scene:04 憎む“べき”仇


 独特な匂いが、鼻の奥をつく。


 魔獣けの柵に囲まれた町門を抜けた途端、香ってきた腐った卵のような匂い。

 恐らくこれが、温泉の匂いというものなのだろう。


 なんだか新鮮な気持ちになり、エリザベート・ドラクリア・バラスタインはほろ馬車の御者台の上で深く深呼吸をした。


 査問会を終えて一週間後の昼過ぎ。

 エリザはガラン大公の領地、マグドニージャ大公領スケイプトパラ州ガルメンへやって来ていた。オジヤンノヴァ温泉を擁する、ブリタリカ王国でも有数の温泉街である。


 もちろん、エリザは観光に来たわけではない。

 ルシャワール帝国の皇帝に会いに来たのだ。



    ◆ ◆ ◆ ◆



 一週間前のあの日。


 旧界竜エルダー・ドラゴン、ファフナーから『万槍』を受け取ったエリザは、そのままチェルノートへとんぼ返りすることになった。

 というのも宝物庫を出た途端、爵位継承の正式な証明書を持った宮宰のガンドルプスが現れたからだ。


 宮宰と共に航天船へ乗り込んだエリザは、そこで皇帝護送計画書とそれに必要な“あるもの”を渡された。「他の貴族に悟られる前に、迅速な行動をお願い致します」と言われてしまえば、エリザとしては従うしかない。

 だが、エリザは手ぶらで帰るわけにいかなかった。せめて王都の商人か貴族と交渉して、当面の食料くらいは確保しなくてはならない。食べ物は明日の朝まで保つかどうかといったところなのだ。


 それを口にしたエリザに、ガンドルプスは相変わらずの仏頂面で「ご心配なく」とだけ答えた。航天船には、既に支援物資が積み込んであるというのだ。


 後からリーゼに聞いたところによると査問会の最中から既に積み込みを開始していたとの事。つまり全てはシャルル七世のてのひらの上だったということだろう。それを聞いたマリナは『あー、こういう絡め取られていく感じ久しぶりだなー』と苦笑していた。


 それからの一週間は、とうのように過ぎていった。

 犠牲者の葬式を済ませ、チェルノート城周辺に仮設住居として天幕を用意。航天船が持ち込んだ食料で、チェルノート城の地下倉は数百年ぶりに満杯になった。リーゼ達が持ち込んだ自動人形オートマトンを使ってれきの撤去作業を進めながら、エリザはエリザで皇帝の護送計画に必要なものを算出。シュヴァルツァーに協力を取り付け、自分が居ない間の町の運営をカヴォスに委ねる。幸い、エリザは町内会の運営にも携わっていた為、その辺りの引き継ぎは滞りなく進められた。


 そしてようやく全ての引き継ぎを終えたエリザは、つい二日前にチェルノートをったのである。



    ◆ ◆ ◆ ◆



「ここまででいいのかい?」


 そう声をかけてきたのは、シュヴァルツァーが紹介してくれたアンダーシャフト商会所属の隊商キヤラバンおさだった。


 護送計画の都合上、エリザはチェルノートに居ると外部に思わせておかなくてはならない。故に護衛は目立つので付けられず、だからといってエリザ一人ではチェルノートからガルメンまで辿たどくのは難しい。

 そこで、町の再建に必要な物資を持ってきた隊商に紛れ、行商人の振りをしてガルメンまでやって来たのだ。


 エリザは併走する隊商の長にほほむ。


「ええ、お世話になりました」

「おう!」


 隊商の長ははじけるような笑みを浮かべ、


「……しかしシュヴァルツァーのやつくやったもんだな、辺境伯のお抱え商人になるたあ。しかもこんな美人で性格も良いときてる。将来は大公様かもな」

「お上手ですね。それともチップが少なかったのかしら?」

「はッ! キツイ冗談まで返してくれるたあ、こりゃますますアイツが羨ましいね。――辺境伯、もし何か入り用ならこのレーヴェンガルトに言ってくれ。たとえ深大陸であろうと届けてやるよ」

「ええ。よろしくお願いしますね」


 エリザは軽く手を振って、自身のほろ馬車を隊商の列から離れさせる。

 徐々に小さくなっていく隊商達の馬車を見送って、エリザは気分を入れ替えるように小さく息を吐いた。


 馬車で山道を越えるのも大変だったが、本番はこれからだ。

 ここガルメンが、ルシャワール帝国の皇帝一行との合流地点なのだから。


 皇帝は数少ない護衛を伴って、この町に来ていると言う。ガラン大公の領地であるが故に、ガルメンは現在でも人の出入りが多い。ここならばものが居ても目立たないというのが理由だった。


 けれど、


「どこに居るのかしら……」


 ガルメンへ到着したら向こうから声をかけてくれるという話だったのだが、エリザの馬車は既に町のかなり奥の方まで来てしまっている。てっきり入り口付近で待ち受けているとばかり思っていたので、だんだん心配になってきた。馬車の通れる太い道は少ないとはいえ、本当に見つけてくれるのだろうか。


 と、


「あのぉ……」


 舌足らずな声。

 ――もしかして、皇帝側の迎えか。

 エリザはとつに笑みを作って「はい」と御者台の下を見る。

 そこに居たのは修道服を着た女性だった。


 こちらを見上げてほほみ、掲げた手には陶器の皿がある。

 皿の中には銅貨や銀貨が数枚。


 なんだ、寄付のお願いか。

 エリザは内心で肩を落とす。


 こうした人の多い場所ではよく教会が寄付を募っている。観光地であるガルメンも同様なのだろう。エリザは落胆しながらも銅貨入れを探し「ごめんなさい、少ないですけど」と言いかけ――続く言葉に手を止めた。


「最近はぁ、竜も温泉に入るんですねぇ――」


 思わず目を見開いて、修道女を見てしまう。

 なにしろそれは、宮宰のガンドルプスから伝えられていた皇帝一行と合流する為のちようだったからだ。


 まさか、と思いつつ返す。


「――きっと、遠くにいる友人に会いに来たのでしょう」


 それは人魔大戦の伝説に語られる、旧界竜エルダー・ドラゴンを主役にした恋物語の一節。

 途端、ぱあっと修道女の顔が明るくなった。


「よかったぁ! エリザベート様ですよね? お迎えにぃ、あがりましたぁ~」

「あ、えっとその、友人の――?」


 エリザが口にした『友人』とは、皇帝を指す隠語である。

 修道女は「そうです~」と答えながら、ほろ馬車の荷台の方をのぞみ、


「――あのぉ、そちらは二人でいらっしゃると聞いてたんですけどぉ……」


 そう、本来の予定ではエリザはマリナと二人で来る事になっていた。

 当然の話だ。シャルル七世は、マリナが炎槌騎士団を倒したと承知していたし、魂魄人形ゴーレムの戦闘能力こそを買ってエリザに皇帝の護衛を任せたのだ。当然、皇帝側にも二人で護衛する旨は伝わっているはずである。


 しかし、残念ながら荷台には誰も乗っていない。

 偽装の為に果物を入れた木箱を幾つかと、その中に隠した『万槍』だけが荷物だ。


 理由は単純で、エリザが出発する二日前の時点ではマリナの身体が修復できていなかったのだ。ギリギリまでチェルノートで修復作業を進め、終わり次第、シュラコシアを夜の闇に紛れさせてガルメンまでやってくる予定となっている。最後の調整は空の上で行うというから、かなりの突貫作業なのだろう。


 だが、エリザとしてはそれをそのまま伝えるわけにいかない。シャルル七世から『魂魄人形ゴーレムの能力は可能な限り伏せて欲しい』と言われているからだ。夜になったら空から降ってきますよ、とは言えない。


「わたしとは別ルートで向かってます。場所は念話で伝えられますから大丈夫ですよ」

「そうなんですかぁ。――あ、でも詳しい話は宿の方で。遠いから乗ってもいいですかぁ? わたくしぃ疲れちゃって」

「え、ちょ――」


 ふわふわした喋り方の修道女は、エリザの許可を待たずに御者台の隣へ乗り込んでくる。


 舌足らずだけど押しの強い人だな、とエリザは少し引いた。

 寄付を募る時もこうしているのかもしれない。男の人が相手なら、寄付も集めやすいだろう。


 ――だって美人だし。胸、大きいし。


 と、そこまで考えて、エリザは自身が人を品定めするような見方をしていた事に気づく。これではまるでマリナさんじゃない、とエリザは自分自身をたしなめる。マリナの事は好きだし尊敬もしているが、自身の信条を曲げて相手と同じ事をするのは『違う』と思うのだ。


 だめだめ、と自身を戒めてから、エリザは隣に座った修道女に声をかける。


「あの、お名前を伺っても――?」

「あらぁ、わたくしったら」


 うふふ、と修道女は口元を押さえて笑う。

 狭い御者台の上でエリザの方へ身体を向けて、軽くせきばらい。


「申し遅れましたぁ。わたくしぃ、聖ナイアトホテプ修道会より参りましたぁ――せいどう騎士、ケイト・リリブリッジでございますぅ」

「え、せいどう騎士――」


 その名は、王国において特別な意味を持つ。

 600年前の宗教戦争で王国騎士に猛威を振るった、教会側の『騎士』の名だからだ。

 この舌足らずな修道女が、教会の切り札とも言われる存在――?


 確かに『海がある国には教会がある』と言われるほどの勢力を誇っているから、帝国との橋渡しに教会の人間は持ってこいではあるだろう。修道女が皇帝一行の一人というのは不思議ではない。――だとしても、この全体的に色々な意味で丸くて柔らかい女性が、あの『せいどう騎士』だというのか。


 そんな複雑な思いが込められたエリザの言葉に「はぁい」と答え、ケイトと名乗ったせいどう騎士は自身の両手の指先を軽く合わせる。


「このたびは両国の交渉を見届けるよう仰せつかっておりますぅ。短い間ではありますが、お見知りおきをっ」



    ◆ ◆ ◆ ◆



 ケイトの案内に従って、エリザのほろ馬車は表通りから一本奥の道へと入る。

 薄暗く、明らかに安宿が建ち並ぶ通り。ガタガタの石畳をしばらく進んでから、ケイトは「あ、アレです~」と一軒の民宿を指差した。

 

「ここに――?」

「はい~」


 随分と寂れた宿だった。

 他に幾らでも宿はあるだろうに、駐車スペースがようやく一台分あるような小さな宿。正直、汎人種国家における二大勢力の一方、その支配者には似つかわしくない。ガルメンには貴族向けの宿も多数存在する。そうでなくても豪商向けのものに幾らでも良い宿はあるはずだ。こんなはたか木賃宿か分からないような場所ではなくとも良いだろうに。


 そう思いながら、ほろ馬車を駐車スペースへ移動させていると、


『おーい、エリザ。そろそろ着いたか?』


 マリナからの念話だった。

 馬車を頭から突っ込みつつ、エリザは『今着いたところよ、これから顔合わせ』と答える。


『そうか。落ち着いたら少し個魔力オドを多めにしてくれ。服を再生させる』

『わたしが直接触って蓄魔石に流し込まなくて大丈夫なの?』

『ロジャーの話だと、出来るように調整したらしい。その実験も兼ねてるんだと』


 あまりマリナさんで実験とかしないで欲しいな。

 そう思いつつ『そ。わかった』とだけ返す。


『――なんか変わった事はあったか?』


 マリナの気遣うような念話。

 感覚共有もしていないから、こちらの様子が気になるのかもしれない。それに新しい身体の調整中という事もあり、なかなか念話をする機会も無かったから心配なのだろう。


『落ち合う場所が、すごいボロっちい宿だった』

『――ああ、偽装か。そんなとこに皇帝陛下がいらっしゃるとは思わねーもんな』

『わたしだまされてないよね?』

だます理由が向こうにねーだろ。大丈夫だ』

『それもそうね』

『……心配なら、このまま念話つないでおけよ。ロジャーに頼んで聴覚だけ共有してもらうから』

『ありがとう、助かるわ。小娘だからってめられたら困るし』

『ノラ犬根性、伝染ってるぞ』

『そお?』


 そう念話を返しながら、エリザは自然とほほんでしまう。

 一週間も前のことをまだ根に持っているなんて。そんな子供っぽい台詞を口にする人だったんだ。――ちょっと可愛い。


 そんなエリザの笑みを不思議そうに見るケイトをやり過ごして馬車をめ、エリザは荷台から『万槍』を取り出した。一応布で覆ってあるので、外から見ただけでは中身が何かというのは分からないはずだ。

 その目論み通り、ケイトが「それは何ですかぁ?」とのんいてくるので、エリザは「護衛のための武器です」とだけ答える。


「――必要なら、お預けしますけど」

「あ~、いいですよそんなのぉ。わたくしぃ、こう見えても強いんで~」


 そんな冗談なのか本気なのか分からない事を言って、ケイトはさっさと宿屋に入っていってしまった。慌てて後を追うと、ケイトは受付にいた宿屋の主人に「この人はもう一つの部屋の人~」と手を振って、二階へと続く階段を上っていく。エリザも一応、宿屋の主人に軽く会釈をしたが、主人の方は『勝手にしてくれ』とばかりに軽く手を振っただけだった。


「ケイト・リリブリッジ、戻りましたぁ」


 角部屋の扉をノックして、ケイトは気の抜けた挨拶をする。

 すると中から「ああ、入ってくれ」という、くたびれた男の声が返って来る。


「エリザベート様、どうぞぉ~」


 ユルい声に促され、エリザは扉を開けた。


 中には二人。

 片方は頭からがいとうのフードを被った、魔導士然とした人物がベッドに腰掛けている。チラリとこちらを見たようだったが、口元もマスクで覆われており、性別すら判然としない。こちらが皇帝ということは無いだろう。


 ということは――


「初めまして」


 歩み寄ってくるもう一人の人物が皇帝か。


 エリザに握手を求めて来たのは、ややくたびれた風貌をした男だった。

 髪が青く、左目を大きな眼帯で覆っている以外に特徴はない。『旅行に来た商家の旦那』で通るだろう。よく見れば、男の外見は30歳手前かどうかという所だったが、全体的に疲れたような雰囲気が男を実年齢より老けて見せていた。


「皇帝やってます、ヒロト・ラキシア・ヤマシタ・ルシャワールです。道中、よろしくお願いしますわ」

「はい」


 随分とフランクな話し方をする男だと思った。

 しかも皇帝という立場にありながら、格下の辺境伯に自分から握手を求めるとは。それに皇帝をまるで職業か何かのように言うのもよく分からない。

 そんな内心を押し殺して、エリザは差し出された手を握り返す。


「既にお聞き及びとは思いますが、改めて自己紹介を。わたしはエリザベート・ドラクリア・バラスタイン。小さな領地で辺境伯を名乗らせて頂いております」


 途端、エリザの言葉を聞いた魔導士がつぶやく。


「……本当にバラスタインが来たのか」


 聞こえてきたのは、思ったよりも幼い声だった。声質は低く、話し方も年寄り臭さがあるのに、どこか若々しい。皇帝とは逆だな、とエリザは思う。

 そんな魔導士を、皇帝は困ったようにたしなめる。


「アトロ、あまり変な事を言わないでくれよ」

「ハッ――何を言うヒロト。ブリタリカ王も趣味が悪い。あれらへの嫌がらせか」

「アトロ、やめろ」


 皇帝の語気が鋭くなって、ようやく魔導士は口を閉ざす。

 やれやれ、道中は大変そうだ。そうエリザは社交辞令の笑みを浮かべながら思う。

 これではエッジリアの女の子版がずっと側に居るようなものだ。


 皇帝は恐縮した様子で「すみませんね、辺境伯」と軽く頭を下げる。エリザは慌てて「気にしてませんよ」と笑みを作った。最近なんだか偉い人に頭を下げられてばかりだ。逆に気疲れがまってしまう。


「――こいつはアトロ・パルカ。昔から僕の付き人をやってるんですが、どうにも口が悪くて。申し訳ない」

「いえ、そう受け取られても仕方ありませんし。――こちらの人材不足でご迷惑をおかけします」

「そう言ってもらえると助かりますわ。けどそんなら……迷惑ついでに、わだかまりを解消しておきませんか?」

「はい?」


 皇帝は神妙な面持ちで、エリザに改めて向き直る。

 そして、自身の胸に手を当てて告げた。


「辺境伯――ぼかぁ、貴女あなたの家族を殺すよう命令した男だ」

「……」


 言葉に詰まる。

 わだかまり――そういう事か。


「もちろんこっちも散々死んでるんですけどね。だとしても、貴女あなたには僕にふくしゆうする権利があると思うわけですよ。

 ――んでまあ、辺境伯は僕を殺したいかどうかって聞いておこうと思いまして」

『コイツ――、』


 途端、念話からマリナの怒りの感情が流れてくる。

 いつの間にか聴覚をつないでいたらしい。こちらが会話をしていたから、気を遣って黙っていたのだろう。――だが、我慢の限界という事らしい。 


 そのメイドの怒りを、エリザは『大丈夫』と止めた。


『けどエリザ、』

『ありがとう、怒ってくれて。でも――大丈夫だから』


 エリザは小さく深呼吸してから、皇帝に答えた。


「わたしはふくしゆうなど考えておりません。陛下がおつしやった通り、わたしの兄や父も帝国の民草を殺しております。ふくしゆうの権利――というのであれば、そちらにも同様のものがあるはずです」

「お互い様、だと?」

「はい。――もちろん、わたしが陛下に何も思う所が無いと言えばうそになりましょう。

 ですが、」


 一度言葉を切り、ベッドに腰掛ける魔導士、ほほみを浮かべたまま黙っているせいどう騎士へと視線を流してから、エリザは皇帝の顔を改めて見据える。


「今は、両国にある感情を棚上げし、これ以上犠牲を出さない為に動こうという時です。 陛下が亡くなれば戦争が再開する。そうすれば再び多くの民草が死にます。

 民草の涙を、わたしは望みません。――それは陛下も同じでしょう?」

「……ああ、もちろんだ」


 皇帝はそうほほむと、ベッドに腰掛ける魔導士に視線を向け「これで良いなアトロ?」と確認する。「ああ」という小さな声が返ってくるのを待ってから、皇帝はエリザに向き直った。


「よろしい。――じゃあ、本題に入ろうか」



    ◆ ◆ ◆ ◆



 それからエリザと皇帝一行は王都までの道のりを確認した。


 ――今回、王都ロマニアまでは、とある“迷宮”を使って向かう事になっている。


 その迷宮は世界各地に点在する『門』と『門』を通じて、世界中どこにでも向かう事が出来る。迷宮内は時空がゆがんでおり、数百キルト離れた場所の『門』にでも、迷宮内を数百メルト進むだけで辿たどく事が可能。迷宮内には魔獣が多くせいそくしているが、幾つかのルートは魔獣を排除し安全を確保してある。


 今回はその内の一つを使って王都ロマニアを目指す事になっていた。

 その迷宮を王宮では『アイホルト回廊』と呼んでいる。


「では失礼しますねぇ」


 ケイトが修道服から手を伸ばし、エリザから『銀鍵ぎんけん』を受け取った。


銀鍵ぎんけん』とはアイホルト回廊へ入るための魔導具であり、この『鍵』と『門』の組み合わせによって出口となる『門』が変化する。

 エリザのそれは、宮宰のガンドルプスを通じてシャルル七世から託されたものであり、王都に存在する『門』へ直接通じている。


 ケイトは自身の胸元から、多面体の黒い水晶を取り出すと、『銀鍵ぎんけん』にかざした。

 恐らく、偽物でないか、『門』と正しい組み合わせの『鍵』であるか――などを確認しているのだろう。


 聞いた所によると『アイホルト回廊』は、元を辿たどれば教会の持ち物だったらしい。それを600年前の宗教戦争時においてブリタリカ王家へ献上したのだという。『らしい』というのは、エリザ自身、シャルル七世から聞くまで回廊の存在すら知らなかったからだ。何でも『万が一の備え』として貴族にも隠してきたのだと言う。


「はぁい、だいじょーぶで~す」


 確認を終えたケイトから銀鍵ぎんけんを返してもらい、エリザは服の中へ『銀鍵ぎんけん』をう。


「ここの『門』と『鍵』の組み合わせだとぉ、日付が変わってから第一刻までに『門』に入れば、ロマニアへ抜けられるはずですよ~」

「ここから『門』まではどれくらいかかるんだ?」

「半刻もかかりませんよぉ」

「なら日付が変わる頃に出発しようや。――辺境伯もそれでよろしいですかね?」

「構いません」


 皇帝の問いにエリザはうなずく。

 元々その予定である。こちらから説明する手間が省けた。

 それでも言っておかなければならない事が一つだけある。


「ただ出発前にもう一人、こちらの護衛が参ります」

「ああ、言ってた人だね。構わないよ。じゃあ、その人が来てから行こうか。一応、名前を聞かせてもらっていいかな?」

「マリナ・ナカムラです。わたしの専属メイドをしております」

「魔導士か何か?」

「魔導士ではありませんが、」そこでエリザは少し考え「わたしの護衛が出来る程度には強いですよ」とだけ答える。


 その答えに、皇帝は「へえ、」と片眉を上げた。


。そいつぁ、珍しい」

「――え?」


 今「武装戦闘メイド」と口にしたのか、この人は。

 エリザが困惑していると、横合いから魔導士の「ヒロト」という声が飛ぶ。


「辺境伯には出発まで休んでいてもらいたまえ。出発が夜半ならば、今のうちに長旅の疲れを取っておいてもらうべきではないかね?」

「あ……ああ、そうだなっ! ――辺境伯、隣に部屋を借りてあります。出発までそこで休んでてくださいよ。少し前に、こっちから呼びますから」


 言って、皇帝が扉を見やるとケイトがすぐさま鍵をエリザに差し出した。

 エリザは鍵を見つめて少しだけ考え、


「――わかりました。お言葉に甘えさせて頂きます」


 エリザはケイトから部屋の鍵を受け取り、皇帝一行の部屋を後にする。


 本来であればエリザも護衛の一人なのだから同室で待機すべきなのだが、皇帝から暗に『席を外してくれ』と言われてしまっては仕方ない。もちろん、エリザはブリタリカ王国の使者としてやって来ているので、皇帝の言葉に必ずしも従う必要は無い。だが、無理にこちらの要求を通して不興を買っては、シャルル七世に迷惑がかかってしまう。それで休戦交渉――いや、終戦交渉に影響が出ては笑えない。


 それに、本音を言えば。

 エリザ自身、少し一人になりたかったのだ。


 そんなことを考えながら、エリザは用意された部屋に入る。

 と、


『やな男だ』


 扉も閉め切らない内に、マリナから念話が飛んできた。

 なんだか面白くなってしまい『ふふ』と、エリザは笑みをこぼす。


『マリナさんは、ああいう人は嫌いですか?』

『当たり前だろ。

 ――スジ通してるつもりなんだろうが、いきなり人の内面に踏み込んで本音を言えって要求してるみてえじゃねえか。

 しかも、こっちが手出し出来ないの知っててよ』

『……確かに、そうね』


 似たような事をマリナさんもしたでしょ、とは言わなかった。


 まあ向こうからしてみれば、護衛として派遣されたのがエリザというのは不安しか無いだろう。明らかに実戦経験が無く、しかもかつて帝国軍と直接やり合った貴族の生き残り。「腹に何か隠してないか?」ときたくなるのも仕方がない。


 とはいえ気分が良いかと言われれば、そんな事は無い。

 ――だが、マリナのように怒りは湧いてこなかった。


 エリザの心の内にあるのは困惑。

 自分自身の中に、知らない誰かがいるような、不思議な感覚だった。


『今まで忘れてたの。――見ないようにしてたって言ってもいいけど』


 うっかり漏らしてしまった念話に、マリナが『何を?』と問い返す。

 かれてしまえば、答えざるを得ない。


ふくしゆう……とか、そういう事』


 息をむような気配が念話から返ってくる。


『だって、みんなを守るので精一杯だったもの。お父様やお兄様たちのふくしゆうなんて、考える余裕もなかった。だって考え始めたら、それ以外考えられなくなりそうだったから』


 だが、そんな事を自分に許すわけにいかなかった。

 多くの領地と家財を奪われ、残った領地はたった一つの町だけだったとしても、だ。

 彼らはエリザにとって領民であり、彼らの生活を守ることこそエリザベート・ドラクリア・バラスタインの役目だった。


 そうでなくとも、エリザにとって民草の笑顔こそが最も心を震わせる喜びであり、そう生まれついてしまった以上は、民草の幸せを考えずにはいられない。そして民草の幸せを考え始めれば、解決すべき問題は果てなく、止めどなく湧き出てくる。


 そうして領地の運営に頭を悩ませている内は、他の感情など生まれることもなかったのだ。


 だが、今は違う。


『わたしね、今自分の中に大きなものが二つあるの。

 一つは、みんなを幸せにしたいって気持ち。

 もう一つは――』


 エリザは、ベッドに置かれた万槍の柄を握り締める。


『彼を、この槍で突き殺してやりたいって気持ち』

『エリザ――』


 やるなら協力するぞ。

 マリナの念話にはそんな色があった。

 しかし、


『大丈夫よ』


 エリザはそれを拒否する。

 ナカムラ・マリナという少女が憧れたエリザベート・ドラクリア・バラスタインは、そんな人ではないと思うのだ。


 一週間前。

 炎槌騎士団のリチャードを倒す前にかいた、マリナという少女の過去を思い出す。


 裏切られ続け、

 あらゆるものを諦めて、

 人間という生き物を、そして自分自身を、殺したいほど憎んだ。

 全てを諦めて受け入れてしまえば、憎む必要もなかったのに。

『人は捨てたもんじゃない』という希望を捨てきれなかった。

 好きになりたかった。


 そんな彼女マリナが見つけた希望が――わたしエリザなのだ。


 彼女の光になった以上は、わたしは光であり続けたい。

 光で、あり続けなければ


 故に、エリザベート・ドラクリア・バラスタインが口にすべき台詞せりふは決まっていた。


『みんなを幸せにするためだもの。わたしは絶対、休戦協定継続会議を成功させて、戦争を終わらせる――』


 その念話は、遠くにいるメイドにではなく、自分自身へ向けたものだった。



    ◆ ◆ ◆ ◆



 周囲を森林地帯に囲まれているガルメンは時折、魔獣による襲撃を受ける。


 故に街を囲むように柵が張り巡らされ、幾つものものやぐらが建てられていた。

 自警団には腕っ節自慢だけでなく騎士団あがりの魔導士もおり、その戦力はルシャワール帝国であれば中隊規模として数えられる。

 彼らのお陰で、ガルメンの町人や観光客は安心して眠ることができるのだ。


 ――それ故に、自警団は真っ先に排除された。


 日はとうに暮れ、宿からもあかりが消えつつある深夜。

 もうすぐ日付が変わろうというその時に、ものやぐらに居た自警団の魔導士たちは全員音も無く殺された。心臓に〔氷結式〕を打たれた彼らは、氷の華を胸に咲かせてうめごえすら発することなく倒れ伏す。幸いというべきか、瞬時に脳髄まで凍結した為に痛みはそれほど無かったはずである。


 そして、その凶行を成した下手人は今、ものやぐらからガルメンの町を見下ろしていた。


 全く同じ格好をした男が二人。

 彼らはがいとうのフードを被り、口元をぼうじんマスクに似た何かで覆っている。


 ――チェルノートで死体をあさっていた、死霊使いネクロマンサーだった。


「先任導士」


 死霊使いネクロマンサーの一人が、もう一方へ声をかける。


「柵を巡回していた者達の排除も完了しました」

「よし」


 ものやぐらからガルメンの街を見下ろしていた死霊使いネクロマンサーが、満足げにうなずく。

 それはつまり、街の守りが消え、彼らを阻む者は誰もいないという事だからだ。


 先任導士と呼ばれた死霊使いネクロマンサーは〔遠見式〕の窓を開くと、もう一人の死霊使いネクロマンサーへ問う。


動く死体アンデツドどもは?」

「既に南側から侵入させております」


 先任導士は遠見の窓を町の南側へ向け、やおら騒がしくなっている一帯を拡大する。


 映ったのは、動く死体アンデツドに腕をまれた女と、その女を助けた男だった。

 夫婦なのだろうか、男はぐったりする女を抱きかかえて必死に呼びかけ――そして動く死体アンデツドへと変じた女に喉をみ千切られる。


 似たような光景が幾つも生まれ、その度に動く死体アンデツドは徐々に町へ浸透していく。

 それを確認した先任導士は満足げにほほんだ。


「街に残ってる魔導士の位置は調べたな?」

「把握済みです」

「そいつらは武器を持たせた骸骨兵スケルトンで潰せ。今は貴族騎士も居ないようだからな、それで一気に崩れる」

「はい」


 指示を受けた死霊使いネクロマンサーは即座に念話を飛ばし、ものやぐらから動く死体アンデツドを操っている仲間へ伝達する。


「では、皇帝の護衛どもはどうしますか? やはり我々が直接――」

「馬鹿か貴様。標的に姿を見せる死霊使いネクロマンサーがどこにいる」

「しかし、騎士甲冑サークを持たないとはいえ護衛についているのは騎士。動く死体アンデツドだけでは、」

「分かっている。――だから、アレを使う」


 言って、先任導士は親指だけで背後を指した。

 つられて、死霊使いネクロマンサーは指の先を追う。


 森の暗がりに、何か巨大な影がうずくまっていた。

 立ち上がれば三階建ての家に匹敵するたいを誇る、人型の怪物。

 ヨーツンヘミル大陸から無謀な逃亡を図った、巨人種ギガンツの成れの果て。

 巨鈍魔トロールの、その死体――。


 先任導士は「なるほど」と呟く部下を無視して、遠見の窓を動かす。

 映し出されたのは、宿だった。


「さ、仕事を始めよう。騎士のしやくだが、きつね狩りといこうじゃないか」

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