輸送戦艦SPACE-DEBRIS
荻原 数馬
宇宙最低野郎
第1話
西暦2800年、宇宙大航海時代。
宇宙連邦政府の置かれた人類生活圏の中心、アース。そこから遥か数万光年離れた開拓中の宙域を第三宙域と呼ぶ。
大雑把に言ってしまえば、中央からはあまりにも遠く。政府の興味が薄れつつあるゴールドラッシュの残骸であった。
開発の滞った自治領星のひとつ、惑星プルウィア。古い言葉で雨を意味するこの
星は、その名の通り一年の三分の一は雨が降り続く。開拓がはじまった当初は水源の確保という意味で期待されていたが、今では急激な開発のツケが回って、工業汚染の進んだ、重金属酸性雨が降り注ぐ呪われた星である。
とある雑居ビルの一室。酸性雨の風情に欠ける雨音を聞きながら、レイラは紙コップの苦いコーヒーをすすっていた。
肩の先まで伸びた、軽く波がかった亜麻色の髪を指先で弄びながら、テーブルを挟んだ向こう側の女性の様子を落ち着かない様子でちらちらと窺っていた。
近視用の分厚い眼鏡のため、瞳が小さく見えて厳しそうな印象を与えるその女性
は輸送船斡旋会社の職員であり、レイラにとっては文字通り運命を握られているようなものであった。名をミュカレという。
手に持ったチェックシートを上から下まで眺めるということを何度も繰り返している。
印象が良いのか悪いのか、それすらレイラには判断がつかなかった。何とか平静を保とうとするが、右手は髪をいじったりペンを回したり、紙コップを意味もなく持ち上げたりと、ひどく忙しない。
やがてミュカレは書類から目を離し、優しげな声で
「お客様のご要望は、超長距離航行ができる。惑星支援型浄水器や削岩機のような、大型器機が運べる。宇宙海賊とも対等に渡り合える。そんな船ですね?」と、いった。
話が進んだことでレイラは軽く胸をなでおろす。
「運賃が安く済めばなお良し、ですね。」
レイラはにこりと微笑んだ。少女のあどけなさを残す、同性から見ても思わず見惚れるような、魅力的な笑顔だ。
しかし、この場においては何の意味も成さなかった。ミュカレの顔には営業スマイルが張り付いており、さらには引きつっていた。
「へえ、そうですかそうですか。」
ミュカレは他人事のように呟き、やがて堪りかねたように書類を握りつぶして
安物のテーブルに叩きつけた。
「そんな都合のいい船、この世に存在するか!サンタクロースにでも頼みなさい、
あんたがいい子かどうかは知らないけどね!」
「お客様のどんなご要望にもお応えしますって言ったのはどこのどいつよ?
チンポをしゃぶる以外に取り柄は無いのか、その口は!」
レイラも負けじとテーブルをバンバンと叩き、空の紙コップが飛び跳ねる。
女たちの醜い争いに耐えかねて安物のテーブルがギシギシと悲鳴を上げた。
これだけの騒ぎにも関わらず、周囲の者たちは大した興味を示さない。チラと視線を送ったきり、ああそうかと納得して、それぞれの業務に戻っていった。仕切りをどかして割って入り、まあまあなどと宥める者は一人もいない。
宇宙で船に関わる人間にとっては親の顔より見慣れた光景であった。ここは輸送船の斡旋会社であり、大半が実際に宇宙へ出たことのない人々であったが、大気圏上では余計な遠慮が即、死につながるということをよく知っていた。
人類が宇宙へ手を伸ばし始めた時代から、不具合を報告したはいいものの、利権や選挙期間の関係で実験を強行し、不幸な事故につながった例は枚挙に暇がない。
言うべきことは言わねばならない、それが宇宙に生きる者たちの鉄則であった。
理性を捨てる理由は特にないが。
「そんなもん雇いたければ軍へ行け、軍へ。大型輸送艦に巡洋艦、駆逐艦をレンタルして、大名行列でもすればいいじゃない。」
遠慮する必要もないと判断したのか、ミュカレの口調はフランクなものに変わっていた。
軍という単語に反応して、レイラの片眉がピクリと上がる。皮肉や嘲笑の入り混
じった声で
「あなた、泥棒に留守番を頼む人?」といった。
ミュカレは肩をすくめてみせ、レイラは苦笑を返す。宇宙連邦政府に対する不信感を共有することで、二人の間にちょっとした親しみが生まれ、空気が和む。
商談の内容に直接関係がなくとも、共通の話題や認識を持つことでうまく話が
流れるというのはよくあることだ。例えそれが第三者に対する悪意という、いささか不健全なものだとしても。
「わけあり、って感じね。」
「わけありじゃない奴がここに来ることってあるの?」
その答えが気に入ったのか、ミュカレは「そうよね」と呟きながら満足げに
うなずいて
「ね、ちょっとしたネタがあるんだけど、買わない?」ともちかけた。
面白いイタズラを思いついたので一緒にどうだと聞くような、そんな含みを持った笑顔だ。先ほどまでの張り付いたような笑顔よりもずっと魅力的に見える。
開拓中の惑星と、フリーの船乗りたちの仲介という立場から、何かと非合法のネタも入ってくるのだろう。レイラにしても、こうした展開を予想していなかったわけではない。
物資を運んでくれさえすれば、サンタクロースがライセンスを持っていようがいまいがどちらでもよかった。
内ポケットから紙幣を十枚ほど丸めて輪ゴムで止めたものを取り出し、チェスの駒を動かすような手つきでテーブルに立てる。
「いいわね、話の早いひとって好きよ。」
そうは言いつつも、ミュカレは手を伸ばそうとしない。これだけでは王手とはいかないらしい。舌打ちしたいような気分を抑えつつ、もう一つ取り出す。まだ、ミュカレに動きはない。
レイラはこうした交渉ごとに長けているわけではない。情報屋の相場も知らない。いつまでごねるつもりだというイラだちと、ひょっとしたらまるで見当違いのことをやっているのではないかという不安が混ざり合う。
いずれにせよ、相手の言いなりになって金を出し続けるなど愚の骨頂である。わからないなりにどこかで区切りはつけねばなるまい。
これが最後、相手に反応がなければ打ち切って立ち去ろう、少なくともそういうポーズを取るくらいはするべきだと決意して、もう一つ取り出した。
三つの紙幣束を挟んで、レイラは相手を睨みつけた。やがて、ミュカレの口元に
笑みが浮かんで、やけに慣れた手つきで紙幣をポケットに放り込む。
代わりに名刺を取り出して、裏にペンを走らせレイラに差し出した。躊躇しつつも拾い上げると、そこにはどこかのバーらしき住所と店名が書いてある。
これをどうしたものか、と考えていると、ミュカレが説明を始めた。
「その名刺をマスターに渡して、腕のいい船乗りを探しているっていえば紹介して
もらえるわ。名刺の裏に書いたのは、私の紹介だって言う意味よ。別にメモ用紙を
ケチったわけじゃないから。」
冗談めかしてはいるが、レイラがアウトローたちとの付き合いに不慣れであると見て助言をしてくれたのだろう。レイラは無言で頭を下げて、名刺をしまい込んだ。
そういうところが素人くさいのだ、客と情報屋の間でやるようなことではない。と思いつつミュカレはレイラにかすかな好感を抱いた。
ここでの要件は終わった。だが問題は山積みである。肝心の船については何もわかっていないのだ。いまさら疑うような真似も失礼かと考えたが、それでもレイラは聞かずにいられなかった。
「この情報、本当にあてになるんでしょうね?」
ミュカレはまた、いたずらっぽい笑顔を浮かべる
「イワシの頭くらいには、ね。」
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