方が、何となく良い気がした。もちろん単なる感傷でしかないことは、エリザも理解している。
その時、エリザの部屋の扉を誰かが
もしかしたら、ケイトあたりが『出発だ』と呼びに来たのかもしれない。
エリザはそう考えて「はい、どうぞ」と返す。
だが、誰も入ってこようとしない。
再び、扉を
「どうぞー。開いてますよー」
今度は大声で返すが、やはり返ってくるのはノックだけだった。
エリザは首を
仕方ない、とエリザは万槍を持ったまま扉へと向かう。
扉を少し開け、
「はい、どちら様――」
その瞬間だった。
何かの圧力に耐えかねたように、扉が
避ける間もなくエリザは押し倒され、思わず口から「きゃ、」という情けない声が漏れる。
そして扉の下敷きになったエリザは、ノックを繰り返していた者の正体を見た。
それは宿屋の主人だった。今も扉の上からエリザにのしかかっている。
だが先ほどまでの愛想の無い顔は、影も形もない。焦点の合わない
明らかに尋常ではないその姿は――
「
『エリザ、どうした! 何があった!?』
エリザの動揺を感じ取ったらしいマリナからの念話。
だが、エリザに念話へ答える余裕はない。
だがそれでも、エリザには日々の農作業と城と町の往復で鍛えた足腰がある。
エリザは身体を丸めると扉の裏側に足の裏を滑り込ませ、両手を床に着く。
そして息を吸い込み、
「くぅ――――だぁッ!!」
叫び声と共に背筋と両脚を一気に伸ばした。
ぬかるみに
対してエリザは、跳ね飛ばした勢いのまま立ち上がって
だが、
「うそでしょ、」
のたり、のたりと。
壊れた扉から次々と、
途端、エリザは胸が締めつけられるような感覚に眉をひそめる。
部屋に入って来たのは宿屋の主人を除けば五人。恐らく他の宿泊客たちだろう。
――つまり、それだけの人が殺されたという事だ。
〔死霊術式〕は、
そうなってしまっては、たとえ長命人種にしか扱えない
それは、人類種の魔獣化に他ならない。
どうあっても、彼らの未来には暗いものしか残されていないのだ。
とはいえ、今は死者を悼んでいる場合ではない。
エリザは万槍を構えようとし――そこでようやく自身が万槍を取り落としている事に気づく。慌てて見回せば扉近く、
被害者への同情が、死への恐怖へ変わる。
目の前にいる
そんなの無理――
と、
『エリザ! 答えろ、エリザ!!』
「マリナさん、」
思わず期待に声が高くなる。
『一体どうした? 何があった』
「宿屋で
『わかった、すぐ向かう。10分持ちこたえろ』
「10分――、」
そんな
そう言いかけて、エリザは自身の言葉を押さえ込んだ。
これまで、なによりも
確かに、
それに。
人に頼んでおいて、自分は嫌だというのは。
マリナの口振りを
「わかりました。……なんとか、します」
『エリザ? 10分間逃げ続ければいいんだ。余計な色気は出すな』
エリザの覚悟を察したマリナから、制止する念話が届く。
それをエリザは「いいえ」と拒否した。
「出来ません。きっと皇帝陛下も襲われています。助けに行かないと、」
「その必要はない」
――いや、本当に凍りついている。
彼らの全身はうっすらと白い霜に覆われ、ところどころ皮膚を破って内側から氷の柱が立っていた。そんな現象を起こすものは一つしかない。
〔爆裂式〕にも匹敵する混合形成型の魔導式――〔氷結式〕だ。
「大丈夫かい?」
エリザの耳にくたびれた声が届く。
◆ ◆ ◆ ◆
「いやいや、大変なことになったね」
苦笑いを浮かべ、帝国皇帝――ヒロトは青髪を
エリザは
それから皇帝の背後にいる魔導士へも視線を向け、
「アトロさん……でしたよね? 助かりました」
心からの礼。
しかしエリザへ返されたのは、それこそ
「辺境伯、これはどういう事だ?」
言って、アトロという魔導士は〔遠見式〕の窓を開く。
通常なら垂直に立てるそれを水平に寝かせると、遠見の窓からボコボコと、
「見ろ」
魔導士は虚空に浮かんだ小さなガルメンの町を指差し、エリザへ問い詰めるような視線を向ける。
「町中に
「自然に発生したものではない、と?」
「しらばっくれるなッ!」
アトロが自身のマスクを吹き飛ばしかねないほどの怒声を放つ。
「これはお前ら王国貴族の仕業だろう!? そもそもガルメンには優秀な自警団が居るはずだ。なのに全く機能していない! 騎士か魔導士が排除したに決まって――」
「やめろ、アトロ」
ヒロトに肩を
「彼女が仕組んだ事なら
「では愚かな
「……アトロ、いい加減に」
「あのぉ」
二人の口論に割って入るユルい声。
「それよりもぉ、これからどうしますかぁ? アイホルト回廊が閉じるまでは、あと一刻も残ってませんけどぉ……」
「そうだな。それどころじゃなかった」
ヒロトは青髪をボリボリと
「敵さんの狙いは恐らく足止めだ。流石に
「アイホルト回廊へ逃げられては手出し出来ない、ということか」
「そうだ。――回廊を使わずに陸路や海路で王都へ向かっても、今からじゃ一週間後の休戦協定継続会議には間に合わない。それだけで会議を潰せるってわけだ」
陸路と海路が駄目。
それなら、とエリザは口を挟む。
「では、王政府に近衛騎士団の派遣を要請して空路で――」
「いや、それは悪手だ」
そのエリザの意見を、ヒロトはにべもなく
「近衛騎士団は全員が親王派というわけじゃないんだろ? 爵位持ちの騎士が『皇帝一派が王国に
「ですが、我が国の近衛騎士団は――」
「こう言ったらなんだがね。近衛に信用が置けるなら、辺境伯のようなお嬢さんが案内役に派遣されてきたりしないと思うんだが……どうかな?」
エリザには返す言葉もなかった。
口を
「ではどうするヒロト。八方塞がりじゃないか」
「決まってる。いつもと同じだ」
青髪の皇帝は肩をすくめ、やれやれといった体で答える。
「敵さんが一番して欲しくないことをするのが、戦いの基本だろう?
「なるほど」アトロは訳知り顔で呟く。「――強行突破、か」
「ああ。……まったく気は進まないが、それが“セイカイ”だ」
「まあでもぉ、馬車もありますしぃ、何とかなりますよ~」
「
結論は出たとばかりに、三人は凍りつく
エリザもその背中に続こうとして――ふと、アトロが残したままだった立体地図が目に入った。町に存在する全てが事細かに描写された精巧なもの。町に広がりつつある
それは、
路地裏から現れた
惨劇はどこまでも拡大し、自警団を失った町にそれを止める
このままでは、朝を待たずして町の生者は狩り尽くされるだろう。
「あのっ」
気づけば、エリザは皇帝一行の背中を呼び止めていた。
「なにかな? 辺境伯」
「わたしは、残ります」
「――なんだと貴様」
途端、アトロが目を
「貴様やはり、
「いや待て、アトロ」
皇帝はエリザを
「理由をお聞かせ願えるかな辺境伯。事態は一刻を争うというのは理解しているだろう。なのにどうしてここに残るというのかな?」
「――このまま全員で
「まあ、それは間違っちゃいないが、」
鼻白んだようにヒロトはエリザへ問う。
「なら僕らはどうやってアイホルトへ?」
「
「……辺境伯」
何故かため息を
「君の言うことは間違っちゃいない。だが、肝心なことを君は言っていないな」
「なんですか?」
「
痛いところを突かれた。
マリナさんのようにはいかないな、とエリザは独りごちる。
やっぱりわたしには、正直に訴えることしか出来ないらしい。
エリザは覚悟を決め――建前を捨てた。
「わたしは……ブリタリカの貴族です」
「それが?」
エリザはガルメンの立体地図の一点を指差す。
そこには
――であれば、
エリザベート・ドラクリア・バラスタインの選択は決まっている。
「他の貴族の領地であろうとも、わたしは民草を見捨てるわけにはまいりません」
エリザの言葉を聞いたヒロトは心底意外だとでも言うように目を見開いた。
そしてすぐに「なるほど」と口角を
皇帝のその笑みは、エリザがよく知るメイドの笑みにどこか似ていた。
そして皇帝は、
「なら、僕も残ろう」
そんなとんでもない事を口にした。
途端に、魔導士と
「ヒロト! 貴様、敵国の人間を助けるというのか!?」
「いいじゃないかアトロ。僕らが戦っているのは貴族だ。民草じゃない」
「またか貴様ッ!! 何度善人ぶったことをすれ――――――みな伏せろッ!!」
突然、アトロが叫ぶと同時に皇帝を押し倒した。
エリザは訳が分からないまま思わず一歩後ずさり、ケイトに至ってはその場に立ち尽くしていた。
――だから、それを四人が避けられたのは本当に偶然だった。
アトロが皇帝を押し倒したのとほぼ同時。
宿屋の天井が“何か”によって
視界を覆い尽くすのは、赤黒い巨体だった。
天井を
焦点の合わない
それはつまり、
「
「ちッ」
舌打ちと共にアトロが
しかし、
「――っ!」
頭を失った
「やはり、駄目か」
アトロが苦々しく
アトロが皇帝を立ち上がらせながら言う。
「ヒロト、こうなっては悠長なことはしていられない。――いいな?」
「アトロ……だが、」
「お前が死んだら元も子も無い。それに、お前を殺すのは
「もぉ、なに
そのケイトの言葉で、漂白されていたエリザの思考に色が戻る。
――そうだ、今は皇帝陛下を逃がさなくては。
エリザは部屋の隅に走り、放り出されたままだった万槍を拾い上げて叫ぶ。
「わたしが引きつけます! みなさんは先に回廊へ!」
万槍を包んでいた布を
だがそれでも、
そして、
『エリザ、話はついたか?』
降ってきたのは、いつの間にか沈黙していたメイドの声だった。
エリザは歓喜とも
「マリナさん、今ちょっと大変なことになって」
『ああ、見えてるよ。――けどそこだと
「え? 今どこに、」
『すぐ近くだ』
その答えと同時に、聞き覚えのある破裂音が聞こえた。
音の発生源は上。
エリザは目の前の敵を忘れて天を仰ぐ。
――そして、夜空から
その星の一つが再生しつつあった
見覚えのある
――パンツァーファウスト3。
その
貞淑なメイド服に身を包み、鮮血のような赤髪を純白のカチューシャで飾ったモノクロの流星。大きな丸眼鏡を燃える炎に輝かせ――武装戦闘メイドは立ち上がった。
「皇帝陛下、お初にお目にかかります」
メイドは使い終わった発射機を投げ捨て、スカートをマントのように
そうして生み出した新たな発射機をくるりと回して肩へ担ぐと、メイドは背を向けたまま、肩越しに
「
以後、お見知りおきを」
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