scene:01 査問会(その1)
ブリタリカ王国は人類種の勢力圏たるミッドテーレ大陸の西端に位置する大国である。
北をアルフヘイム連邦とゼリアン首長連合、南をヨーツンヘミル大陸のベルグリッジ王朝に囲まれ、幾度となく侵略を受けながら千年もの間、同一政体を維持。それだけでなく他の
当然、その王都であるロマニアは、古豪たるブリタリカらしい美しい都市である。
七つの丘に囲まれミッドメル海を一望できる位置にあるロマニアは、自然と建造物が調和し、
そして今、エリザベート・ドラクリア・バラスタインはその
シュラクシアーナ家の至宝たる、航天船シュラコシア。その船室の窓から見下ろすロマニアは、つい去年まで戦争をしていた国の都とは思えないほど華やかだった。
今も様々な色の
美しい都を眺め、エリザはかつて多くの外交官がそうであったようにため息を漏らした。
――だが、その意味は異なる。
せめてこの
――と、エリザの目の前を流れ舞っていた
何らかの突風に
そう、空を飛んでいるシュラコシアの更に上を、である。
シュラコシアよりも更に巨大な二つの翼と、細長い首と尾。そして全身を覆う
「あれは……」
「
エリザの疑問に答えたのは、向かいに座るロジャー・ベーコン・シュラクシアーナだった。シュラクシアーナの筆頭家臣は相変わらず金色の仮面を付けたままだったが、声色からハッキリと驚きが伝わってくる。
だが、エリザも驚いていることに変わりない。「あれが
千年前――人魔大戦において人類種を勝利に導いた7体の
いわゆる
代々、当代のブリタリカ王が
だが、
「なあー、やっぱりリゼも工房に行きたいんだけど」
そんな事は錬金術士の少女にとってはどうでも良いらしい。
ロジャーの隣に座っていたリーゼが、ソファをギッタンバッタンと揺らしながら訴えていた。どうやらシュラコシアの工房にいる
そんなリーゼを、家臣筆頭であるロジャーが
「駄目ですよリーゼ様。陛下から命を受けたのはシュラクシアーナ子爵なのですから、子爵が報告しなくては」
「えー、ロジャーが行けばいいじゃん」
「私はマリナ様の素体を修復しなくてはなりませんから」
「ズルい! ズルいズルいズルいズルい!! リゼの
「我が
「そうだけどさあー。もうッ」
ブスっとした態度で、リーゼはソファの背もたれに崩れ落ちる。
エリザはそれを
「リゼ、あんな
と
合成獣、とはどういう意味だろう。現王――シャルル・ラウンディア・ロビスド・ブリタリカ七世陛下は当然だが
ふと、妙な浮揚感をエリザは覚えた。
窓の外を見れば、王都の航空庭園が間近に迫ってきている。今の感覚はシュラコシアが高度を下げたからか。
「さ、船が着陸します。公女様、どうぞこちらへ」
「はい」
ロジャーに言われ、エリザは船室から昇降デッキの方へと向かった。
途端、いわれもない寂しさに襲われる。
――いや、理由ならあるか。と、エリザは自身の隣を見やった。
無論、そこには誰もいない。
そう、この三日間ずっと隣で支えてくれた
ナカムラ・マリナ。
わたしの武装戦闘メイド。
出会ってからたった三日間しか
しかもこれから向かうのは査問会。
騎士が問題を起こした際に事実関係確認のために当代の王が招集するものであり、査問会の内容
エリザは思わず心の中で、メイドの名を呼んだ。
――マリナさん、早く戻ってきて。
◆ ◆ ◆ ◆
呼ばれたメイド――仲村マリナはその時、航天船シュラコシアの中心部『第一工房』と呼ばれる場所にいた。
いや、正確には置かれていた。
四肢と腹を
それでもマリナが大人しく待っていたのは、
何をどうするのかマリナには想像もつかなかったが、少なくともエリザには説明があったようだ。ロジャーの説明を聞いたエリザが「よろしくお願いします」と言っていたから大丈夫だろうと信用――いや、思い込むことにした。なにしろ、信用出来なかったとしても、文字通り手も足も出ないのだ。
そうして待ち続けて数時間。
航天船が着陸したと
「気分はどうですか?」
入って来たのは、ロジャーと呼ばれていた男だった。
どうやらこの金色仮面はクソガキの部下の中では一番偉いらしい。しかもクソガキの保護者的立ち位置にいるようだった。
コイツが来たって事は、わりかし大切にされてんのかもな。
そう考えつつ、「ワイン
言いながら、ロジャーという男はマリナから伸びる管を束ねる機械を操作する。
マリナは少し不安になり「それは?」と問う。
「魂魄維持装置です。今はナカムラ様の魂魄がこれ以上損傷しないように蓄魔石の中に折りたたんでいますから、魂魄活動の一部を肩代わりするものが必要なんです。それにただ折りたたむだけだとその状態で固着してしまう部分が出ますからね。人型に形成されていると魂魄に誤解させつつ、あえて不安定な状態で安定させなくてはいけない。その
「なるほど」
――わからん。
まあ、マリナとしては元通りにしてくれるなら何でも良い。
「身体はいつ元通りに?」
「おや、元通りで良いのですか?」
「は?」
思わず素で聞き返してしまった。元通りでなければ、どうするというのか。
マリナの意図を読み取って、ロジャーという男は肩をすくめる。
「ですから何か新しい機能でも取り付けた方がよろしいのでは、と」
「どういう意味でしょうか?」
「マリナ様はエリザベート様を守る
「いえ、炎槌騎士団と戦ったのは――」
言いかけたマリナの言葉を、ロジャーの「はは」という笑い声が
「何を言いますやら。エリザベート様には炎槌騎士団を倒すのはともかく、殺す事は出来ませんよ。そうでしょう?」
ニコリと仮面の下から笑顔を
「まあ、
「……」
「それで、いかがいたしましょう? 腕を増やすも良し喉の奥に剣を仕込むも良し
「ちょ、ちょっと待ってくださいますか?」
急に早口で話し始めたロジャーを、マリナは慌てて止める。
やばい、コイツ社交性のある“オタク”だ。しかもスイッチが入ると止まらなくなるタイプの。クソガキの保護者やれるくらいだからと油断した。
マリナは端的に条件を提示する。
「ひとまず外見的にはあまり変わらないようお願いします。可能な限り頑丈にして頂ければ構いません」
「そうですか?」
「私は戦いだけでなく、日常のメイドとしての業務もこなします。あまり人の姿を離れてしまうとむしろ困るのです」
「なるほどそうでしたか。早とちりをしておりました、申し訳ない」
とりあえず危機は去ったか、とマリナは
エリザの下に帰った時に、
「ではまあ、当家の出来うる限りで、高性能な素体を用意いたしましょう」
言って、ロジャーは伝声管のような管に「素体の10番台を全部持ってきてください」と告げる。ほどなく、ロジャーが入って来た入り口とは別の扉から、金色仮面の集団が大量の
「一つ、伺ってもよろしいですか?」
「なんでしょう、ナカムラ様」
ふと気になり、マリナはロジャーに問う。
「どうして、ここまでしてくれるのですか?」
「ナカムラ様が、
「
「私どもにとっては」
ロジャーは口元だけで
「当シュラクシアーナ家は、千年前の人魔大戦の折に十三騎士へ協力したあらゆる技術者が集まって出来た家です。目的のため一致団結し、互いの知識と技術を結集しようと誓っってね」
「目的?」
「それはまあ――様々です。……ですが有り体に言えば“真理”というものでしょう。それを得れば、シュラクシアーナに集まった全ての家の目的が達成されるわけですから」
似たような話をコミックで読んだような気がするな、とマリナは思いつつ「それがどうして異世界の魂を欲することになるのですか?」と促す。
「この世界が不安定だから、ですよ」
「不安定? 世界情勢がですか?」
「はははッ――世界情勢が不安定なのは間違いありませんが、そんな事で私どもは動きません。我々シュラクシアーナは
ロジャーは金色仮面の集団に
「不安定なのは、この世界そのものです。魔導式などという存在がその証拠。後から幾らでも新しい法則が誕生し、世界を
「だから
「そうです。――とは言ってもそれを
そう言うとロジャーは手を止め、虚空を見つめながら物思いに
「リーゼ様は
ロジャーはマリナへと視線を戻す。
「
「申し訳ありませんが――」
マリナは告げる。
こればっかりは断言しておかねばならない。
「私の主人はエリザベート様と定めております。あなた方の物になる気はありません」
「存じておりますよ。
「……そういう事でしたら」
マリナが承諾すると、ロジャーは
「安心して下さい。私自身、
「は?」
「……いえ、なんでもありません」
ロジャーはニヤけていた口元を真顔に戻して口を閉ざした。
まあ、人の趣味に口出ししても仕方が無いと考え、マリナも追求しなかった。何より、追求しようにも今のマリナは首だけの存在。強気に出る気にはなれない。
マリナは話題を変える事にする。
「そういえば、先ほどからエリザベートお嬢様との念話が出来ないのですが」
「申し訳ありません。魂魄の消耗を避ける
「では、使えるようにして頂けますか?」
「それは――」ロジャーは
なるほど、ありそうな話だ。とマリナは奥歯を
元いた世界でも
「エリザベート様の事が心配ですか?」
「――はい」
心配でない訳がない。
査問会というものがどういうものかは聞いた。マリナの印象としては『軍法会議の前に行われる
――しかしそれでも、エリザの側に居れば何か出来たかもしれない。
そう思うと無念でならなかった。
「せめて念話が通じれば、査問会に向かわれたお嬢様の支えになれたかもしれませんから」
「なるほど……」
マリナの表情を見ながら顎に手を当てていたロジャーは、唐突に「そうだ」と指を鳴らした。
「それなら、良い方法がありますよ」
◆ ◆ ◆ ◆
シュラコシアを降りたエリザはリーゼと分かれ、
それも伯爵相当の貴族が通される豪華な部屋である。この客間に通されたのは、今のところ、エリザは犯罪者でも何でも無いからだろう。査問会はあくまで『事実確認』のために行われる。査問会が終わるまでは、エリザはいち公女として
「それにしても――」
見回せば、チェルノート城のエリザの私室など比べ物にならないほど広い部屋に、チェルノートの町一つまるごと買えそうなほど高価な調度品の数々。どこからかピアノの音が聞こえるが、恐らく使用人の誰かがこの部屋に訪れる者のために弾いているのだろう。王宮内では魔導式が使えない。故に本来魔導式で行うものを全て使用人が肩代わりしているのだ。
エリザは心霊樹を削り出した骨組みで出来たソファに腰を下ろし、
「お金って、あるところにはあるのよね……」
我ながら、貴族にあるまじき発言だと思う。
――と、
唐突にピリッとした妙な感覚に襲われた。
途端、
『お、見えた見えた』
「――え? あれ、マリナさん!?」
聞こえてきたのは、メイドの声。
エリザは思わず立ち上がってしまう。
「マリナさん、念話は使えないはずじゃ……それに見えるって?」
『ああ、ロジャーって
「
『ああ。――なんか、近衛騎士団管轄の魔導管制所経由で
「え、ちょ――魔導管制所!?」
それはつまり王宮の警備用に特別に
それを問うと、マリナは『ああ、それな』と笑った。
『いや、何でもその警備機構を作ったのシュラクシアーナ家なんだと。今使ってるのも点検用のルートだからバレないし、万が一バレても幾らでも言い訳が効くってさ』
「それならまあ――いや! 良くはないんだけど、」
そう、良くはない。
良くはないけれど――ホッとする。
久しぶりに聞いたマリナの乱暴な口調と頼もしさを感じる少し低めの声を聞いて、エリザはは緊張がほぐれていくのを感じた。
『ま、こうしておけばエリザの助けになれるかもしんねえし』
「助け……?」
『そうだ』
マリナの念話から、重々しい空気が流れてくる。
『今のオレ達の状況は、敵地で孤立した軍隊と同じだ。このままじゃ何も出来ずに殺されるだけ。それを避ける
それはエリザも理解している。
――けれど、どうしようもない。
なにしろエリザは後ろ盾も何もない、貴族位の継承すら済んでいないただの公女だ。名目上、竜翼騎士団の団長という事になってはいるが構成員はエリザ一人。そんな肩書き、誰も気にも
そのエリザの懸念は正確にマリナへと伝わる。
そして、
『だから、味方を見つけるんだ』
かつて
「でも味方なんで一人も……」
『ああ、言い方が悪かったな。味方っていうのは利用出来る人間って意味だ。何もお前に好感情を持ってる必要は無いし、そいつらに
そいつを見つけて――利用するんだ』
「でも、誰もわたしを助けようとなんてしないと思うんだけど……」
『何言ってる。間抜けな敵ほど役に立つ味方はいないんだぜ? そして間抜けの内の一人は既に分かってる』
「それは誰――?」
と、客間をノックする音が聞こえた。
エリザは念話を慌てて中断し「どうぞ」と応える。
そうして静かに扉を開けた
「バラスタイン様。査問会が開かれます、どうぞこちらへ」
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