27 走
「どうして、わたしを高橋さんの事情聴取に同行させたんです」
篠崎研究室を後にし、エレベータに乗り込んだタイミングで、おれが葉山に問いかける。
「刑事の勘ですかな」
いつもと変わらぬ慇懃な態度で葉山がおれに答える。
「それで何かわかりましたか」
「益々謎が増えただけです」
「葉山さんはまだ、わたしのことを疑っていますか。狂言誘拐犯として……」
「わたしが疑うのは関係者全員ですよ」
「それならば葉山さんご自身も容疑者の中に入っているのでしょうね」
「わたしは自分が誘拐犯でないことを知っています」
「それは、わたしだって同じですよ」
「もしかして犯人に引っかけられたのかもしれませんな」
「何をです」
「山下さんを疑うようにですよ」
「どういうことです」
「山下さんの裾の怪我ですが、石が当たってできたようです」
「持ち帰られたわたしのズボンを調べて、そんなことがわかるのですか」
「百パーセントとは言えません。精々五十パーセントの精度ですが、鑑識課の判断です」
「なるほど」
「どういうメカニズムで石が当たったのかまではわかりません。止まっている石に足を打つけたのか、走りながら自分で石を蹴り上げ、それが当たったのか」
「そんな偶然があるんですか」
「思ったより多く起こるんですよ。石を蹴り上げ、自分でそれに当たる現象が……。わたしにも不可解なことですが……」
「……」
「あるいはパチンコのようなもので狙われたのかもしれません」
「何のために……」
「キッチンの次亜塩素酸ナトリウム溶液と繋げるためにですよ」
「それは、どういう……」
「結果としてわたしの推理は外れましたが、山下さんが足に怪我をしており、キッチンの一部が次亜塩素酸ナトリウム溶液で拭かれていたから、わたしは山下さんの奥さま殺しを疑ったのです」
「わたしは妻を殺してはいません」
「確かに山下さんの奥さまが家に帰られたので、山下さんの奥さま殺害の疑いは消えました」
「ありがたいですな」
「ですが狂言誘拐の容疑は消えていません」
「葉山さんもしつこいですね」
「山下さん、あの夜、外を走っていませんでしたか。奥さまの誘拐がわかった時点で……」
「どういう意味です」
「山下さんかどうかはわかりませんが、あの夜、あの時間、全速力で走っていた男がいたのです」
「仮に、それがわたしだとしたら、どうなるんです」
「不思議な行動ですよね」
「確かに不思議ですが……」
「奥さまが誘拐され、急に家を飛び出して走った、とすれば、とにかく不思議な行動です」
「……」
「けれども山下さんが奥さまを殺害し、急に怖くなって家を飛び出せば不思議ではなくなる」
「わたしの妻殺害容疑は晴れたのでしょう」
「山下さんの奥さまが本当に山下さんの奥さまである、とすればです」
「葉山さんは違うとでも仰るのですか」
「いえ、残念ながら奥さまご本人です」
「当り前じゃないですか」
「わたしは勘で別人だと疑ったのですがね。ボケ始めましたか、指紋が一致してはどうにもならない」
「妻の指紋を採取したのですか」
「警察署での事情聴取の際に、それとなく……」
「詳しくは知りませんが、そういうのって法律違反じゃ……」
「山下さんに有利な結果となったので、どうぞ、ご内密に……」
「……と言いつつ、本当は合法で、何も知らないわたしを葉山さんが引っかけているんじゃないでしょうね」
「そういった奥の手は、もっと重大な場面で使いますよ」
「食えない人だ」
「刑事って皆、そういう人間なのですよ」
「……」
「ところであの夜、山下さんはやっぱり走っていませんでしたか」
「だって理由がないでしょう。わたしは妻を殺して怖くなってはいない」
「では、こんな状況はどうでしょう。山下さんが家に帰られるとキッチンに奥さまの死体があった……」
「うっ」
「おや、何か思い当たる節でも……」
「いや、葉山さんの類稀な想像力に驚いただけです」
「状況としては、あまりにも不自然なのですが、それ以外に一旦家に帰った山下さんが外に走り出す理由がないのです」
「たとえば家の中に強盗がいても同じ行動を取るんじゃないですか」
「ああ、それも考えられますね。あの夜、強盗がいたのですか」
「いませんよ」
「せめて山下さんが商店街を走っていてくれれば、いろいろな場所に設置された監視カメラの映像から山下さんを特定できたのですが……」
「お生憎さまですね」
「外でなければ怪我は庭で……となりますか。あの日のご証言のように……」
「わたしには怪我をした場所がわかりませんよ」
「わたしどもが調べた限りでは山下さんの家の庭の石やコンクリートから山下さんの最近の血痕は検出されませんでした」
「それならば、どこか違う場所で怪我をしたのでしょう」
「ご記憶はありませんか」
「家の中かもしれません」
「ご自分の家の中で、わざと石を、ご自身の脛に打つけたわけですか」
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