39 真
【山下(旧姓/合間)小百合のモノローグ】
夫の気持ちがわたしから離れて行くのには気づいていたが、それまでわたしはどうすることもできず、悶々と日々を過ごしただけだ。
ところが、ある日突然別のわたしが現れ、それが変わる。
文字通り、人が変わってしまったのだ。
心理学的には良くあることらしい。
もっともわたしは更井歩が自分の別人格だと思ったことは一度もない。
わたし自身が演じているだけだという自覚がある。
……にも拘らず、彼女が現れた経緯がわたしに謎だ。
夫に出会う前の、あるいはもっと昔、高橋先生に出会う前のわたし自身が戻ってきたのかもしれない。
それともただの感情的な変化だったのだろうか。
人間にはいろいろなタイプがあるが、わたしは追いつめられると死んでしまうような人間ではなかったようだ。
逆に開き直るタイプだったのだ。
が、真相はわたしにとっても闇の中……。
いずれ歳を取れば、それを理解できる日が来るのかもしれない。
ちなみにaima sayuriを並べ替えればsarai ayumiとなる。
さて、短い間だったが、愉しい想いとともに、わたしは過去の自分と決別する。
設定上、誘拐犯から解放されたわたしを収容した病院で、わたしを担当した医師が、わたしの記憶障害を疑ったのは、わたしの過去との決別を惜しいところで見誤ったせいではあるまいか。
わたしにはそう思える。
さて、そんなわたしを夫がまた選ぶとは考え難いが、今は、なるようになれ、と気分は晴れやかだ。
浮気をされてもまだ夫のことが大好きな自分には呆れるが、今なら、そういった自分を客観的に見つめ直すこともできるだろう。
とにかく違うわたしがわたしの中に生まれ/戻って来なければ、今回の計画はそもそも存在しない。
佐知ちゃんの山下家二千万円強奪計画は実行されたかもしれないが、それだけのこと。
わたしの誘拐事件は起こらない。
ところで、あの二千万円は佐知ちゃんにあげたつもりだが、額をかなり上乗せしなければ確定申告のとき、佐知ちゃんは破産する。
それは今後のことだが、さて、どうしたものか。
それにしても葉山刑事は何処まで真相に迫っているのだろう。
いずれは真相に行きつくにせよ、わたしが仕掛けたトラップを簡単に超えられるか、どうか。
夫の浮気相手が霧島佐知であることは興信所を使って調べ上げる。
付き合いが一年以上に渡ることも、約半年前にアパートを移ったことも……。
とにかく彼女に会おうと思い、意を決し、アパートに乗り込む。
そのときにはもう自分の死体計画が練り上がっている。
実際に面と向かうと佐知ちゃんは写真で見るよりも可愛くて夫が好きになるのも無理はないだろう、と思ってしまう。
我ながら異常な心理だが、そういった意味では妬心は生じていない。
わたしの代わりに夫が佐知ちゃんと夜を過ごしてしていると思えば腹も立つが、元々わたしは夜の生活が好きではない。
自分の代役を果たしてくれると解釈すれば気は落ち着く。
さて、計画に関して言えば、偽物の妻が自宅に戻り、翌日警察から事情聴取を受けたときが一番危険だったと思われる。
指紋のついた手袋などもちろん嘘で、小道具は用意したものの、当然本物の指紋などついていないからだ。
単に自分の指紋を警察に盗み取られただけのこと。
あの時点では夫は手袋のせいだと思っていたようだが、今ではどうか。
案外今でも信じているかもしれない。
さて、その次に計画で危険だったのは自然公園で、わたしがお金を借りなかった理由か。
実際のわたしの心理は図らずも夫が葉山刑事に説明した通りだが、あそこまで不思議がられるとは思いもしない。
かなり意外な気がしたものだ。
ところで高橋先生がわたしの初恋の人というのは事実だ。
さらに言えば、高橋先生の奥さん、祐子さんが、わたしの理想の女性だ。
高橋先生が結婚すると聞いたとき、わたしの初恋熱はまだ醒めていない。
だから相当苦しんだが、その苦しみがわたしの性格を変えたようだ。
今気づいたが、あのときにもまた、わたしは自分自身を変えている。
少しも自覚することなしに……。
一旦性格が変わってしまえば、高橋夫妻のことを理想の夫婦だと感じ、敬愛することも可能だ。
自分もあんな結婚が出来たら良いな、と思い描くようにもなれる。
ベージュのワンピースがわたしのお気に入りなのは祐子さんの真似だから……。
服の趣味も良い人なのだ。
葉山刑事が、あのときわたしだけに見せた写真に写った後ろ向きの女性は祐子さん。
今では盗撮者が橘夫人とわかるが、橘夫人は祐子さんとわたしを見間違えたのだろう。
殺人芝居の盗撮写真は他人の家への不法侵入が前提となるので警察には送らなかったが、わたし(実は祐子さん)の浮気シーンならば大丈夫だと判断したのだろうか。
死体と殺人フェチの変態夫婦であるわたしと夫を貶めるにはちょうど良い証拠だ、とでも思って……。
ところで高橋先生夫婦の離婚は、わたしには大変なショックだ。
自分が理想の夫婦と考えていた人たちが、これといった理由もなしに別れたのだから当然だろう。
昼なのに酒に酔った祐子さんを家の近くで見かけたとき、わたしは、あっ、と驚いてしまう。
まるで人間が変わっていたからだ。
話を聞くと、自分から離婚を切り出し別れてはみたものの、離婚が間違いだ、と気づいたという。
わたしの女の勘は高橋先生も祐子さんと同じ気持ちではないかと、そのとき告げる。
それで匿名の手紙を、わたしは高橋先生に送ったのだ。
実はわたしも盗撮者だったわけ……。
祐子さんから話を聞く前、昼間から酔った様子の祐子さんをスマートフォンで撮ったのだから……。
が、祐子さんの写真だけでは、それが何処の街なのかがわからない。
それで、わたしは街を特定できる幾つかのモニュメントも撮影し、同封する。
わたし自身は目撃していないが、それこそが、この家の近くに高橋先生が現れた理由なのだ。
だから間違いなく、高橋先生も祐子さんと撚りを戻したがっている、とわたしは確信する。
ならば、その手伝いをしようではないか。
ただし、こちらの計画にも少しだけ利用させていただくことを前提に……。
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