35 貌

「あーっ、美味しかった。ご馳走さま」

 食べるのが遅い佐知が漸く蕎麦を食べ終わり、おれたち三人のランチタイムが+終わる。

「この先どうするの……」

 店を出て道をブラブラしながら妻モドキが佐知に訊く。

「またウチに来る……」

「いえ、今日は帰ります」

 考えた末、佐知が妻モドキに答える。

「画期的な名案も浮かばないし……」

「じゃ、おれも付き合うかな」

 佐知がアパートに帰るというので、おれが便乗すると、

「勝手にしたら……」

 少し寂しそうに妻モドキが呟く。

「夜までには帰って来るんでしょうね」

「晩飯前には帰るよ。じゃあ」

「いってらっしゃい」

 妻モドキが、おれの妻のように挨拶する。

 さすがに手は振らないが、おれと佐知との外出を許す。

 妻モドキがおれの妻なら、ありえない態度だ。

 やはり、妻モドキは、おれの妻ではないのだろうか。

 妻モドキを商店街に残し、おれと佐知が私鉄の駅に向かう。

 改札を抜け、電車に乗ると思った以上に人が多い。

「みんな、こんな時間から出かけるのかね」

「課長さんは土日は家にいるタイプだから……」

「そうでもないぞ。昔は良く妻と外出したものだ」

「だったら電車に乗らないだけか」

「車があるからな」

 その先は四方山話となり、やがて佐知のアパートの最寄駅を出て……。

「あれっ、この公園……」

 改札先のいつもの道を歩いていると、おれの記憶に景観が引っかかる。

「ちょっと寄ってもいいかな」

「構わないけど、いきなりどうしたの」

 佐知が不安気に、おれを見る。

「いや、どうもしないが……」

 佐知と二人、公園内に入ると確かに覚えがある。

 間違いなく、これはあのときの公園だ。

 が、この偶然にどういった意味が……。

 おれがそう思ったとき、また別の考えがおれの頭に浮かぶ。

 そうか、おれにこの公園の見覚えがないのは、この道を歩く時間帯がいつも夜だったからか。

 おれが佐知のアパートに寄るのは、いつも夜だ。

 街自体もそうだが、公園の景観も昼と夜ではまるで違ってくる。

 昼間は笑い声が溢れ、陽気に思える公園でも、夜の水銀灯に照らされれば魔女でも出そうな不気味な場所へと姿を変える。

 事実、おれが知っている凶悪犯罪が起きた公園も昼間は親子や恋人が遊ぶ安全な場所だ。

 が、夜にはおそらく様相を変えるのだろう。

「思ったほど広くないのに小山があるな」

 公園内に三、四メートル高の小山を見つけ、おれが呟く。

 佐知の手を引き、石畳を歩み、小山の上に登る。

 公園には木々が多く、都会の一画とは思えない。

 カラスやスズメ以外の鳥もいる。

 ウグイスさえ鳴いている。

「驚いたな」

「あたしも……」

 佐知が言うので、おれは佐知の顔を見降ろし、

「いや、自分のアパートの近くでウグイスが鳴いていたら普通気づくだろう」

 と質すと、

「あたしのアパートからは聞こえないのよ」

 という佐知の返答。

 小山を降り、公園を斜めに移動し、入って来たのとは別の出入口から外に出ると、おれは方向感覚を失う。

「ここはどこだ」

「相変わらず、課長さんは役立たずね」

 住んで半年とはいえ、さすがに地元住民なので佐知にはその場所が何処だか見当がついたようだ。

 子供のように、おれの手を引き、ずんずんと道を進む。

 そのうち、おれにも見慣れた通りに出る。

「お菓子でも買っていく……」

 時代から取り残されたような和菓子屋が通りにあるので佐知がおれに問う。

「前に芋羊羹を買った店だな」

 思い出し、おれが答える。

 旧式の店構えと似て、素材の味そのままの芋羊羹を売っていた店だ。

 他にも和菓子を扱っているが、おれは芋羊羹以外を食べたことがない。

「じゃあ、また一本買っていくか」

 おれが言い、佐知が店に走る。

 店番をしている婆さんと愉し気に会話し、すぐにおれの許へと戻る。

「課長さんの紅茶で食べたいわ」

「歩いて腹ごなしになったし、そうするか」

 和菓子屋から三分も歩けば佐知のアパートに辿り着く。

 が、昼間の街に見憶えがない。

「女の顔もそうなのかな」

 おれが独りごちると、

「えっ、何のこと」

 佐知が聞き咎め、おれに尋ねる。

「今は可愛い顔をしている佐知だって、妻を殺せ、とか怖いことを言ったじゃないか」

「ああ、それね……」

 佐知が言葉を続けると思い、おれは待ったが、結局会話はそれだけで終わる。

 やがて佐知のアパートに到着する。

「落ち着くね」

 部屋に勝手に上がり込み、和室に座り、おれが口にすると、

「それはようございました、旦那さま」

 佐知がおどけた態度でおれに言う。

 ついで口調を戻し、

「羊羹を切る……」

 と尋ねるので、

「まあ、こっちへ来いよ」

 と、おれが佐知を呼び寄せる。

「きゃっ」

 おれの前にやってきた佐知のうでを引っ張り、ぎゅっと抱き寄せると佐知が嬉しそうに一声叫ぶ。

「ああ、幸せ……」

 思わず、そう口にする。

 が、そのときのおれには直後に起こる物騒な出来事を知る由もない。

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