36 終
賊は音もなく侵入してきたようだ。
後に葉山が教えてくれる。
鈍器で頭を殴られ気を失うなど初めての経験だが、おれも佐知も気を失ったのが不幸中の幸いだったらしい。
二人を襲った犯人は刃物も持っていたからだ。
実際に刃物を使用したかどうか、今となってはわからない。
が、犯人は犯人なりに真剣だったのだろう。
刺されなかったとは断言できない。
……とすれば刺されて致命傷となった可能性は……。
零パーセントかもしれず、百パーセントかもしれず……。
何とも言えない。
やれやれ……。
おれと佐知が気を失っていた時間はわずか五分ほど……。
が、犯人は用意周到……。
その間におれと佐知に猿轡を噛ませ、目隠をし、耳栓もする。
当然、動けないように手首と足首をロープで縛る。
おれが気づいたときには、まだ部屋の中に犯人の気配があるが、どうすることもできない。
臆病なおれは後先考えず叫び出し、恐怖を解放したいが、それも出来ない。
そのうち犯人は佐知の部屋から目当てのモノを発見したようだ。
それが何か、おれには一切わからない。
真相が明らかになってみれば佐知は知っていたと納得できるが、あの時点のおれが知るはずもない。
その後はドスンバタンと慌ただしい気配を残し、犯人が去る。
耳栓越しに遥か遠くに犯人が部屋を逃げ去る音が聞こえる。
バタンと乱暴にアパートのドアが閉まる音がとても小さく聞こえ……。
が、犯人が通路に出、アパートの外に逃げて行く音までは聞こえない。
数分後、漸く佐知が意識を戻す。
おれ同様、自分の身に何が起こったかわからず、瞬時パニックになる。
が、おれと違い、落ち着くのが早い。
すぐに自力で戒めを解こうと踠(もが)く……と、おれが想像する。
そのうち佐知がおれの身体と接触し、それがおれであることを認識すると急に安心したのか、小さな声で泣き始める。
佐知につられ、おれも泣きたくなったが、そこまで情けない男ではイカンだろう、と必死で考えを改める。
ついで一心不乱に戒めから逃れる努力をする。
体感で一時間ほど経ち、ようやく警察がおれたちを救出にやってくる。
匿名で犯人から連絡があったらしい。
警官たちに戒めを解かれると真っ先におれは佐知の安全を確認し、目を充血させる。
それは佐知も同じだ。
その時点で、おれはまだ佐知のアパートに葉山がいることを把握していない。
「やれやれ、また謎が一つ増えましたよ」
葉山がそう言い、初めておれは葉山の存在に気づく。
「山下さん、霧島さん、お守りできなくて済みません」
素直に葉山がおれたちに謝ったのが予想外だ。
「わたしが少し頭を働かせれば、この状況を予測できたはずです。本当に申し訳ないことです」
声色から葉山の言葉に嘘はないと、おれにでもわかる。
が、その先はいつもの葉山だ。
「山下さん、こんな非常時に恐縮ですが、あなたは霧島さんがその昔ヤンキーだったことをご存知ですか」
いきなり、おれにそんなことを訊ねる。
「えっ、この佐知がですか」
おれが葉山に訊き返す。
「気は強いが、彼女はごく普通の女性ですよ」
「つまり、知らなかった、と……」
「ええ。しかし本当のことですか」
「わたしたちの捜査が正しい限りは……」
「それが今度の事件に何か……」
「約一時間前に起こった山下さん及び霧島さん殴打/強盗事件には直接関係ありません」
「仰る意味がわかりませんよ」
「ヤンキーといったって悪いことをするチンピラばかりではないですからね。仲間意識が強いのもヤンキーの特色です」
「それはどういう……」
「警察病院の医師が到着しました」
葉山の部下がおれたちの会話を割り、報告する。
「ありがとう。すぐ、こちらにお通ししてくれ」
葉山の言葉に部下の刑事が素早くアパートの部屋を去る。
「とにかく手当を受けてください。医師の判断後、あなた方二人を警察病院にご案内します。まず、しっかりと治療を受けてください」
葉山が言い、その後ろから医師が現れる。
知った顔だ。
妻モドキ(または妻)が収容されたとき、主治医となった小太りの小山医師。
その姿を見、おれは何故だが途方に暮れる。
思い出したように佐知を見遣ると驚くことに清々しい顔をしている。
まるで憑きモノが落ちたような晴れやかな表情だ。
佐知の表情の意味も、あのときのおれにはまるでわからない。
それに加えて佐知の部屋から盗まれたモノとはいったい何だったのだ。
不意に葉山の携帯が着信音を鳴らす。
部下からの報告だろうが、いつにも況して怖い顔で話を聞く。
「たった今、殴打事件の犯人が確保されました」
ニコリともせずに葉山がおれと佐知に告げる。
「苦労しましたが、役者が揃ったようです」
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