第13話

 軽トラックの運転席から、ひとりの男がのそりと出てきた。歳は40代後半から50代前半といったところだろうか。あごの突き出た、気弱そうな男だ。


 ビール腹を撫でながら、レイラと何事か話している。やがて、こちらを向いて軽く手を振ってきた。この開拓地のリーダーであり、社長であるクロサワだ。


 さすがに無視するわけにもいかず、アルグスも軽く頭を下げる。すると何を思ったか、クロサワはこちらに近づいて、切り株の一つに腰を下ろした。護衛の連中も慌てて駆け寄ってくる。

 それきり、口ごもったままである。何か話しかけようとしているが、うまく話題が出てこないといったところだろうか。


 アルグスは空になった皿を足元に置いた。おかわりは自由であり、普段なら3杯は食べるのだが、この惑星の最高指導者に絡まれたままでは、ちょっとおかわり盛ってきますとは言えるはずもなかった。事実上、自分の生殺与奪を握っている相手でもあるのだ。


「ああ、その、なんだ。ここでの生活には慣れたかい?」


「え?ええ、まあ、ぼちぼちといったところで。」


 またしても会話が途切れる。強制労働をさせている捕虜に向かって、生活に慣れたかはないだろう。

 最高指導者などとはいっても、見るからに普通のおっさん、というのがクロサワに対する率直な感想であった。


 間が持たないので、アルグスから話題を投げかけた。


「そういえば社長は以前、運送業を営んでいらしたそうで?」


「いや、そんなに立派なもんじゃないよ。本当に名ばかりの会社で、大企業の使いっぱしり。この星の開拓だって、皆にお金を出し合ってもらってさ。メチャ貧乏、ははは…。」


 苦笑いしながら頭をかく姿は、やはり垢抜けない中年そのものである。どうしてそんな男が惑星自治領主の座に収まったのかと、アルグスは逆に興味を持った。


「使われるだけの生活から抜け出すために、一念発起して惑星探索に乗り出した、ということですか?」


 クロサワは答えなかった。ごまかすためなのか、視線を宙に浮かせたままである。後ろに控えるレイラも眉を八の字にしたまま、空を見上げていた。護衛達も似たような顔をしていた。


 実は古くなったレーダーを修理も買い替えもせずに騙し騙し使っていたのだが、ついに壊れて航路を外れたところ、たまたま未知の惑星を発見したのであった。

 仲間内で笑い話や苦労話として語るならともかく、こんな情けない話を捕虜に向かって語れるはずもない。この場の社員揃って飴玉を飲み込んだような顔をして、空を見上げるしかないのであった。


 話題を変えるため、というわけでもないだろうが、レイラが小声で

「社長、そろそろ本題に。」といった。


 クロサワは姿勢を正し、アルグスとしっかり目線を合わせる。


「君たちの処遇が決まった。というよりお願いしたいことがあるんだ。」


 アルグスは緊張で身を固くした。同時に困惑もしていた。憎き敵であり、今や虜囚の身となった自分たちにお願い、とはなんだろうか。殺すなり働かせるなり、いずれにせよ命令すれば済む話だ。


 クロサワの言葉は、そんな想像のさらに先にあった。


「これから本格的に、開拓地の仲間になってくれないか?人手はまだまだ足りないし、惑星の防衛も考えると、戦闘艦を動かせる人員も欲しいし…。もうしばらくは無給で働いてもらうことになるけど、まずは食事の質くらいは良くするよ。」


 耳を疑った。クロサワの顔をまじまじと見たが、どうやら冗談を言っているわけではないようだ。


 改めて自らの罪と向き合わねばならないのかと、沈鬱な表情で

「俺たちは今まで、政府の軍人と組んで、あんたたちを、その…航路を封鎖して、輸送艦などは…、殺して――…。」


 血を吐くように、ひとつひとつ言葉を紡いだ。いい終わる前に、クロサワは、もういい、と呟いて首を振った。


 アルグスは怪訝な表情で聞いた。

「もういい、とは?」


「いいじゃないか、そういうのはもうやめよう。俺たちは確かに苦しめられた。でも、君たちだって先の戦いで多くの仲間を失った。裏で糸を引いていた政府の軍人は今も独房に入っている。血が流れ、責任を取るべきものは捕えられた。もうここらで殺すの殺さないのってさ、やめようよ。」


 クロサワの表情は厳粛なものであった。目に、哀しみの色を湛えている。決して死んだ仲間たちのことを忘れたわけではあるまい。耳障りの良い言葉を無責任にまき散らしているわけでもないだろう。

 前へ進むために、互いの憎悪を断ち切ろうという決意だ。


 まるで頭部を鈍器で殴られたような衝撃だった。権力に負けて惨めな思いをしてきた。艦隊戦で負け、囚われの身となって現在に至る。それでも自分の中には、反抗や意地のようなものが残っていた。


 そんな安いプライドが今、粉砕された。男として、人として負けたと感じたのは初めてだ。

 人に許される、受け入れられる。それはなんと新鮮な感情だろうか。


 子供のころから盗みを働いてきた、それしか生きる方法を知らなかったからだ。母の命じるままにスリや置き引きを繰り返してきた。


 父の顔は知らない。母に聞いたことはあるが、

「誰が親父なのかわからない。」といった答えしか返ってこなかった。


 捕まれば警官に骨が折れるまで殴られ、帰れば母親に、ヘマをしやがってとまた殴られた。身元引受にも来なかった母だ。


 盗んだものは全て取り上げられた。罪と惨めさだけが積り、手元には何も残らなかった。


 13歳の誕生日に、泥酔した母の喉にナイフを突き立て、そのまま家を出た。

 大した捜査もされず、追っ手も来なかった。それがいっそう、自分には価値がない、世間は自分に興味がないのだという思いを強くした。


 まっとうな道に戻ろうと試み、努力した。同じ数だけ挫折した。何をしている時でも心の奥底に澱のように溜まった惨めさを感じていた。


 このまま何も残せずに処刑されるとすれば己の人生はなんだったのか。人の形をした抜け殻だと、そう思っていた。

 今、初めて人に必要だと言われた。一緒にやろうと、開拓に必要だと。


 アルグスの全身から力が抜け、腰かけていた切り株からずり落ちた。膝をつき、地につけた手は爪痕を立てて土を握りしめる。


 泣いた。人目もはばからず、大の男が声をあげて泣いていた。声を聞きつけて部下たちが集まって、何事かと遠巻きに見ている、


 泣いて何が悪い。俺は今、初めて人間としての生を受けたのだ。これは産声だ。


「社長、お願いします!俺たちを仲間にしてください!何でもします、償いもします。もう一度、俺にまっとうな道を歩む機会をください!」


 アルグスの真剣な態度に心打たれたのか、あるいは開拓者の一員と認められれば

処刑は免れるだろうという打算か。一人、また一人と海賊たちが集まり、俺も仲間に、仲間にと叫びながらひざまづいた。


 アルグスが顔を上げると、ぼやけた視界の中でクロサワは優しく微笑んでいた。


「わかった、これからはみんな開拓者の一員だ。ようこそクロサワ運輸へ。」


 クロサワの宣言に、男たちの熱狂はさらに高まる。勢いよく立ち上がり、天に向かって拳を突いて、社長、社長と叫びだした。


 クロサワコールが巻き起こる中、いつの間に輪の中に入っていたのか、副官が

アルグスのそばによると

「社長、いやクロサワ殿はこの惑星まるごとひとつの支配者だ。いつまでも呼び名が社長ではおかしくないか?」などと言い出した。


 脇で聞いていた部下たちもそれに乗って

「じゃあ、いっそのこと王様なんてどうだ?キング・クロサワ!クロサワ王万歳!」


「何を言っていやがる、まだ小せえ小せえ。惑星まるごと一つだぜ?国じゃ収まらねえだろ。」


「ここはでっかく、皇帝!銀河皇帝クロサワ、これだな!」


 彼らの熱に押されたのか、始めは困惑していたクロサワだが、やがて神妙な顔をしていった。


「名乗っちゃうか…、カイザー・クロサワ!」


 おお、と周囲から歓声が上がる。


 夢は大きい方がいい。主は偉い方がいい。クロサワが大きくなればなるほど、元海賊たちにしても担ぎ甲斐がある。

 つい5分ほど前に主従の関係を結んだばかりの彼らであったが、心は今、ひとつとなっていた。


 そんな乱痴気騒ぎをレイラだけが冷めた目で見ていた。


「やめてください、恥ずかしい。今の規模ではせいぜい町です。」


 結局、呼び名は社長で収まった。

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