33 攪

「おれは誰も殺していませんよ」

「そのお話は、いずれまた……」

 そう告げ、葉山の方から電話を切られる。

 プツンという通話が切れる音がおれの耳の中にいつまでも残る。

「今度は殺人犯にされそうだよ」

 送受機を固定電話機本体に戻すと、おれが妻モドキと佐知に言う。

「やれやれ、だ」

「葉山さんは何て……」

 一人だけ通話の外に置かれた佐知が、焦ったようにおれに尋ねる。

「おれの妻らしき女と、その昔妻が憧れた男が、おれの出張先で目撃されたようだ。それから、おれと佐知が一年以上に渡り不倫関係にあると言い、誘拐事件の構造が見えて来たから、いずれおれに話すと言い、最後に、おれが殺人犯かもしれない、と宣う」

「何、それ……」

「さあ、おれにはさっぱりだ」

 おれは佐知にそう応え、ついで妻モドキに、

「きみは何かを知っているのか」

 と問い質す。

「何かって、何をよ」

「いろいろだよ」

「あたしだって混乱しているのよ。こんな展開になるとは予想してないし……」

「その割には愉しそうだな」

「山下さんは頭が痛そうね」

「その通りだよ」

「ご愁傷さま」

「きみは誰なんだ」

「山下さんの奥さんではないわ」

「じゃあ、誰なんだ」

「あなたは、あたしに誰であって欲しいの」

「わからんよ。おれの妻だったら怖いし、おれの妻でなくても怖い」

「臆病者ね」

「きみがおれの妻なら、そんなことは、ずっと昔から知ってるだろう」

「あなたの妻じゃなくてもわかるわよ、ねえ、佐知ちゃん……」

「あたしは課長さんのそういうところに弱いのよ」

 妻モドキの呼びかけに佐知がおれと妻モドキの会話に参加する。

「でも、あなたは誰なの……」

「まあ、佐知ちゃんまで、そんなことを言うとは……」

 妻モドキが、さも驚いたという顔をして佐知にお道化(どけ)る。

「だって、もう何が何だかわからなくて……」

「その点は同意するわ」

「こんなに複雑になるとは思わなかったし……」

「そうね」

「きみたちはいったい何の話をしているんだ」

 佐知と妻モドキの会話の意味が取れず、おれが苛々しながら二人に問いかける。

「もちろん誘拐事件のことよ」

「もちろん誘拐事件のことよ」

 佐知と妻モドキが声を揃え、おれに答える。

「他にあるわけないじゃないの」

「他にあるわけないじゃないの」

 さらに二人にユニゾンで返され、おれは自分の気が遠くなるのを感じる。

 それで椅子にかけ直し、頭を抱え、溜息を吐き、言う。

「腹が減ったな」

「そういえば、お昼を食べてないわね」

 すぐに佐知がおれに同意し、

「何か作る、それとも三人で出かける……」

 妻モドキがおれと佐知に問いかける、

「今から作ったんじゃ大変だから蕎麦でも食いに行くか」

「賛成」

「それが良いわね」

 佐知と妻モドキが言い、出かける支度を始める。

 ……と言っても佐知は訪問着のままだ。

 が、メイクを確認する。

 おれの妻と同じで佐知もメイクは薄いが、女性の身嗜みなのだろう。

 妻モドキの方は、おれの妻の部屋に向かったようだ。

 そう思い、おれが二階に行きかけると、

「あの女を好きにならないでよ」

 怖い顔をして佐知がおれに言う。

「今のところ、その可能性はないな」

 すぐさま、おれは佐知に答えたが、心の中では自分の言葉に不安を覚える。

 妻モドキは魅力的なのだ。

 あるいは本当におれの妻かもしれないが、おれの知っている妻とはまるで違う。

 おれは元々妻の容姿が気に入っている。

 それに加え、気が強く、さっぱりした性格の女が昔から好みなのだ。

 だから、おれの妻との結婚は、その場の勢いというか、あからさまな間違いというか……。

 おれが妻モドキを気に入っている点をさらに指摘すれば意地が悪いところだろうか。

 おれをやり込めることを何とも思わない部分だ。

「だって課長さん、マゾっ気があるから……」

 おれの心を読んだかのように佐知がポツリと言う。

「あの人スタイルがいいし、あたしみたいに小さくないし、美人だし……」

 一瞬、佐知が泣きそうになる。

 が、気が強いのは佐知も同じだ。

「あの女に靡なびいたら課長さんのことぶっ殺すからね」

「おいおい、佐知……」

「冗談を言ってるんじゃないのよ」

「わかっているよ。とにかく、おれはそんなクズ野郎じゃない」

 間髪入れず、しかも力強く佐知に告げる。

 が、おれにはすでに自信がない。

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