第18話

 受付に要件を告げ、応接室に案内されてから30分が経過した。


 豪華だが、成金趣味にならぬよう気を配った品のある部屋である。合成ではない、天然の皮を使ったシートに、緊張で身を固くしたレイラが沈み込んでいる。


 カンザキは珍しく、出されたコーヒーに手も付けず、部屋の中をうろうろと歩き回り壺を持ち上げたり、絵の位置をずらしたりしていた。


「ちょっと艦長、落ち着いて座っていなさいよ。失礼でしょう?」


「約束通りの時間に来た客を何の説明もなしに、30分も待たせることは失礼じゃ

ないってのかい。」


 カンザキが感情のない、乾いた声で答える。


「そんなこと言ったって、相手は偉い人なんだから仕方ないじゃない。きっと忙しいのよ。」


「時間の流れはこの世で唯一の平等だ。偉かろうがなんだろうが、他人の時間を浪費させてよい道理があるものか。」


 振り返りもせず、壺の中を覗き込みながら続けていった。


「どうせ大した用事があって遅れているわけではあるまい。こういう連中は、相手を待たせることで自分の方が立場が上だと思いたがるのさ。勘違いも甚だしい。私は小物です、と大声で喚き散らしているようなものだ。」


「それはちょっと言い過ぎじゃあ…。」


 ずっと部屋の調度品を調べているカンザキの行動に疑問を持ったのか、レイラは不意に顔をしかめて

「艦長、まさか…これ?」

 といって、耳たぶをつまんで見せた。盗聴されているのか、というジェスチャーである。


「そう考えて色々と調べてみたんだがね。」


 カンザキは肩をすくめた。しかし、素人が探して見つからなかったからといって、無いという保障にはならない。

 まさか盗聴を根拠に今までの会話を咎められるようなことはないだろうが、心証は最悪である。


 そんな思いを知ってか知らずか、カンザキはようやく調度品から目を離し、まっすぐにレイラを見据える。


「自治領を発つ前日にね、社長から頼まれているんだ。レイラ君をよろしくって。力になって欲しいと。」


「社長がそんなことを…?」


「小なりと言えど自治領主様がだ、どこの馬の骨ともわからん船乗りに頭を下げたんだ。本当に偉い人、素直に尊敬できる人とはああいう人を指すのだな。私は社長のことがますます好きになったよ。おっと、変な意味じゃあないぞ。」


 クロサワは普段から気弱な男である。カンザキは何にでも冗談を絡めようとするいい加減さがある。しかし、二人の共通点としていざとなれば真剣に事に当たれるという面もあった。


 資源惑星を売る。どのような手段で行い、目標金額はいくらに設定するか。二人の間に熱い議論が交わされたことだろう。カンザキは道理を通すために。クロサワは仲間を守るために。


「なんてロマンチックなのかしら…。」


「え?」


 すっ飛んだ感想に、今度はカンザキが面食らう番であった。


 レイラは興奮した面持ちで立ち上がり

「人が人を救うために行動する。世にこれほど美しい行いがあるだろうか、いや無い!」


 もしもこの部屋が盗聴、あるいは盗撮されていた場合、この光景も全て筒抜けなのだろうかと考え、カンザキは左右に目を走らせた。もっとも、さんざん探した後なのである。いまさら慌てたところで見つかるようなものでもない。


 どうもこの女には妙なところで感動したり、熱くなる癖があるようだ。これでスペース・デブリのクルーには非常識だなんだと言い、自分だけはまともだと思い込んでいるのだから少々無理がある。


「正義が常に勝利するとは限らない、だが正義を成すものが俯いて歩く必要は無いッ!」

「なにそれ…?」

「艦長が言いそうなセリフを考えてみたわ。」


 言うだろうか?言うかもしれない。自分は他人から見ると、このように映っているのかと思えば、赤面し、反省するカンザキであった。


 ともかく、アルコールではなく、情熱に頭をやられたこの酔っぱらいを落ち着かせようとしたそのとき、応接室のドアが開き一人の男が入ってきた。


「どうも、遅くなりまして。」


 まったく悪いと思っていなさそうな口調であった。

 レイラは慌てて背筋を伸ばし、一方のカンザキは無遠慮な視線を投げつけ、じろじろと観察している。


 襟元の階級章は政府軍准将のものだ。するとやはり、この男が管理局の局長なのだろう。歳は40そこそこといったところか、閣下と呼ばれる地位に就くには若いように思える。

 よほど優秀なのか、あるいは相当な悪事を働いてきたのだろうかと、カンザキは冷めた目で見ていた。


 男は、管理局長のシャイビヤと名乗った。


 細身で、どこか神経質そうな印象を与える男だ。顔に浮かんだ笑みは、微笑みというより張り付いた不気味な薄笑いというふうに見える。この男が一連の事件の黒幕だと知っているからこその悪印象に基づいた評価であり、他の者から見れば魅力的な笑顔に見えるのかもしれないが。


 カンザキはこの笑みを、人を見下した笑いだと受け取った。


 自分たちだけではない。市民、大衆、開拓者、己以外のありとあらゆる人間を見下している。だから他人の夢を踏みにじりながらへらへらと笑っていられるのだ。

 なんとしても、こいつの鼻っ柱をへし折ってやりたくなった。


 シャイビヤはシートに腰かけると、左手に持っていた数枚の紙をテーブルに放り投げた。クロサワ運輸から提出された、惑星売却に関する申請書と、惑星の資料である。


「自治領星の売却という話でしたが、クロサワ運輸さんは一度、開拓を申請していますので買い取りの際は多少の税がかかります。これは当然ご存知ですよね?」


 決定事項だと言わんばかりの物言いである。事務的に話を進めようとするシャイビヤの言葉を遮るようにカンザキが


「お話の前に、まずはこれをご覧ください。」

 と、懐からビンを取り出しテーブルの中央に置いた。


 さすがに今回はウイスキーのビンではない。円柱型の透明なビンである。小さな白いラベルが張ってあり、カリドゥス液、クロサワ運輸、自治領、と箇条書きにしてある。


 蓋がきつく締められたビンの中で、液体燃料は黒くなり、焦げ茶色になりと、時とともにその色彩を変化させている。これは人殺しの道具に使われるものだと、見る者すべてを納得させるような怪しい光を湛えていた。


「自治領で採れたての液体燃料、カリドゥス液です。」


 シャイビヤの表情はぴくりとも動かない。ただ、その視線だけがビンに注がれている。


「あんまり驚かないんですね。」


「資源が豊富らしい、くらいのことは聞いていますよ。それで、まさかこんなことで高く買えとでも?」


「ダメですかねえ?」


「例外を認めてしまえばこれから先の惑星売買で、資源がどうの、開発状況がどうのと難癖をつける輩が続出しますからね。まあ、ご理解ください。」


 その反応も想定済みである。カンザキは柔らかなシートに深く尻を沈めると、仕方がないなとばかりにため息をついた。


「じゃあ、いいです。」


「ほう?」


 捨て値で売ってもいいという意味じゃないんだよ ───…

 今度はカンザキの口元に、嘲笑が浮かんだ。


「第二宙域の管理局に話を持っていきますから。」


 シャイビヤの薄笑いが消え、代わりに明らかな不快感が滲み出た。


「そんなことできるわけがないでしょう。これは第三宙域の問題であり、第三管理局の管轄です。第二管理局へ行ったところで、バカを言うなと追い払われるのがオチですよ。」


「普通はそうでしょうなあ、とんだ越権行為だ。ですが、液体燃料の豊富な資源惑星とくれば、多少の無理を通してでも手に入れたくなるのが人情というものではないでしょうか。当事者同士で売った、買ったという既成事実を盾にしてね。」


「………。」


「軍需物資の採取できる資源惑星を独占した場合の、利益と軍事的優位性はどのくらいのものなんでしょうね。そして、それを第二管理局という、いわば他国に確保されることの意味は?」


 シャイビヤの青白い顔が薄く朱に染まる。こいつはなんて嫌な奴だと思われているのだろう。それでいい。


 地位、名誉、財産、年齢、性別、その全てに関わらず、人を殴りつけておきながら反撃されないと思い込んでいる奴は狂人だ。人の矜持を賭けた戦いに安全地帯など無いということを教えてやる。


「こちらから金を出せ、出せとばかり言うのも心苦しいので、正当な値を付けていただけるのであればオマケも用意しますよ。」


「………。」


「不幸にして、海賊たちに、捕まっていた、政府軍の中尉どのとかね。」


 ひとつひとつ区切るように言った。むろん、あの男がそんな経緯で海賊船に乗り込んでいたわけではないが、そういうことにしておこうという提案である。


「あれが何を話したのかは知りませんが ───…。」


「はい。」


「管理局局長などという地位についていると、つまらぬ誹謗中傷、あるいは捏造によって私を陥れようとする輩など、腐るほどいるのですよ。」


 明らかな敵意のこもった目でカンザキを睨みつける。気取った、慇懃無礼な態度はかなぐり捨てたようだ。


「あの程度の小物が、私の脅威になるとでも?」


「ならんでしょうなぁ。」


 と、あっさり引き下がる。ふと見ると、不安げな顔をしているレイラと目が合った。大丈夫、心配するな。そんな意味を込めて軽くうなずいた。


「しかし、先ほど申し上げましたように、第二管理局は中尉の存在をどう考えるでしょうか?海賊と癒着して無辜の市民の生活と生命を脅かし。航路を封鎖して開拓を失敗させ接収しようという計画の全貌を知っており。自らの罪も認めている。」


「…それで?」


「あなたの不正を糾弾し、資源惑星を奪い取るいい口実になるのではないでしょうか?」


 証拠能力は証人や証拠品そのものでなく、提出した人間の立場によって変わる。哀しいかな、それが無法地帯と化した第三宙域の実情である。

 ただ中尉を裁判所に引きずり出したところで麻薬中毒患者の戯言と扱われるが、第二管理局から出されたのであれば、強烈な圧力がかけられる。


「地質学者の先生は資源の情報をあなた以外に漏らさなかったようですね。いや、律儀なことだ。」


 クロサワ運輸の依頼内容を軍に漏らしている時点で律儀でも何でもないのだが、話に勢いを持たせるために言っているだけであって、細かいことなどどうでもよかった。ひょっとしたら消されているのかもしれない。この男ならそれくらいやるだろう。


 シャイビヤの鋭い眼光、その威圧感に飲まれぬよう、カンザキは腹に力を入れて話を続けた。


「局長、あなたは今回の一件を、惑星を発見した田舎者が舞い上がって開拓に失敗したという、いわばよくある話として処理したかったはずだ。できればそれが資源惑星であるということも隠したかった。目立ちたくなどは無い。第二管理局を巻き込んで裁判沙汰やらスキャンダルの晒しあいなど言語道断まっぴら御免、そうではありませんか?」


「…続けろ。」


「あなたの目的は資源惑星の確保であって、安く買いたたくことは、もののついでに過ぎない。」


「………。」


「こちらの言い値で買うか、買わないか。答えてもらおうかい、ミスター・シャイビヤ!」


 語気を鋭く、止めとばかりに言い放った。


 数十秒か、あるいは数分か。時間の感覚も曖昧なまま、二人は睨みあっていた。

 シャイビヤの瞳は危険な光を宿している。目の前の無礼者をどうやって殺してやろうか、そんなことを考えているようにも見える。


 そんな鋭い空気の中に、レイラが割って入った。


「シャイビヤ局長、私たちは法外な値段で押し売りに来ているわけではありません。ただ、惑星と埋蔵された資源の価値を正当に評価して欲しいだけなのです。」


 これはカンザキにとっても予想外な展開だった。レイラが途中で口を出すなど

打ちあわせには無かった行動だからである。


 だが、カンザキはこれを咎めず、むしろ任せてみようという気になっていた。


 いつかスペース・デブリの中でヴァージルが言った。これはお前の旅だと。そうだ、これはレイラの旅であり、レイラの戦いだ。自らの手で決着を付けようとするのもいいだろう。

 例えそれがどんな結果をもたらすにしても。


「私たちと、対等の取引をお願いします!」


 何の小細工も無い、レイラのまっすぐな言葉である。


 また、しばしの沈黙。俯いたシャイビヤの肩が微かに震えていた。


 何事かと怪訝な顔を見合わせるカンザキとレイラ。二人の前で、シャイビヤの口から笑いが漏れた。


「はは… あっははははは!」


 自らの膝を叩き、大声で笑い出した。段々と大きくなり、ついには部屋全体に響くまでになった。


 レイラはその様子を茫然と眺めていた。何が起こっているのか、理解が追いつかない。


「うははは!うひゃっははははは!!」


 今までの冷酷な官僚というイメージはどこへ行ったのか、狂ったように笑い続ける。


 やがて哄笑も治まると、水差しを手に取ってコップにも注がず、直接あおった。

口の端から漏れ出る水を手の甲でぐいと拭う。


「さて、具体的な支払方法と金額について話し合おうか、お二人さん。」


 今までとは質の違う、柔らかな声であった。

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