28 裏

「いや、そんなことは言っていませんよ。故意ではなく、不注意で打つけたんでしょう」

 おれがそう言うと葉山が諦めたような顔を見せる。

「まあ、今のところ、それで良しとしますか。この事件には不自然なことが多過ぎます」

 チン。

 エレベーターの一階到着を報せるチャイムが鳴る。

「この先、家までお送りしますよ」

 二人一緒にエレベーターから降りると葉山が言う。

「解放してくれるんですか」

「ええ、本日の所は……」

「葉山さんが家まで送ってくれるんですか」

「いや、わたしには別の用があるので部下に任せます」

 葉山が言い、そのタイミングで一台の覆面パトカーが現れる。

 運転席にいるのは青田刑事だ。

 顔を確認し、悪いが自宅までのドライブが不安になる。

「じゃ、任せたぞ」

 おれを覆面パトカーまで案内した葉山が運転席の青田に声をかける。

 その後、葉山用の覆面パトカーが大学前に現れる。

 十数秒後、おれと葉山が乗ったそれぞれの覆面パトカーが左右に分かれる。

 時計を確認すると時刻はまだ日曜の昼前だ。

 おれはまっすぐ家に帰る気にはなれない。

 が、寄り道をすれば青田刑事から葉山に連絡が行くだろう。

 ……とすると何かと面倒なので、やはり家に帰るしかないか。

「青田さんは葉山さんの部下は長いんですか」

 途中することもないので、暇潰しに、おれが青田に話しかける。

「いえ、まだ一月も経っていません」

「葉山さんは良い上司なのかな」

「はい、自分には出来過ぎの上司だと考えております」

「青田さんは、この事件では何のご担当を……」

「基本は地味な聞き込みです。どの事件(ヤマ)でも同じですが……」

「……というと、わたしや妻の評判をご近所とかに……」

「ええ。それに加えて、ご近所の方の趣味だとか、まあ、いろいろなことを……」

「大変ですね」

「それが自分の仕事ですから」

「だけど青田さんがそうやって一生懸命走りまわっても実際に役に立つ情報はごく一握りなんでしょう」

「ですが、その一握りを見つけ出すためには山のような数の情報が必要なんです」

「ところで、わたしのご近所での評判は……」

「人によっていろいろですね」

「ほう……」

「山下さんがお金持ちだという理由で嫌う人もいます」

「なるほど。お隣の遠藤さんとかは、そんな感じがしますね。ご商売の方もジリ貧らしいですし……」

「いえ、どちらかというと面白く思っておられないのは橘さんの方です」

「ほう、それは知りませんでした」。

「ここだけの話ですよ」

「もちろん、わかっています」

「くれぐれも他言はなさらずに……」

「ええ。しかし橘さんは親切に何度も届け物をしてくださいましたし……」

「気は良い方なのでしょう」

「それにしても橘さん、ご高齢なのにお元気ですね」

「趣味で歩きまわっているからじゃないでしょうか」

「橘夫人、歩くことがご趣味ですか」

「いえ、写真を撮るのがお好きみたいで……」

「はあ、人は見かけによりませんね」

「元々は亡くなられたご主人のご趣味だったようです」

「では機材などを受け継がれて……」

「はい。でも普段は扱い易いデジタルカメラを持ち歩いているそうです」

「なるほど」

「自分も写真の趣味があるので機材の話をすると家の中に入れて見せてくれましたよ」

「普段は趣味について話す相手もいないんでしょうか」

「さあ。バードウォッチ用の望遠レンズもあちましたから気が向けば山や川にも出かけられたようです」

「やはり動きまわるのが健康には良いのですね」

「それにパソコンもお得意らしくて……。こちらも亡くなられたご主人から教わったそうです」

「本当に、人は見かけによりませんな」

 青田刑事は悪い人間ではないが、どう考えても刑事には向いていないだろう。

 おれが訊ねることにまるで疑いを持たず、自分では安全と思っているらしい情報をベラベラと喋る。

 人当たりが良いと思われた、あの橘夫人が、金持ちだという理由でおれのことを嫌っていたとは予想外だ。

 が、それにも況(ま)して趣味が写真でパソコンに詳しいというのも、また予想外……。

 けれども、そうとわかれば繋がるものがある。

 まさか、おれに送りつけられた、あの写真を撮ったのは橘夫人なのか。

 時限装置が仕かけられた、あの文章を書いたのも橘夫人だろうか。

 文章ファイルは既に失われてしまったから確認することはできない。

 が、誘拐犯が使った言葉/文面と、あのファイルの文章が違うような気はしていたのだ。

 もしも本当に、おれの妻殺害現場写真の撮影者及びメッセージの発信者が橘夫人なら、あの写真を元に、この先何かを仕かけてくるのだろうか。

 それとも、おれに写真を送り付けたのは単なる嫌がらせで、次の脅迫状は送られて来ないのだろうか。

 ここは危険を承知で橘夫人に話を聞くべきなのか。

 それとも、こっそりと橘家に忍び込み、証拠を探すべきか。

 情けないが、おれは考えるばかりで、自分から行動を起こす勇気が出ない。

 そもそも写真に写ったあのおれは、いったい誰だというのか。

 どう考えても、おれ自身ではないはずだ。

 が、妻モドキが指摘したように、もしもおれが多重人格者だとしたら……。

 おれ自身気づかぬところで本当は妻を殺していたとしたら……。

 いつまでも足が宙に浮かんで地面を踏めないような漠とした不安が、おれに纏わりつく。

 知らずに掌がじっとりと汗ばんでいる。

 が、そんなおれの様子に気づきもせず、

「山下さん、お宅に到着しました」

 ノンビリとした声で青田刑事がおれに告げる。

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