1〜2

『いやぁ申し訳ない、またでしてねぇ、これから来て貰えませんか』


 相変わらずそんな電話ひとつで、単なる一般人であるはずの俺は事件現場に呼び出される。

 いや、まぁ、両手があっても数え切れないくらいにこうして呼ばれているのだから、改めて言うほどのことでもないのだけれども。


 何故こんなことが始まったのだったかと考えてみると、成り行きでとしか言えない。

 勿論俺が自分から飛び込んでいったわけではなく、繙多はんだがそもそもそういう現場に呼ばれていたのだ。

 では何故アイツが呼ばれるようになったのかという点については、ここでは割愛しよう。

 というより、正直な話を言うと俺もよく知らない。

 ニュースにもなった事件ではあったらしいけれども、本人に聞いてみたところで、面白がって話すようなことはないとあしらわれてしまうからだ。


 ともかく、繙多はんだには以前から機会があって、その日も呼び出されていたらしかった。

 そこでアイツが出くわしたのが、某女史――本人の名誉のために名前は伏せる――だ。

 年齢は――いや、年齢も、本人の名誉のために伏せることにしよう。

 まぁ簡単にまとめてしまえば、その某女史の相手を面倒がった繙多はんだが、渡会わたらい刑事を介して俺を呼んだ、それがキッカケだった。


 確かに、かの女史の相手は大変だったとは思う。

 思うけれども、唐突に繙多はんだの名前を出されて呼び立てられた俺の気にもなって欲しい。

 それなりに長い付き合いではあるし、アイツの数少ない友人のひとりだとは思ってはいても、だからといって、警察沙汰が起きて――まぁ実際は違ったわけだけれども――呼び出されるなんて考えてもいなかった。

 というより、友人がまさか警察沙汰を起こすなど、警察と関わり合いになるなどと考えたことがない。

 何も悪いことなどしていないというのに自首でもしに行く気分で、かなり胃を痛めてしまったことを改めて主張しておきたい。


 呼ばれた場所――警察署ではなくて、住宅街の一画だった――には首をひねり、何と擁護、もしくは言い訳すべきだろうかと悩み、そこへ着く頃にどうにか思い付いたのは『口は悪いかもしれないけれども決して悪い奴ではない』という、あまりに陳腐な言葉だった。

 これは駄目だと絶望的な気分になりながら、だからといって帰るわけにもいかない。

 胃を押さえつつ近くにいた警察官に名前を告げると、奥からやって来たのが渡会わたらい刑事だ。

 繙多はんだが何かご迷惑を、と開口一番親でもないのに頭を下げようとする俺に、渡会わたらい刑事はとんでもないと笑う。

 

『むしろ繙多はんだ君の存在で、私なんかはいつも助けられていましてね』


 俺達よりも十ほど年嵩だろう刑事が、そう言って肩を叩くものだから、安堵すると同時にむしろ、俺の脳みそは混乱の極みへと至る羽目になった。

 建物の中へ案内されながらも目を白黒させる俺の肩を、渡会わたらい刑事はもう一度叩く。

 どうやら、俺が混乱していることに気が付いたらしかった。


『あまり褒められたことではないんですがねぇ、事件の解決に繙多はんだ君の力を借りることがあって。えぇと、語部かたりべさんでしたか。繙多はんだ君との付き合いは長いんでしょう』


 向けられた視線に、少し考えてからうなずいてみせる。

 繙多はんだと俺は、高校時代からの友人だ。

 初めて呼び出されたその頃で言うと、出会ってから八年ほどがたっていたはずだ。

 際立って長いとは言えないかもしれないけれども、人生の三分の一ほどと考えれば、随分時間がたったものだと思えた。


『やっぱり繙多はんだ君は学生時代も女性からモテていたのかな。彼をこうして現場へ呼ぶとね、まぁ、の女性警察官なんかも見惚れたりはするんだけど、どうもね、居合わせた関係者だとか、そういう人に気に入られやすいって言うのかなぁ』


 渡会わたらい刑事は、そこまで言うと立ち止まり、不意に声のトーンを落とした。

 木製の、重厚そうなドアの前だ。

 どうやらそこに、繙多はんだがいるらしいということは分かる。

 けれども、いきなり女性についての話になったものだから、ただでさえ混乱していた俺の頭はしっかりとついて行けてはいなかった。


 ドアに視線をやって、それから少し肩を竦めてみせる。

 その動きは、どことなく大袈裟に見えた。

 あとから聞いた話だと、渡会わたらい刑事は高校時代に海外へ留学していたことがあって、その頃の友人の癖がうつったのだろうということだ。

 まぁ、渡会わたらい刑事については、今は良いだろう。

 手のひらを上に向けて人差し指をくい、と動かすその動きに、呼び寄せられていると分かって俺は一歩、近付く。

 室内からは、かすかに声が聞こえていた。

 案の定というべきか、繙多はんだのものではなくて、女性が一方的に話し続けているような声だった。


『それでほら、彼、いつも機嫌が悪くなっちゃって。今日もね、女性はいないからなんて言って来てもらったんだけど、ちょっと手違いでガイシャの親しい友人だって言うオバサ……っと、女性が押しかけて来ちゃってねぇ。まぁ案の定ね、彼、捕まっちゃったわけですよ』

『はぁ』

『まぁ私らからすると、正直、ああいうタイプの人間は、彼が相手をしてくれていると助かるっていうかね。いや、本当はこんなこと言っちゃ駄目なんだけど。それで、あんまり機嫌が急降下していくもんで、どうしたもんかと思ってたら、彼もさすがに堪えたのかなぁ、語部かたりべさんの名前と電話番号を書いて呼んでくれって言うもんだから』

『はぁ、そうですか……』


 なんとも言えず、俺はただ、そんな気の抜けた返事しかすることが出来なかった。

 ただ、渡会わたらい刑事はどうやら気にしていないようで、また俺の肩を叩く。


語部かたりべさんには申し訳ないとは思ったんですがね、それで繙多はんだ君の助けになるっていうならって、呼ばせて貰ったんですよ。ここいらで彼のご機嫌でもうかがっておかないと、もしですよ、これからは協力しない、なんて言われちゃ困りもんなんでねぇ。いやぁ本当、申し訳ない』

『はぁ……それは、まぁ……名前を出したのは繙多はんだのようですし、構いませんが……あの』

『何か?』

『そういう事情、みたいなものは、聞いても良かったんでしょうか。俺……私は、ただの一般人なんですが』


 俺の困惑した声を聞いた渡会わたらい刑事は、得心がいったとばかりにうなずいてみせる。

 これは駄目だな、と、何もかもを引っくるめて俺は、感じていた。

 つまりはその時点で厄介ごとの気配しかしていなかったけれども、だからといってやはり、帰るわけにもいかなかったわけだ。

 というか、退路がそもそも用意されていなかった、というのが正しいかもしれない。


『いやぁ、申し訳ない。恐らくね、彼に協力して貰っている限りは、語部かたりべさんとも顔を合わせる機会が、これからもあるだろうから』

『……は』

『ま、無理しない程度で』


 ははは、と軽く笑って、俺の肩を叩く。

 つまりこれからも顔を合わせるのか、なんて、単に言葉の並びを組み替えただけの間抜けな思考が頭の中に浮かんでいた。

 巻き込まれたし、これからも巻き込まれる。

 拒否する権利はどうやら、ない。

 俺がその時点で理解出来たのは、それだけだった。


 アンティーク調の、くすんだ金色をしたドアノブに渡会わたらい刑事が手をかける。

 良いですか、と声をかけられて、俺は仕方なくうなずいてみせた。

 ここで良くないと答えて、それじゃあ、と帰ることが出来るなら今すぐにでもそうしたいとは思ったけれども、そんな選択肢がないことはよく分かっていた。

 それに、あまり待たせて文句を言われるのも面白くない。


 そうして、そのドアの向こう側、待っていたのが恐ろしいほどにお綺麗で完璧な笑みを浮かべる繙多はんだと、そんな繙多はんだが大層お気に召したらしい女性だった。

 ドアから垂直方向に置かれたソファセットへ、差し向かいで腰掛けている。

 アイツの表情を見たときにまず何より思ったのは、これは一足どころか二足も三足も遅かったな、だ。

 ただ、間に合った、とも思う。

 あと数秒遅かったらきっと、繙多はんだは様々あげつらうように、これでもかと失礼極まりない言葉を並べ立てていたことだろう。


 俺がワトスンで繙多はんだがホームズ、それはたまに言われるけれども、繙多はんだがホームズより優れているのは、クスリをやらないところと、ひとの感情に対して思慮深いところだと俺は思っている。

 欠点は、ボクシングが出来ないところと、ヴァイオリンが弾けないところか。

 まぁ、それは置いておくとして。

 そんなホームズより優れている点が、どうやら功を奏したらしかった。

 女性は大変な上機嫌で、繙多はんだはお綺麗な微笑みを湛えている。

 本人の機嫌はどうであれ、丸く収まっているように、傍目には見えるのだ。

 これで繙多はんだに助けが必要だと分かっている辺り、渡会わたらい刑事もそれなりに長い付き合いがあるのか、いや、学生時代のことを知らない様子で話していたから、刑事の勘というやつなのだろうか。

 どちらにせよ、さすがだ。


『やっと来たのか、語部かたりべ


 繙多はんだが俺に視線を向けて、ふ、と鼻で笑う。

 向かい側のソファに腰掛けている某女史は、そんな繙多はんだの表情に少しだけ面食らったようにその横顔を眺めたけれども、それも魅力のひとつとして捉えることにしたらしかった。

 目がハートになっている、なんて古いギャグ漫画のような表現がよく似合う。


 十中八九――というより完全に、俺はこの目をハートにしている某女史を引き剥がさなければならないらしい。

 これは難儀しそうだと腹の中だけで苦笑して、俺は渡会わたらい刑事と共に二人へと近付いた。

 歩を進める度にまた胃が痛くなる。

 こう言ってはなんだけれども、こじらせていそうなタイプだった。


『悪かったよ、でもろ』


 苦笑気味に、そう返す。

 何に間に合ったのか、勿論某女史以外は理解していて、当の繙多はんだもまた、少しだけ鼻で笑ってみせた。


『お前はアフリカゾウだな』

『お褒めにあずかりまして』


 褒められている気はしなかったけれども、溜め息混じりに返せば、繙多はんだ繙多はんだで口角を上げる。

 やはり褒め言葉だったらしい。

 アフリカゾウは、嗅覚が優れていると言われるイヌの二倍の嗅覚受容体を持つ、という研究結果が数年前に発表された。

 つまり、俺の嗅覚が優れていると言いたいのだ。


 俺達のやり取りに、渡会わたらい刑事も某女史もついて来られていないようだった。

 これでもし何か反応出来たなら――たとえその知識がなくとも、関心を持てたなら――繙多はんだも少しは某女史へ興味を向けただろうに。

 いや、反応出来ないから俺が呼ばれることになったのだ。

 どうしたものかと漏れそうになる溜め息を既のところで抑えて、ともかく、繙多はんだの機嫌が少し持ち直したことに安堵する。

 向けられる渡会わたらい刑事からの期待の眼差しに俺は、あまり期待しないで欲しいものだと腹の中だけでぼやいていた。


 因みに言うと、その事件――殺人事件だ――は、被害者の夫が犯人だったらしい。

 某女史はといえば、被害者ではなく、夫と親しい間柄であったと聞いた。

 かの女史は何を思って訪ねてきて、そして何を思って繙多はんだにちょっかいをかけていたのだろう。

 夫婦間に、三人の間に、どんな問題があったのかは知らないけれども、なんともひどい話だ。


 他人事ではあっても何とも言えない表情をする俺に、繙多はんだは言った。

 所詮そんなものだと。

 何に対しての言葉なのか訊けないまま、その話は記憶の隅に追いやられる。

 ともかくもそれが、俺が関わり合いになった初めての事件だった。

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