1〜3

 俺が呼び出される場所は、その時々によって、事件の現場であったり警察署であったり、様々だ。

 それだけ色々なところで色々なことが起こっているのだと思うと、どうしてもやりきれない気分になる。

 関わり合いになった事件なんてほんの一握り、いや、握りどころかひとつまみもないというのに、そんなことを思うのは、平和すぎる考え方だろうか。


 近くのパーキングに車を停めて、呼び出された場所まで歩いていく。

 警察署以外はいつだって初めて行く場所で、そして二度と行かない場所だから、基本的にスマートフォンの地図アプリを眺めながらの移動だ。

 街灯はあるけれども、もう道は暗い。

 明日も仕事があるし、出来れば早く終わらせて欲しいものだ――そんなことを冷静に思う自分に気が付いて、口の中だけで苦笑した。

 俺も随分と、こうして呼び出されることに慣れてしまったらしい。

 数年前までは単なる一般人で、警察に関わることなど考えたこともなかった――そもそも、関わり合いになりたいと思ったことも、子供の頃に憧れたことだってなかったというのに。

 いや。

 一度は関わったのか、と、二十年ほど前のことを思い返しながらつぶやいた。




「ああ、来たね語部かたりべ君、こっちこっち」


 そう言って渡会わたらい刑事が手を振っている。

 彼の付近に繙多はんだの姿は見えず、相変わらず捕まえたくもない女性に捕まってしまったらしいと苦笑した。

 今回も間に合っているといい。

 そうでないと、後が大変だ。


「お待たせしました」

「いやぁ毎度毎度呼び立てているのは私らだからね、頭なんか下げなくて良いんだよ語部かたりべ君、毎度言ってるけど」


 近付いて頭を下げた俺に、くくく、と笑って渡会わたらい刑事が肩を叩く。

 眉間に皺を寄せて笑うその表情を見ると、ああ俺はまた、事件に関わるのだなぁという実感が湧いてくる。

 これはいつからだったか――覚えてはいないけれども、お決まりになったやり取りだった。

 因みに、ここに繙多はんだがいれば、俺が頭を下げるより先に『やっと来たのか、語部かたりべ』という言葉が入る。

 しかも――素直ではない性格のせいで――鼻で笑いながら。

 今更どうしようもないことは分かっているけれども、繙多はんだはもう少し遠慮やら、配慮というものを身につけるべきだ。

 思慮深くはあるのに、それを行動に反映することがあまりないのだから、全く、困る。


「それで……また捕まってるんですか、アイツ」

「うん、そう」

「今回はどんな人なんです」

「いやぁ今回はね、珍しいかもしれない」

「珍しい、ですか?」


 渡会わたらい刑事は、手のひらを上に向けて、人差し指をくい、と曲げた。

 もはや見慣れたその行動は、相変わらずどことなくアメリカナイズされているように見える。

 それでも、何年もその様子を眺めていれば慣れ、気にならなくなるものなのだろう。

 何事かと首をかしげながら一歩近付いた俺に、渡会わたらい刑事は静かに口を開いた。


「いやぁ、どうもね、繙多はんだ君の顔目当てって感じじゃあないみたいなんだよね」

「それ、って」

「うん、そう。繙多はんだ君の特殊能力ちからのこと、知ってるみたいだよ」




 繙多はんだと俺は、ホームズとワトスンに喩えられることがある。

 別に繙多はんだは探偵ではないし、俺だって復員兵ではなく、高校の教員だ。

 そして繙多はんだでもない。

 ただ文章を書くことは嫌いではないから、もし本当にアイツのを出そうとするなら、書けないわけでもないな、とは思っている。


 俺達が初めて顔を合わせたのは、高校一年の頃だ。

 同じクラスにはなったけれども、アイツは部活にも入っていなかったし、どうにも取っ付きづらい雰囲気がしていたから、友人という関係にはならなかった。

 それどころか、まともに会話したことすらない。

 格好いいと女子の何人かが騒いでいて、どこから仕入れたのか、代わる代わる情報を披露しているのが耳には入っていた程度。

 それも、その騒いでいるひとりと席が近かったから聞こえただけで、わざわざ聞こうと思っていたわけではないのだ。


 そんな繙多はんだと俺の、単なるクラスメイトという関係が変わったのは、夏休み直前のことだった。

 校内での出来事でもない。

 偶然、古書店で顔を合わせたのだ。


 おや、という顔をしたのは、アイツだったけれども、恐らくは俺もだったのだろう。

 そんな顔をしておいて全く無視してしまうのも気が引けたせいで、同じクラスだよなと、そこで初めて言葉を交わしたのだ。


繙多はんだ真実さだざねだ』

『俺は語部かたりべ一路いちろ


 俺が手に持っていた本は適当に選んだものだったけれども、繙多はんだは目ざとく反応すると、中々センスが良いと口角を上げた。

 まだ初対面だったから心を開くまではいかなかったのだろう――勿論俺もだけれども――馬鹿にされた風には感じない笑みだったように記憶している。


 それから、少し、話をするようになった。

 古書店では大して話はしなかったから性格も趣味も分からなかったけれども、本の趣味は合いそうだと思えたからだ。

 恐らくそれは、お互いが思ったことだろう。

 繙多はんだは、話題が豊富だった。

 馬鹿にされるのは冗談ではない――実際にはアイツは、俺が知らないことがあったとしても馬鹿になどしなかったけれども――と思って、俺は俺で、今まで読みもしなかった新聞を読み出してみたりもしたくらいだ。


 俺は無意識の内に、同年代の女を避けていたのだろうと思う。

 男なのだから、人並みに欲だってあった。

 違うクラスではあったけれども、同級生に告白されたこともあったのだ。

 けれども俺は、その同級生と付き合うことはなかったし、わざわざ自分から近付こうというつもりもなく――その当時付き合っていたのが短大生だから、もしかすると、制服が嫌だったのかもしれない。

 彼女もあの時、制服だったから。


 ともかく、そうして俺が覚えのない記憶のせいか同年代の女を避けていた頃、繙多はんだには――クラスの女子達が群がっていた。

 微笑みを浮かべて対応しているせいで満更でもないのだろうと思っていたけれども、それが間違いだったと知るのはすぐのことだ。

 詳しくは、覚えていない。

 ただ、今の俺からしてみると、いかにも繙多はんだらしい、と思う。

 微笑んだまま、静かな声で、強烈な皮肉を吐いたのだ。

 しかもただ単純に聞いただけでは皮肉に聞こえないのだから、たちが悪い。


 そのとき居合わせた人間の、大多数が皮肉としては捉えなかっただろう。

 ただ俺は、それと察知したし、繙多はんだが随分と腹に据えかねていたことにもやっと気付いたのだった。

 波が引いてから、どうしたのかと声をかけた俺に、繙多はんだは静かに息を吐いて答える。


『知性の伴わない会話は苦痛でしかない。ピンクノイズならまだ少しはましだったかもしれないな』


 繙多はんだが何を言っているのか、そのときの俺には理解が出来なかった。

 ノイズは知っていても、ピンクノイズという単語は知らなかったからだ。

 ただ、群がっていた女子達と俺が違ったのは、ピンクノイズとは何かと問いかけた点だったのだろう。


 ふ、と鼻で笑ったアイツに、馬鹿にされたのだと思った。

 ただ、馬鹿にしているわりに説明は詳しく、分かり易かったから、妙だとは思ったのだ。

 それが繙多はんだの素だと知ったのはもう少したってからではあったけれども、そのとき、アイツはアイツの中で、俺を別のカテゴリに入れたらしかった。


 そんなことがあって何が変わったかといえば、その表情だろうか。

 鼻で笑うとか、どことなく横柄だとか、まぁ、傍から見れば随分と性格が悪く見えるけれども、別にそういうわけではない、と思う。

 外面はきちんとしているのだから、まだ良い方だろう。


 他に何か上げるとするなら、やはり距離感だ。

 女子ではないのだし、俺達はどちらかというと単独行動を好むタイプだから、常に行動を共にしようなどということは勿論なかったけれども、集団での行動が求められれば、自然と組むことが多くなった。

 ときには、一緒に本屋や古書店を巡ったこともある。


 その頃から、繙多はんだと俺がセットにされるようになったのだったと思う。

 行動を共にすることが多くなった、ということもあるだろう。

 それと、やはり、名前の印象が強かったのかもしれない。

 繙多はんだ真実さだざね』と、語部かたりべ一路いちろ』、組み合わせて読めば、真実一路だ。

 四字熟語に、そんな言葉がある。


 俺達は、その頃からの付き合いなのだけれども、ホームズとワトスンに喩えられ始めたのは、警察に協力している繙多はんだに俺が巻き込まれるようになってから。

 渡会わたらい刑事だったか、他の刑事だったかは覚えていない。

 けれども、その辺りの人だったはずだ。


 高校の頃は、渡会わたらい刑事の言う『特殊能力ちから』が繙多はんだに備わっていることを知らなかった。

 まぁ、言われたところで、丸きり信じたかと問われればうなずけないけれども、やけに鋭いなと思うことは多かったかもしれない。

 を知ったのは本当に偶然で、繙多はんだもわざわざ知らせようとしたつもりはなかったように思う。

 訊いたことはないから分からない。

 ただ、好んでいるようにも見えないのだ。

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