32 情
妻モドキが冷静な顔で怖いことを言う。
だから、おれは狐に抓まれたような顔で妻モドキを見る。
「証拠がないだろう」
ついで続ける。
「妻の死体が発見されれば別だが……」
ルルルーン。
そのタイミングで家の固定電話のベルが鳴る。
まさか、妻の遺体が発見されたんじゃ……
「もしもし……」
おれが反射的に電話に出ると、
「三丁目の鈴木ですけど天婦羅蕎麦を二つ……」
「番号違いですよ」
苛ついた声で、おれが電話を切る。
「まったく、こんなときに……」
おれがそう叫んだとき、
ルルルーン。
再度、固定電話のベルが鳴る。
ガチャ。
「だから番号違いですって……」
おれが言うと、
「山下豪儀さんのお宅ですね」
聞き覚えのある声が送受機から聞こえる。
「違いますか。」
葉山の声だ。
「……」
一瞬、おれは声を失うが、
「いえ、違いません。山下で間違いありません」
すぐにそう応じ、
「ついさっき間違い電話があったものですから……」
と葉山に事情を説明する。
が、葉山は別に気にした様子もなく、
「つかぬことを伺いますが、先週の土曜日、奥さまはどちらに……」
そんなことを訊く。
「直接、妻に訊いてください」
おれは言い、
「葉山刑事からだよ」
と妻モドキ(仮)に送受機を渡す。
「先週の土曜日、きみが何処にいたか知りたいようだ」
妻モドキ(仮)が何と答えるか、おれは興味津々に妻モドキの(仮)の口許を見つめる。
綺麗な口許だ。
リップの塗り方のせいもあるが、妻は元から口が小さい。
「先週の土曜日は一日中家にいました。買物以外は……」
妻がそう返事をすると葉山が何か訊ねたようだ。
「ええ、山下は金曜日から出張ですし、わたし一人です」
葉山からの次の質問……。
「はい、出張先は熱海だと聞いています。日曜までの予定です。時期にもよりますが、土日の出張は珍しくありません」
妻モドキが言い、おれにペロッと舌を見せる。
今、自分が口にした発言が正しいかどうかをおれに確認するかのように……。
(正しいよ……)
声に出さずに、おれが妻モドキに伝え、
(そう、ありがとう)
妻モドキが、おれと同じ仕種で答える。
まるで息がぴったりと合った仲の良い夫婦のように……。
それを佐知が少し苛立たし気に見つめている。
ついで妻モドキが、おれに送受機を差し出し、
「あなたに代わってくれって……」
おれに伝える。
「お電話、変わりました」
おれが送受機を取り、葉山に言うと、
「奥さまらしき人物が先週の土曜日、熱海の温泉街で目撃されています」
余計な説明抜きで、いきなりおれに言う。
「それが、どうしましたか」
「奥さまは家にいたと仰る」
「今、目の前で聞きました」
「温泉街では高橋淳也さんらしき人物も目撃されています」
「そうですか」
「そうです」
「で、二人は一緒に……」
「いえ、目撃例は別々です」
「どちらも見間違えじゃありませんか」
「その可能性はあります」
「では、そういうことで……」
「山下さんは熱海で霧島佐知さんとご一緒でしたね」
「偶々ですよ」
「いえ、そうではないでしょう。山下さんと霧島さんは既に一年以上不倫関係を続けています」
「それが何か……」
「山下さんには奥さまを殺害する動機があったということです」
「でも妻は生きていますよ。誘拐犯にも殺されていない。警察の誘拐犯捜査はどうなっているんです。少しは進展したんでしょうね」
おれが詰め寄ると葉山は、
「段々と構造が見えてきました」
自信たっぷりの口調で、おれに言う。
「いずれ、山下さんにお話できると思います」
「では、そのときを愉しみに……」
おれは、その言葉を最後に電話を切ろうとしたが、急に思いつき、一言を足す。
「さすがの葉山さんも、もうわたしが誘拐犯だとは仰らないでしょうね」
が、葉山から返って来た言葉は、おれには意外な内容……。
「はい、しかし殺人犯かもしれません」
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