scene:06 主人と従者


わたくしはバラスタイン家、武装戦闘メイド――仲村マリナと申します。

 以後、お見知りおきを」


 巨鈍魔トロールが倒れるごうおんを浴びて、マリナはほほんだ。


 ――何とか間に合ったか。

 マリナは肩越しに、万槍をくわのように構える主人を見てあんする。

 しかし、無事だったのは良いとして、あの構えは何なのだろうか。マリナは内心で嘆息する。あれでは重心が低すぎてとつに動けないし、身体がこわばり過ぎて槍を突くことも怪しい。小学校でたけやりを振っている子供の方がまだマシだ。


 が、そんな内心はおくびにも出さない。

 ここで従者があきれた態度を見せれば、主人の顔に泥を塗ってしまうからだ。


 マリナは意識をエリザの奥にいる三人組へ飛ばす。

 ――あれが皇帝陛下、か。マリナは丸眼鏡の下で目を細めた。


 眼帯をした青髪の男と、魔導士風のマスク女、そして修道女。エリザと聴覚共有をした際に皇帝が女二人連れの男だとは知っている。青髪とは随分とパンクな皇帝だが、自分も人のことは言えない。この異世界ファンタジアでは魔導式が扱える人間は頭髪に影響が出ると聞いている。恐らくそういった才能を持つ皇帝なのだろう。


 ガラガラとれきが崩れる気配。


 視線を正面に戻すと、メタルジェットで頭から胸まで串刺しにされたはずの巨鈍魔トロールが、身体を起こして立ち上がろうとしていた。マリナは思わず舌打ちを漏らす。厄介な存在だとは聞いていたが、頭を吹き飛ばされ体内を焼かれても死なないとは。肉体が再生するのなら、全身を一度に吹き飛ばすしかないだろうが、どれほどの爆薬があれば可能なのか見当もつかない。


 こんなのに関わっている暇はない。


「それでは、急いで回廊へ向かいましょう」

「マリナさん、」


 途端、腕をつかまれた。

 エリザだ。


「町の人を放っておけない。何とか逃げ道くらいは作ってあげないと――」

「それには僕も同意だ」


 眼帯の男――ルシャワール皇帝が、エリザの言葉に賛同する。

 確か『ヒロト』とか名乗っていたか。あおい瞳はとても日系人には見えないが、魔導の才能とやらは瞳にも影響するのだろうか。

 そんなマリナの品定めするような視線にさらされ、皇帝は肩をすくめる。


「民草がじゆうりんされるのを無視しては『終焉帝』の名が泣くからね」


 ――民草がじゆうりんされるのを無視できない? 終焉帝?

 マリナは芝居ががかった態度に面食らうが、同時にその言葉の意味をはかる。


 民草を大切にしているとアピールしつつ、終わりを意味する二つ名を自称するという事は、『民の幸せを願い、貴族の支配を終わらせる皇帝』とでもプロパガンダを打って戦争を行っているのかもしれない。国家を率いる独裁者に必要なブランドイメージというやつだ。似たような組織に身を置いてそのまんを内側から見てきたマリナとしては、失笑を禁じ得ない。こういうやつのネーミングセンスは万国共通どころか、異世界ファンタジアでも変わらないらしい。


「ご心配には及びません、陛下」


 そんな内心を隠し、マリナは皇帝にほほみを返す。

 皇帝はともかく、エリザが『民草を放っておけない』と言い出すのは想定の範囲内だ。や酔狂で、エリザのメイドを名乗ったつもりはない。


 マリナは空いている方の手で、天を指す。


「上空を御覧ください」


 宿屋に居た四人が星空を仰ぐ。


 視線の先、光の粒子が流るる天の川。

 その星の流れをめ食い破る黒い影があった。

 影はぬるりと星をらいながら進み、少しずつ空を黒く塗りつぶしていく。


 やがて、その全身を見せた影は――

 皇帝がつぶやく。


「あれは――航天船か」



    ◆ ◆ ◆ ◆



 時を少し戻す。

 エリザが動く死体アンデツドに踏み込まれた直後のことだ。


『余計な色気は出すな』

 そう念話を飛ばした時、マリナはシュラコシアの艦橋に居た。


 だがそこはマリナの知る軍艦の艦橋とも、飛行機の操縦室とも似ても似つかない場所だった。


 ――ひと言で表すなら、巨大な球体の内部である。


 全天を〔遠見式〕の窓が囲み、外に広がる星空を描き出している。この様を何かにたとえるなら、過去のニッポンに存在したという『プラネタリウム』が一番近いのかもしれない。

 そして内壁の一部からは中心へ向けて通路が伸びており、中心に浮いた皿のような足場へとつながっている。皿の上には管制機構とおぼしき機械が並んでおり、しんちゆう製のそれを金仮面の家臣団が操作していた。


 その隅で降下手順を確認していたマリナは、家臣団に指示を出していたロジャーを呼ぶ。


「ロジャー様、ガルメンに動く死体アンデツドが発生しているようです。状況は分かりますか?」

「――! すぐに調べます」


 ロジャーが艦橋の機械を操作し、新たに天球の一部に〔遠見式〕の窓を開く。

 表示されたのは二次元地図。チェルノートでも見たガルメンの町のものだ。

 その地図に次々と赤い光点が浮かび上がり、水に垂らしたインクのように広がっていく。


 ロジャーが息をんだ。


「〔死霊術式〕らしき反応が多数確認できます。これは……町中にあふれているものと、」

「えッ!?」


 耳に突き刺さる甲高い声。リーゼだ。

 リーゼはつまらなさそうに揺らしていた艦長席を蹴飛ばして立ち上がり、指示を飛ばす。


「なら早くエリザねえを助けないと! 高度を落とせ! 町の上空にシュラコシアを!」


 途端、足場がぐらりと揺れた。

 背後へ倒れかけたマリナは、慌てて手摺りに掴まって体勢を立て直す。艦橋の家臣団がシュラコシアを加速させたのだ。慣性はある程度、魔導式で抑えているらしいが、それ以上の加速を行ったのだろう。マリナとしてもシュラコシアを早く回してくれるのはありがたい。さっさとエリザと皇帝を助けて町から逃げるのは大賛成だ。


 大賛成なのだが――

 ふと、脳裏にエリザの顔がよぎる。


 マリナは誰にも分からない程度に肩をすくめると、家臣団の間をパタパタと走り回るリーゼへと歩み寄った。


「リーゼ様、」

「ん?」

「一つお願いがございます」

「な、なんだよ……」


 リーゼはいぶかしむように金仮面をマリナへ向ける。


「お前、なんか口調が変だぞ?」

「そうでしょうか? メイドとして、当たり前の話し方だと思いますが」

「いや、最初会った時と全然――――あ、なんでもない、です。どうぞ」


 視線をスッとらして、リーゼは先をうながす。眼力で押し切るのはあまりに幼稚な手だが時間がない。

 マリナはほほみを崩さずに言った。


「エリザを助けるついでに、町の住民も助けてくださいませんか?」


 それは、エリザの思考を先読みした故の結論である。


 エリザのことだ、自分だけ助かるなど認めないだろう。「町の人たちを助けなきゃ」とか言い出すに決まっている。だったら最初からそれを想定して行動した方がいい。


 しかし、当然ながらリーゼの方はあからさまに渋い声を出した。


「えー、そんなのガラン大公の仕事じゃん。なんでリゼの大切な自動人形オートマトンを使わなきゃいけないんだよ?」


 まあ、そう来るだろうと思った。

 マリナは自身の口角がいやらしく上がるのを自覚する。


 当然、騙――交渉のネタは考えてある。


「リーゼ様、わたくしが有している異世界ファンタジアの知識が欲しくありませんか?」

「――ッ!」


 食いついた。素直で扱いやすい子だ。

 マリナはリーゼへ更に近づくと、片ひざをついて金仮面に視線を合わせる。


「ごぞんの通り、わたくし異世界ファンタジアの武器を生み出すことができます。自動人形オートマトンをお貸し頂けるのでしたら、それらを全て差し上げましょう」


 リーゼは一瞬、喜びに口を開きかけ、すぐに何かを思い出したのか頭をブンブンと横に振った。


「いやいやいや。自動人形オートマトン動く死体アンデツドとなんかやりあったら壊れるのが出てくるし、これ以上家の財務に負担をかけるわけには――」


 うつむきながら語るリーゼの言葉は、半ば以上、自身に向けられたものだろう。

 つまり、崖っぷちから落ちないように踏みとどまろうとしているのだ。崖の下にあるものが気になって仕方がないが、落ちたら死んでしまうと自分に言い聞かせて好奇心を抑え込んでいる。


 なんともけなわいらしいことだ。

 ああ、なんともぎょしやすい。


 マリナはそっと、リーゼのほおに手をやった。

 そのマシュマロのように柔らかい肌を優しくでながら、顎に指をかけて金色の仮面を自身の方へ向けさせる。


「リーゼ様」

「な、なんだよ」

「騎士を倒した武器――見たくないですか?」

「ッ! それって、炎槌騎士団をやった!?」

「はい」


 もう一押しだ。

 マリナは、葛藤のあまり固まっているリーゼの背中に手を回すと、抱き留めるように身体を寄せる。

 そのまま耳元に口を近づけ――ささやく。


「……もし自動人形オートマトンをお貸しくだされば、それがリーゼ様の物になります」

「リゼの、物……」

「それだけじゃありません。何でも見せてあげますよ?」

「なんでも?」

「はい、好きなようにして頂いて構いません。触り放題です」

「触り放題……」

「アレもコレもソレもどれも――山ほどお渡ししましょう。異世界ファンタジアの科学技術の結晶を手にできますよ? それらの技術を売り払えば、

「――、」


 リーゼの身体がビクリと震える。

 今までで一番大きい手応え。

 ここがリーゼという少女の急所という事か。


わたくしの頼みを聞く事は、シュラクシアーナ家の為にもなりましょう」


 トドメだった。


「――――ぅぅぅぅぅううううううううううッ!」


 リーゼはかんしやくを起こした子供のような――実際子供なのだが――うなり声をあげた。

 ぐるん、と勢いよくロジャーの方を向いて、


「くそッ! ロジャー、全自動人形オートマトンを投下管にそうてん、人形指揮はエマーヌエール。急げ!」

「はい、リーゼ様」


 ロジャーは苦笑しながら、伝声式具で指示を飛ばしていく。

 それを見届けたリーゼは、えつを漏らしながらマリナのメイド服をつかみあげ、


「ほんとに、絶対だからね! 約束だから、破ったらもう二度と身体を直してあげないから!! てゆーか、異世界ファンタジアの技術で特許取らないと本当うちの家終わりだから。直したくても直せないし――あぁ、自分で言ったら頭痛くなってきた……」


 マリナは「はい」とほほみを返す。

 わいいガキだ、とマリナは思う。


 こんな小さいのに当主としての責任を果たそうと、筋を通そうと努力している。自分自身の好奇心を抑え込んで、家の事を、自身の立場を優先して考えている。ワガママを言えば通る立場であるのに、だ。

 いや――だからこそ自制する事を覚えざるを得なかったのかもしれない。頭が良いこの娘は、自身の行為がどれだけ家や家臣達に影響を与えてしまうのか分かってしまう。それを無視できるほど、リーゼという少女は利己的になれないのだろう。


 なんであれ、責任感の強い子という事だ。

 マリナは、家臣たちがこの少女を慕う理由をかいた気がした。


 そういうぐなやつは、オレも嫌いじゃない。

 そんなやつだました以上は、『だまされて良かった』と思わせるのが筋だろう。

 そう心に決めて、マリナは立ち上がってリーゼから離れる。


 だが、まずはこの場を乗り切らねばならない。

 一週間ぶりの死地。それなりの装備が必要だ。

 マリナが「ロジャー様」と声をかけると、ロジャーは操作卓から顔を上げ「はい」と、金仮面をマリナへ向けた。


「例の装備はまだ使えそうにありませんか?」


 マリナはメイド服が再生した段階で、ある兵器を生み出していた。ロジャーにはそれを扱えるようにと改造を頼んでいたのだ。

 だがロジャーは「申し訳ありません」と金仮面をうつむかせた。


「機構が複雑でして。今しばらくかかるかと」

「無理を言っているのはわたくしの方ですから、お気になさらず」


 とは言っても――正直“あれ”無しでこの世界の存在を相手にするのは、少しこころもとない。

 まあ、敵には騎士が居ないようだし何とかなるだろう。くやるしかない。そう気持ちを切り替えて、マリナは顔を上げる。


わたくしが先陣を切ります。降下用装備をお借りできますか?」

「こちらに」


 言って、ロジャーはあかい宝石のまったブローチをマリナに差し出した。

〔衝撃低減装具〕、と言うらしい。


 聞けば、魔導神経を持たない者でも蓄魔石の魔力を消費して〔重力制御式〕を使用出来る装置だという。自動人形オートマトンを降下させる際にも、これを使っているらしい。


 但し効果時間が非常に短く、あくまで着地の衝撃を和らげる程度のものとのこと。自動人形オートマトンに取り付ける物は、事前に高度と重量を計算して、全自動で起動するようにしているらしい。


 だがマリナの場合は、予定とは異なる場所での降下であり調整をしている余裕も無いので、手動で起動させなければならない。

 ロジャーは、ブローチの側面を指差し、


「降下後に頃合いを見てこの飾りを回して下さい。重量を10分の1まで減らせます。現在の高度とナカムラ様の重量から考えると、高度250メルトから200メルトで起動をお願いします」

「……高度計はありますか?」

「残念ながら――目測でお願いします」

「目測」

「起動が速すぎると風に流されますし、着地より前に式の効果が切れると、重量と速度に応じた衝撃を受けますから良くてバラバラになります」

「バラバラ」

「そうならないよう頑張ってください」

「一応、伺いたいのですが、他に方法」

「ありません」


 マリナが言い終える前に、ロジャーの言葉がかぶさる。

 反論は許さない。そんな強い意志を感じた。


 もしやリーゼを泣かせたささやかな意趣返しだろうか。そもそもリーゼへ提示した条件は、マリナの身体を直す交換条件としてロジャーと取り決めていたもの。それをリーゼがまだ知らないからと恩着せがましく提案したのだ。

 マリナのした事はまさしく詐欺である。

 ロジャーの口元は笑っているが、果たして金仮面の下は一体どんな顔をしているのだろうか……。


 やはり素直な子をいじめるべきではなかった。

 内心の後悔を隠しつつ「わかりました」とだけ答えて、マリナは艦橋を後にした。


 カッ、カッ、カッと、ブーツの足音が誰も居ない通路に反響する。

 その音が闇ににじみ、吸い込まれていくのを聞きながら、マリナは苦笑いを浮かべた。


 いやもう、笑うしかない。

 身体を取り戻したばかりで、いきなりのくうてい降下。しかも使うのはパラシュートではなく使った事もない装備。タイミングを外せばじんだというのに高度計すらないのだ。

 一応、くうてい降下は東欧の紛争地域でニッポン出身のPMCから研修を受けた際にやった事はあるが、高高度降下低高度開傘HALOは一度きり。いくら何でもちやぶり過ぎる。


 だが、やるしかないだろう。

 そろそろエリザに「持ちこたえろ」と言った10分だ。

 ちやを言った以上は、何としても約束は守らねば。


「まったく、病み上がりには厳しいリハビリになりそうだ……」


 自動人形オートマトンの投下管へ向かうマリナの苦笑は、通路の闇に溶けて消えた。



    ◆ ◆ ◆ ◆



 そうして投下管から滑り落ちたマリナは、高度500メートルからのくうてい降下を見事成功させたのだった。

 正直、死ぬかと思ったし、こうしてほほんでいるのも単なるやせ我慢である。

 ――二度とやらねえ。

 そう、マリナは上空の航天船を見上げて固く誓った。


 その航天船からは次々と黒い影が放出されている。マリナと同じ方法で投下されている自動人形オートマトンたちだ。町に広がっている動く死体を押しとどめ、生存者を非難させる事になっている。

 マリナは皇帝一行へ視線を戻し、


「町のことはシュラクシアーナ子爵に任せましょう。この大きな方はわたくしが引き受けます。皆様は先に回廊へ」

「いや、君も来るんだ」


 マリナの言葉を否定したのは皇帝だった。


動く死体アンデツドを操ってるやつの狙いは明らかに僕だ。それに巨鈍魔トロール自動人形オートマトンじゃ押さえ込めないだろう。なら、僕らが全員でおとりになって町から引き離した方が、残った住民の助けになるんじゃないかな?」

「ヒロト!」


 なるほど、と納得しかけたマリナを遮る怒声。

 アトロという名の魔導士然とした毒マスク女だ。


「貴様、またそんな事を言ってるのか!?」

「アトロ、僕は出来るだけ多くの人を助けたくてここまで来たんだ。それは、君が一番よく分かってくれているはずだろ? ラキスもきっと――」

あねさまの名を出すなッ!!」


 怒声を放ちながら、再びアトロは巨鈍魔トロールへ〔爆裂式〕を放つ。

 ぐらりとよろめきながらもこんぼうを振りかざす巨鈍魔トロール動く死体アンデツドを見やり、アトロは舌打ちする。


「……森まで行ったら最大火力でお見舞いしてやる」

「助かるよ、アトロ」

「陛下、よろしいのですか?」


 二人の会話の隙間に滑り込んで、マリナは念押しする。

 たしかに巨鈍魔トロールを引きつけつつ回廊へ向かうには戦力が必要だし、町から離れた方が周辺の被害を気にせず重火器を扱える。人間サイズの動く死体アンデツドだかゾンビだかは、チビに任せておけばいいだろう。可能であるなら、それが一番手っ取り早い。


 しかし、だ。

 一国の国家元首をおとりにするのなら『皇帝自身が提案したという事実』と『それを一度は止めたという建前』は、保険としてどうしても必要である。


 そんなマリナの意図を知ってか知らずか、皇帝はこちらを気遣うような笑みを浮かべる。


「ああ、言っただろう? 僕は貴族の圧制から民草を救う皇帝という事になってるんだ。おとりくらいにはなるさ。それに僕はこれでも修羅場を潜ってる。問題ないよ」


 言って、ヒロトは眼帯を指でたたく。

 ――修羅場、とやらで負っただと言いたいのかもしれない。

 まあ、覚悟が決まっているのなら何だって良い。マリナはエリザを見やりうなずいた。

 その意図を察したエリザが、全員へ向けて号令を出す。


「では、回廊へ向かいましょう」



    ◆ ◆ ◆ ◆



「あのメイドは――」


 ガルメンの東方、ものやぐらから町の様子を〔遠見式〕でうかがっていた先任導士は、黒い筒を担いで走るメイドを見つけた。


 あれは確かチェルノートで炎槌騎士団と戦っていたメイドだ。事のてんまつがどうなったのかまでは見る事がかなわなかった為、炎槌騎士団と相討ちになったとばかり考えていた。それが今になって姿を見せたのは、公女とは別に航天船でガルメンへ向かってきていたのだろう。


 まあそれはいい。

 問題は、どういう意図で航天船を連れて来たのか、だ。


「先任導士、」


 別の場所の様子を見守っていた部下が先任導士を呼んだ。


「シュラクシアーナの自動人形オートマトン動く死体アンデツドがおされています」

「……ふむ」


 どうするべきか。

 先任導士は顎をでる。


 動く死体アンデツドの役目はガルメンを包囲した段階で済んでいる。動く死体が町に満ちている事が肝要なのだ。完全に制圧されなければ問題はない。――が、知性のない動く死体アンデツドと極少数の骸骨兵スケルトンでは、統制された自動人形オートマトンには対抗出来ない。制圧されるのは時間の問題だろう。


 そう悩む先任導士の前で変化が起きた。


〔遠見式〕の窓に映る、皇帝一行が潜む宿屋。

 その宿屋から、一台のほろ馬車が飛び出したのだ。

 ほろ馬車の荷台に乗っていた魔道士が〔爆裂式〕を放ち、そうして巨鈍魔トロールが動きを止めた隙にメイドが二階から飛び降りて馬車へ飛び込む。

 そして、わざと巨鈍魔トロールの注意を引こうとするかのように、〔爆裂式〕が仕込まれているとおぼしき魔導具を放ち始めた。


「ふふん」


 先任導士はマスクの下でほくそ笑む。

 どうやら皇帝一行は、巨鈍魔トロールを引きつけつつ回廊へ逃げ込む腹らしい。

 ここまで思い通りに進むと、少しこわいくらいだ。


 皇帝の気質からして、こうした行動をとることは予想されていた。事前に想定した幾つかのパターンの一つである。場合によっては動く死体アンデツドによって、皇帝一行を回廊へ追い込む事も考えていのだが、その手間が省けた。


 先任導士は部下の死霊使いネクロマンサーをチラリと見てから、〔遠見式〕の窓を指差す。


「あの馬車を巨鈍魔トロールに追わせろ。動く死体アンデツドを指揮している連中は、偽装しつつ撤退。後始末は王国貴族に任せておけ」

「了解」


 部下が手際よく念話を飛ばすのを確認すると、先任導士は〔遠見式〕の中へ意識を戻す。

 映るのは巨鈍魔トロールから逃げて走るほろ馬車。

 それを眺めて、先任導士はマスクの下の口角を上げた。


「これで休戦協定も終わりだ」



    ◆ ◆ ◆ ◆



 ダガンッ、と馬車が跳ねる。

 もう何度目か分からない。ガルメンの石畳が、自身を乱暴に踏みつける車輪へ抗議を繰り返しているのだ。しかし、御者台に座るエリザにその抗議を受け止める余裕は無い。体長10メルトの巨鈍魔トロールの歩幅が、ほろ馬車との距離を貪欲に食い潰している。一瞬たりとも速度は落とせない。

 石畳の段差どころか動く死体すら踏みつけて、ほろ馬車は疾走する。


「マリナさん、巨鈍魔トロールは!?」


 エリザは馬車の幻獣の手綱を握りながら叫ぶ。


「ぴったり食いついてきてるよ! くそ、結構やっかいだな」


 返ってくる声に余裕はない。途端、〔爆裂式〕のような音が連続する。チラリと荷台の方を見やると、マリナは戦棍メイスのような鉄塊を荷台に据えつけて巨鈍魔トロールへ何かを放っていた。炎槌騎士団を撃ち落とした『あう゛ぇんじゃー』を縮小したような武器だ。


 しかし、巨鈍魔トロールにはあまり効果がないようだった。

 巨鈍魔トロールの注意を引くことは成功しているが、放つやじりは全てその巨体に吸い込まれてしまっている。肉に穴を空ける程度では巨鈍魔トロールの再生力に太刀打ち出来ないのだ。


 マリナが戦棍メイスほうこうを止めて叫ぶ。


「エリザぁ! もっと速度出せないのか!?」

「これ以上は馬車が倒れます! さっきのアレは使えないんですか!?」

「アレ!?」

かぶらみたいなやつ!」

「こんな車内で使ったら全員おおするわッ! そもそも当たらねえよ!」


 マリナの悲鳴にも似た叫び。その響きが変わった。

 馬車が町の石畳を抜けて、山道へ突入したのだ。


 途端、マリナの視界がガタガタと輪をかけて揺れ始めた。踏み固められただけの道を全力で駆けている以上仕方ない。あかりもケイトが扱う〔陽光式〕によるものだけだ。


 ふと、のんな声が聞こえる。


「あれは――機関銃か?」


 エリザのすぐ後ろの荷台に腰掛けていた皇帝だった。


「陛下、何か仰いましたか?」

「いや、なんでもない辺境伯。――それより回廊にはどれくらいで着くのかな?」

「もうすぐです。――皆さん左側に寄ってください!!」


 エリザはそう叫ぶと同時、一気に片側の手綱を引いて幻獣に方向転換させる。

 巨鈍魔トロールく為に、ギリギリまで待ってから『門』へ続く脇道へと曲がったのだ。

 しかし無理に突っ込んだ車体は大きく慣性に流され、荷台が傾いて車輪の片側が浮いてしまう。左へ寄るよう言ったのは、その慣性を抑え込む為のもの。


 が、エリザの忠告もむなしく、馬車の荷台は慣性に負け――


「まったく、おてんな娘ッ子だな!」


 ――そうになった所を間一髪、アトロが魔導式を起動させ車体を元に戻した。

 恐らく〔力量操作式〕の類いだろう。

 だが驚くべき技量だ。魔杖も無しに移動物体の力量を、しかも自身も移動しながら操作するなど、とても人間技ではない。汎人種ヒューマニーにあんな魔導士がいたとは。


 と、幌馬車から少し遅れて、バリバリと木々がなぎ倒される音が闇にとどろく。

 追いかけてきていた巨鈍魔トロールが、曲がりきれずに転倒したのだ。


 エリザの心に、ほんの少しだけ余裕が生まれる。

 そして、


「見えましたぁ~、回廊の『門』ですぅ」


 エリザの隣で御者台に座っていたケイトがユルい声を上げた。

 なるほど、あれが『門』か。

 エリザの視線の先に待っているのは、崖にぽっかりと空いた洞穴だった。半月型に開いた入り口は随分と大きく、馬車程度ならそのまま中へ入れそうだ。人工的な造りだし、大昔に蓄魔石を採掘していた跡なのかもしれない。


「それでは皆さぁん、もっと近くに寄って下さ~い」


 そう言って、ケイトがエリザの肩に手を置く。

『門』は『銀鍵』を持つ者のみを、別位相の空間へと誘う。それ以外の者にとって『門』は単なる洞窟でしかない。

 そして複数人で回廊を進む場合には、銀鍵の効果範囲内に全員が収まっている必要があった。とはいえ効果範囲は、馬車一台くらいは丸々と収まる程度には大きい。ケイトの言葉は心構えをしろという程度のものだ。

 と、一度はんだ戦棍メイスほうこうが再開する。


「エリザぁ! 巨鈍魔トロールが追いついて来てる、急いでくれ!」


 焦りの混じる声に、エリザは手綱を鳴らして幻獣をかす。

 だが、


「大丈夫、」


 もう洞窟の入り口は目前だ。


「入ります!」


 そのうろへ飛び込んだ途端、身体全身を絞られるような感覚がエリザを襲った。

 あまりの気持ち悪さに思わず目を閉じる。そもそも何も見えない。腐った血液をめこんだたるに頭から飛び込んだようだった。鼻から、耳から、皮膚から、穴という穴から肉体を侵食されるような錯覚。こみ上げる吐き気をエリザは歯を食いしばって耐え、手綱を握りしめた。


 だが幸いにも、その感覚は長く続かなかった。

 まぶたの向こうに光を感じた途端、驚くほどアッサリ身体全身を包む不快感は消え去る。


 恐る恐る、まぶたを開くと、ほろ馬車は上下左右を大理石で固められた巨大な通路の中を走っていた。

 アイホルト回廊へ入ったのだ。


「……ふう」


 エリザはあんのため息をつく。

 アイホルト回廊は外部と隔絶した空間だ。巨鈍魔トロールであろうが、何であろうが、銀鍵無しでは中に入れない。エリザは手綱を優しく引いて、馬車を止める。


「何とか、逃げ切れましたね」

「ああ、間一髪だったな」


 エリザの言葉に、ヒロトがため息混じりに同意する。

 エリザも背後を振り返って「陛下も無事で何よりです」と言いかけ――――途端、言葉を失った。


 振り返った荷台にはあんの表情を浮かべるルシャワール皇帝、ヒロト陛下が腰を下ろしていて、



 そして――――――他には誰も乗っていなかった。



 それどころか、エリザと共に御者台に座っていたはずのケイトも居ない。残されているのはマリナが使っていた『キカンジュウ』と『万槍』のみ。魔導士アトロ・パルカも、せいどう騎士ケイト・リリブリッジも、武装戦闘メイドナカムラ・マリナも。誰一人として乗っていなかった。


 エリザのきようがくした顔に気づいた皇帝も周囲を見回して「これは……」とつぶやく。


「辺境伯、彼らはどうした? まさかどこかで落ちたのか?」

「わ、分かりません――」


 自分でも馬鹿みたいな返事だと思う。

 あまりの事に思考が空回りしているのだ。可能性は幾つも思い浮かぶが、それら全てが最悪過ぎて直視できない。結果、論理的思考が検証すべき対象を見つけられずに足踏みしていた。


「うちの魔導士に念話で呼びかけてみよう」


 そんなヒロトの言葉に、エリザの思考が飛びつく。

 すぐに「わたしもやってみます」と答えて、意識を集中させた。


『マリナさん。今どこですか? マリナさん、』


 しかし、念話は何も返さない。

 そもそも声がつながる感覚が無い。

 それでもエリザは意識を集中して、呼び続ける。


「マリナさん! マリナさんッ!!」


 答える者はない。

 僅かに返ってくるのは、耳鳴りのような雑音だけ。言葉が話せなくとも、感情の色くらいは届くものだが、それすら感じ取る事ができない。


 だが、それはあり得ない事なのだ。

 念話に距離の概念はない。そもそも世界の法則に干渉して動作する念話に、そんなものは意味を成さない。遮るには強力な魔導干渉域か、念話を壊す複雑な対抗式カウンター・マギが必要になる。それでも完全な遮断は不可能で、つながっている感覚程度は残る。


 それでも念話が使えないという事は、

 念話を行う両者がとしか考えられない。

 つまり、


うそ、でしょ……」


 こうなっては疑いようもない。

 理由は分からないが――エリザとヒロトは従者を残し、二人だけでアイホルト回廊へ転移したのだ。外界と完全に隔絶し、位相どころか時間の流れすらも違うアイホルト回廊では、外と念話など通じようもない。


 同様の結論に達したらしい皇帝が顔を上げ、エリザは皇帝と顔を見合わせる。

 と、


 ――ヒュオオォォォォ……


 二人の耳に、風鳴りのような音が届く。

 ヒロトが「はは」と、苦しげに笑った。


「なんだろうね、今の。風なんか吹いてないけど」

「アイホルトの魔獣、かもしれません」

「ほぉ……。そいつぁ、興味深いね」


 皇帝は冗談めかしたように言ったが、自分すらせていないのは明らかだった。


 アイホルト回廊には本来、多くの魔獣がせいそくしている。それを長い時間をかけて駆逐し、安全を確保したのが王家が使う道であり、今回の護送経路なのだ。


 だというのに魔獣が居るという事は、


 つまり、この先に広がるのは地図に載らない迷宮であり、そこには魔獣であふれていて、よしんば出口へ辿たどけたとしても何処どこへ出るか見当もつかないという事。

 それらこの先に遍在するあらゆる死の危険を、エリザベート・ドラクリア・バラスタインは、ルシャワール皇帝ヒロト・ラキシア・ヤマシタ・ルシャワール陛下をまもりながら、切り抜けなくてはならないのだ。


 もちろんエリザだって魔獣や、誤った道へ転移する危険を想定していなかったわけではない。

 だがそれは『わたしとマリナさんなら乗り越えられる』という前提の話だ。彼女とならどんな困難も乗り越えられる。そういう確信にも似た信頼があった。


 ――ヒュオオォォォォ……

 鳴き声が近づいてくる。

 すぐさま行動を起こさなくてはならない。戦わなくてはならない。

 ――だというのに。


 エリザのかたわらに今――メイドの姿はなかった。







【第5話へつづく】

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