1〜4
名は体を表すという言葉がある。
俺であればこうして、俺自身に降りかかった出来事や、過去と現在、
では、
男が、ダイニングチェアに横を向き、腰掛けている。
正面に立った
その人となりを知らなければ、ひどく冷たく、むしろ機嫌が悪く怒っているようにも見えることだろう。
いや、実際
「少し、口を閉じていて貰えませんか。俺はデュパンのように過ごすのが好きなんだ」
高校の頃聞いたピンクノイズの話を思い返しながら、俺は二人の男を眺めた。
腰掛けたままの男は、
その表情を見れば、口を閉じているように言われたからではなく、反射的なことだったと分かる。
男が一瞬、口を
節くれ立った右手が、男の額を押さえた。
「お、おい、何なんだ!」
「覗かせて貰う」
「は? 覗くって何を」
その場に立ち会っている
「貴方はただ黙っていればいい。俺は勝手に、覗くだけなのだから」
「なに、を……」
表情を変えないまま、
男を襲うのは、急激な眠気だ。
抗う気力さえ持てなかったのだろう、文句を言いかけたままで、目を閉じた。
一拍、二拍。
部屋の外からはざわめきが聞こえているけれども、この部屋に限ってはひどく静かだ。
四人分の呼吸音だけが、空気を震わせている。
「頼んだぞ」
「ああ」
一瞥もくれずに言う
全く、不便なものだ。
俺だけでなく
いや。
その
額に当てていた右手を、少しだけ離す。
親指と人差し指、それと、中指。
三本の指で、俺達には見えない何かを摘んでいる。
「じゃあ、覗かせて貰おうか」
静かに、ゆっくりと右腕を広げる。
それから、
一瞬、男の額あたりがぶれた。
解いたのだ。
そこにあった、紐を。
――真実を、
それが、
以前――ほんの四、五年前――そう
アイツはシャーロック・ホームズが好きだ。
けれどもアイツはポアロも好きだし、コロンボも、ミス・マープルも、エラリィ・クイーンも好きだ。
勿論、金田一耕助も明智小五郎も好きで、そして殊の外、C・オーギュスト・デュパンを気に入っていた。
だからアイツは日中、雨戸とカーテンを締め切って、ろうそくの火を灯しながら本を読んだりするのを好んでいる。
『私』役はもっぱら俺で――デュパン達と違って俺達は同居していないけれども――一緒に読書をすることもあるし、語り合うこともあるのだ。
俺の唐突な問いかけに、
訝しんでいるのは分かったけれども、無言でその表情を眺めれば、俺が引くつもりがないことを悟ったらしい。
顎に親指を当てて暫く黙り込んで、そうしてから、軽い溜め息と共に俺を見やった。
『感覚的な問題だ。言葉にすることは難しい』
確かにそうかと納得して、けれどもやはり、どんなものなのかは気になってしまう。
かといって、自分で体験したいとも思えない。
いや、感覚がどうなのかは気になるけれども、俺の真実を
やましいことがなくとも、普通はそう思うだろう。
『真実を知りたい、知らなければならない――
『紐?』
『
とはいえ別に、常からひとの額に、紐が見えているわけではない。
そして、なにも、紐は額にだけあるわけでもないのだと、
『それで、
『そうとも言えるし、そうでないとも言える』
『曖昧だな』
『感覚的な問題だからな。お前だって、説明出来ないだろう』
片方の目を
確かにそうかと、俺はその日二度目の言葉で、二度目の納得をしていた。
それでも俺がまだ、すっきりしないとばかりの表情をしていれば、
この男は、別に無口な男ではないのだ。
『紐と捉えているのは、単なる俺の感覚だ。俺と同じような力を持つ人間が他にいて、それがどんなものなのかと訊ねたら、たとえばある人は鍵と言うかもしれないし、ドアと言うかもしれない。ドアといっても、現代の多くの住宅についているような洋式のドアなのか、日本家屋の昔ながらの引き戸なのか、もしかすると自動ドアと言うかもしれない』
『
『それか、名に縛られているのかもしれないな。多くを
お前はどう思う、と
どう、だろうか――ふと心の中でつぶやいて、じっと考え込む。
名に縛られる、そういうことはあるだろうか、と。
けれどもすぐに、恐らくある、と俺はそう思った。
そしてそれと同時に、勝手に縛ってくる力が働いているだけではなくて、自ら縛られに向かうのだとも思う。
縛られなくてもよいものを、そうでなければならないのだと思い込む。
ただそれは、自らだけの問題でもないのだろう。
周囲の人間が、そうと期待する――意識的にしろ、無意識にしろ――そんなことがあるのじゃないだろうか。
『
『
『むしろ、視聴者が、周囲がそうと期待している、という点だ』
ろうそくの火に照らされながら、
どうやら俺の答えを楽しんでいるらしい。
何も面白いことを言っているつもりは、ないのだけれども。
『つまり?』
『つまり……』
先を促され、一瞬言葉に詰まる。
けれどもその表情を見れば、言い切らない内はどうにも許してくれるつもりがなさそうだと、結局口を開いた。
『名前に縛られているのは
『ふぅん。それはそれで面白いな』
背もたれに深く身を預けて、ふん、と鼻で笑う。
どうやらお気に召したようだ、と思いながら、手に持ったままの本の表紙を、何気なく指でなぞった。
『それなら、そうか、俺はお前に期待しているということなのだろうな』
『
目をしばたたかせると、一人がけのソファでゆったりと座る
『
『それは……』
『だからお前は、語るといい。これからも』
自慢げに鼻で笑った
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます