scene:02 チェルノートの終末
嫌な予感がした。
仲村マリナは、チェルノート城から町までの坂道を全力で駆け下りていた。
目的地は、例の商会。
町に入ると目抜き通りに見覚えのある看板が現れる。恐らく商会の名前でも書いてあるのだろうが、残念ながらマリナは
マリナはメイド服についた
――案の定だった。
荷積み場には、この小さな町には似つかわしくない大きな馬車が数台並び、幾人もの荷役が中へ様々なものを積み込んでいた。何を急いでいるのか知らないが、効率もへったくれもなく、とにかく時間が惜しいとばかりに荷台に木箱やら美術品やらを押し込んでいる。商会の職員らしき男たちも何やらピリピリしているようだ。
この様子を見れば、誰もが同じ感想を抱くだろう。
――夜逃げでもするのか、と。
「おう! バラスタインとこのメイドじゃねえか」
「あら、こんにちは」
声をかけてきたのは、昨日も会った荷役だった。確か『エンゲルス』と呼ばれていたはず。マリナが「エンゲルスさんは今日もお元気そうで」と声をかけると、途端に顔を綻ばせ、マリナの方へと駆け寄ってくる。
「なんだいメイドさん。今日は野菜を卸す日じゃねえだろ?」
「お嬢様からお使いを頼まれまして。シュヴァルツァー様のところでしか扱っていないという事でしたので参りました。――なんだかお忙しそうですね?」
マリナが荷積み場に並ぶ馬車を見てエンゲルスに問うと、エンゲルスは愚痴る相手を見つけたとばかりに話し始める。
「そうなんだよ! ……なんか知らんが今朝方、旦那が急に『麓の町から大型発注が入った。急いで用意してくれ』って言い出してよ。こちとら午後番だったのに
「まあ、貴族でもいらっしゃるのかしら」
「あぁ~、あるかもしれねえな。旦那秘蔵の品物まで積み込んでるし。エッドフォード家の誰かが来るのかもしれん」
「――シュヴァルツァー様は、中に?」
「ああ、二階にいるよ。……けど、中には誰も入れるなって言われててよお。町長さんも来てなんか話し合ってんだよな」
くそが。
マリナは舌打ちするのを、すんでのところで堪えた。
こいつは、ますます拙い。
だが、思い違いということも有り得る。何しろマリナは昨日、
だから、念のため聞いてみることにした。
「お尋ねしたいんですけど……今朝、うちのバ――ミシェエラが来ませんでしたか?」
「おう来たぜ。……つーか、俺はあの
最悪だ。
マリナの耳には既にエンゲルスの声は届いていなかった。
城を出てからずっと気になっていたのだ。
あのミシェエラという腐れ干物ババアが一体どこで、エリザベートが魔獣に襲われたなどと聞いたのか。
「――いつだって、一番戦争の気配に敏感なのは商売人だな」
「え、なんだ? メイドさん、なんか顔が怖くねえか……って、おい! 今は中に誰も入れるなって、」
マリナはエンゲルスを無視して荷積み場を突っ切り、商会の建物へと向かう。
脳裏に
毎日しつこく米軍の横流し品を売りつけに来ていた
あの日、いつまでも来ない
マリナは商会の二階へと上がる。後ろからは「ヤバいってメイドさん、戻ってくれよ」と小声で慌てるエンゲルス。しかしこの男に構っている暇はない。マリナは話し声が聞こえてくる扉を見つけると、ノックも無しに開いた。
「っ!? あ、あんた……」
「誰だ、シュヴァルツァー。メイド……?」
部屋の中にいたのは、ふくよかな腹を持つ商会の主人と、メガネをかけた神経質そうな初老の男だった。恐らく初老の方が町長のカヴォスだろう。
二人とも、突如現れたマリナに目を丸くして見つめている。
時間がどれほど残されているか分からない。
マリナは一切を飾らずに問う。
「逃げるのでしょう? 町から」
「な、何を言ってるんだ君は……逃げるって、」
「申し訳ありませんが、言い訳に付き合う余裕を持ち合わせておりませんので単刀直入に。――どこで聞いたのですか?」
マリナは有無を言わさず商会の主人へと詰め寄る。
何もかも知っている。
そう、態度で表現する。
実際にはマリナは何も知らない。ただの勘。経験則でしかない。
だが、こちらが『これだけ知ってるぞ』と言えば相手は勝手にスルスルと話し始めるもの。なにしろ隠す意味がないし、相手がどこまで知っているのか探りを入れたくなるからだ。
シュヴァルツァーは悩んだ末に「き、教会に出入りしてる
なるほど。
どうやらエリザベートを治療した神官と近しい人間が、商会には居たらしい。つまり商会の主人はそこで、エリザが暗殺されかけたと察したのだろう。ミシェエラにその事を話したのは探りを入れる
だが、それだけでは昼間っから夜逃げのような騒ぎを起こす理由にならない。
もっと引き出せるものがあるはずだ。
マリナは「いいえ、そうではありません」と凶悪な笑みを浮かべて、更にシュヴァルツァーへと近づく。そして椅子に座るシュヴァルツァーに半ば覆いかぶさるように、顔を寄せていった。
絹で織られた手袋でシュヴァルツァーの
「違いますでしょう、シュヴァルツァー様? わたくしが聞いてるのはもっと突っ込んだ話です」
「つ、突っ込んだ……?」
「誰が、いらっしゃるのですか? お客様たちの人数は?」
マリナが掛ける丸メガネの向こうで、シュヴァルツァーが唾を
つまり、何もかも
こいつかなり出来る男だ。マリナは心の中で称賛する。こんな田舎町に居て良い商売人じゃない。こうしてマリナに押されているのだって、単にマリナの背後にいる貴族――エリザベートの影を見ているからだろう。マリナがただのメイドなら、この男はシラを切り通したかもしれない。
欲しい、とマリナは思う。
町の物資を管理し、組織的に動かせる部下と同業者による情報網を持つ男。
生まれてこの方ゲリラ屋だったマリナの勘が告げる。
――コイツは使える、と。
マリナの視線を浴びて、シュヴァルツァーは『ぎりり』という音が聞こえそうなほど歯を食いしばってから声を絞り出した。
「……悪いが、俺は逃げるぞ」
「シュヴァルツァー!?」
隣で沈黙を守っていた町長――カヴォスが、シュヴァルツァーを
「お前、本当に――」
「カヴォス、お前も逃げろ。
「町を捨ててか!?」
「何を言ってる!? 相手は『
あの魔獣が返り討ちにあった以上、敵は投入できる最大戦力でやってくるだろうと思っていた。
ふと、マリナが持つ
何かが、落下してくる風切り音。
「――ッ! 伏せて、」
「は?」
マリナは商会の主人をテーブルの下に押し込みながら、自身も床へ
途端、爆音と共に地を突き上げるような衝撃がマリナたちを襲った。
反応の遅れた町長のカヴォスは床に放り出されて頭を打ち、廊下で息を潜めて様子を
唯一、マリナが
「な、なんだ!? 何が起こった?」
「――ッチ、もうか。早いな」
マリナはシュヴァルツァーを無視し、姿勢を低くしたまま窓へと近づく。そして衝撃で割れた窓ガラスを拾うと、鏡代わりに反射させて外を
「何が起こってるんだ! メイド!? 今のは何なんだ!」
「お分かりでしょう? ――開戦の合図です」
割れた窓ガラスに映るのは、町のあちこちから上がる火の手。そして、その周囲の空を飛び回る人影だった。そいつらは
「炎槌騎士団が……。エッドフォード家の懐刀が、来ちまった……」
「おい……シュヴァルツァー、私も逃げることに決めたよ。このままじゃ皆殺しにされる」
「逃げるってどこにだ、カヴォス? この町には騎士どころか魔導士すら居ない。空を飛び回る
「いいえ、ございます」
シュヴァルツァーの悲痛な叫び。
それを、マリナは冷静に否定した。
「は?」
「チェルノート城です。わたくしはお嬢様から町人たちを城へ避難させるよう命じられて
「なんとか? なんとかだって? ――あはははははっ!」
マリナの言葉を、シュヴァルツァーは生涯で一番面白い冗談を聞いたかのように
「あの公女様の城にか? アレに何ができる!? ただの小娘に! 民から税金を取ることすら恐れるような臆病なガキに! 一体何ができるってんだ、えぇ?」
エリザへの本音を漏らし始めたシュヴァルツァーに、マリナは「ふふ」と笑みを
「シュヴァルツァー様の情報網でも
「――なに、」
「だって、昨日の魔獣を倒したのが誰か知らないのでしょう?
「……待て、
「そうです。――エリザベート・ドラクリア・バラスタイン様が殺したのです」
マリナの言葉に、シュヴァルツァーは「そんな馬鹿な」という顔を浮かべる。
その気持ちも理解できなくはない。この世界には銃は存在せず、有力な攻撃手段は剣や弓、もしくは魔導式とかいう魔法しか無いそうだ。
そんな世界で、重機関銃の徹甲弾を弾くような
だが、ここはエリザの手柄にしなくてはならない。
先々の
「
「そんな……だって、公女は『
「その通りでございます」
「じゃあ、どうやって、」
「殺した方法を聞いて、信じられるのですか?」
マリナは外を
「――よくお考えください。いくら政争に負けたからと言って、ただの小娘が騎士団長に任ぜられるとお思いですか?
「だ、だが……」
「でしたら一つ確認をしましょう。――カヴォス様、この町に自警団は?」
唐突に話を振られたカヴォスは「いや、無い」と首を横に振る。
「それで今まで何もなかったのですか?」
「何も、とは……?」
「いえ。別の町からわたくしがここまで来る間に、何度か魔獣を見かけたもので。さぞ、苦労なさったのではないかと」
「――まさか、」
マリナのハッタリに、町長は乗ってくれた。
もちろんマリナが魔獣を見たのは昨日が初めてだ。町長の反応からしても、恐らくこの周辺には野生の魔獣など居ないのだろう。
しかし恐慌状態にある二人は、勝手に想像の羽を伸ばしていく。
あとは、マリナがその想像を肯定するだけでいい。
「そうです。
エリザベートお嬢様が討伐なさっていたのです」
「そんなばか――」
口を開きかけるシュヴァルツァーを遮って、マリナは畳み掛ける。
考えさせてはいけない。
「お嬢様に『
外では再び爆音と炎の柱が上がり、商会の二階を照らし出す。逃げ惑う人々の足音と悲鳴が
あまり時間は残されていないだろう。
だが、この危機的状況はマリナの味方だ。
命の危険がすぐそこまで迫っている人間は論的思考力を失うもの。シュヴァルツァーとカヴォスを抱き込むなら、今、ここしかない。
それにエリザの望み通りに町人を組織的に避難させられるのも、この二人だけなのだ。
「ご決断を、シュヴァルツァー様、カヴォス様。
マリナの言葉に、二人は顔を見合わせる。
そして口を開いたのはシュヴァルツァーだった。
「……もし俺が死んだら、
「ご随意に」
マリナはシュヴァルツァーに
賭けに、勝った。
「では、お二人とも避難の準備を。
わたくしが外へ出て少ししましたら、シュヴァルツァー様は荷役の方々に、カヴォス様は青年団の方々に声をかけて、できるだけ多くの町人を城へ連れて行ってください」
「外へ? あんた、一体何をするつもりで……」
「はい。無礼な訪問客には、それ相応の対応というものがございますから」
マリナの言葉の意味を理解したシュヴァルツァーは「あんた、魔導士か何かなのか?」と問いかける。
「違います」
「じゃあ元騎士なのか? 魔導武具をどこかに隠して――」
「そうではありません」
「じゃあ、どうやって騎士や魔導士とやり合うつもりだ? あんたは一体なんなんだ!?」
「わたくし、ですか?」
マリナは立ち上がると、取り出す『武器』をイメージする。
そしてバサリとスカートをめくり上げた途端、マリナの手の中に一メートル近い長さを持った黒い鉄の棒が現れた。
その鉄棒の名は『バレットM82A2ライフル』。
――12.7 mmの徹甲弾で空に浮かぶ敵機を狙う
マリナはそれを手慣れた手つきで弾倉を確認し、ボルトハンドルを引いて初弾を
そして、マリナを見上げる男たちへ向けて、誇らしげに告げた。
「わたくしはバラスタイン家の――武装戦闘メイドでございます」
◆ ◆ ◆ ◆
時間を少しだけ戻す。
シグソアーラ駐屯城塞を出発した『炎槌騎士団』がバラスタイン辺境伯領チェルノート上空へと到着したのは11刻を少し回った頃だった。
高度、約2000メルト。
リチャード・ラウンディア・エッドフォードは吹きすさぶ風に顔を
「随伴魔導士、各班配置につきました」
「おう」
アンドレの報告を、リチャードは
「よし、燃やせ」
「はっ。――導士長、やれ」
アンドレの命令を受けて、一人、騎士団本隊に残っていた筆頭魔導士が仲間へ念話を飛ばす。命令を受け取った魔導士たちは、魔杖を介して自身の魔導神経を励起。周囲の
魔杖の先端に形成されるのは、拡散系燃焼式を命じられた
着弾した拡散系燃焼式は、まず小さな爆裂式を作動させ、式を
もし、この光景をマリナが目撃したのなら、こう表現しただろう。
――ナパーム弾のようだ、と。
町の囲むように放たれた拡散系燃焼式は、あっという間に炎の壁を作り上げる。魔力で練られた炎は水などでは消す事は
そのどちらも、チェルノートの住民には不可能だ。
「我々は町から逃げ出してきた住民を
「……しかしうちの魔導士たちは優秀ですからね。うっかりすると、一人残らず焼き尽くしてしまうかもしれません」
リチャードの言葉に、アンドレが懸念を漏らす。
火のまわりは、石造りの建物や水路に阻まれてそこまで早くはない。
だが、町の外周を囲むように放たれた燃焼式は、確実に町の住人を追い詰めている。
「では、少し手を抜くように指示しよう。我々はバーベキューを眺めに来たわけではないからな」
「まったくです。……おい、導士長。聞いていたな?
「は! 了解しま――」
導士長の言葉を遮ったのは、爆裂式のような音だった。
――だが、似ているだけで微妙に違う。
それを察した炎槌騎士団の面々は、先ほどまでの笑みを消して眼下の町を見やる。これでもエッドフォード家の最精鋭の一つ。王国でも十指に入る騎士団である。戦場の異変に気づけないほど、緩んではいない。
騎士団の視線の先にあったのは、墜落していく魔導士の姿だった。
それを見たリチャードは『一度に二人も
しかし魔導士は散開させて配置したはず。もし、町に爆裂式を打てる魔導士が居たとしても、二人同時に
リチャードは不穏な気配を感じ、『
「……なんだアレは」
「断空式、でしょうか? かなり高度な魔導式を受けたとしか……」
リチャードの疑問に、同様に魔導士の死体を見たアンドレが答える。
町の外に墜落した魔導士。
その身体は騎士の剣にでも切り裂かれたかのように、半ばから真っ二つに千切れていたのだ。
「だが、魔導士は防壁を展開していたはずだろう? そんな複雑な式を打てば、魔導士の魔力壁を破る前に式が破綻するんじゃないか?」
「――どう思う、導士長」
「ど、同意であります」
魔導式は、式が複雑になればなるほど、成立させるのが難しくなる。
自然現象の延長線上にある現象を引き起こすのであれば簡単な式で済む。爆裂式にしろ燃焼式にしろ、自然界でも起こりうる現象を発展させたものに過ぎない。
逆に自然界で起こりにくい事象を引き起こす
戦場で燃焼式や爆裂式が好まれるのも『妨害を受けにくいから』というのが大きい。
もし、複雑な式を防壁越しに打てる者がいるとすれば、北の大地に住み卓越した魔導神経を宿す
つまり、あそこには何かが居る。
「遠見を開け、導士長。誰がやったか知りたい」
リチャードの考えを察して、アンドレが導士長に命令する。
言われた導士長は探索式によって町にある動体反応を追い、建物の屋上から屋上へと飛び回っている人影を見つけ出した。遠方から魔導士に向かって魔導式を打てる位置にいるのは、その一人だけ。間違いない。
そうして映し出されたのは、黒いワンピースに純白のエプロンを
だが、その姿はまるで、
「……メイド、か?」
――戦場を駆け回っているのは、黒いメイド服だった。
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