23 歩
「まったく、怖いことを言って脅かさないでくれよ」
左右に首を振りながら、おれが妻モドキに言う。
「それに、きみが本当におれの妻なら、そっちの方が多重人格者じゃないか」
「お生憎さま、このあたしはあたしだわ」
「証明できないだろう」
「じゃ、あたしの作ったお料理を食べてみるなんてのは、いかが……」
「はあ……」
「葉山刑事に、ああ言った手前もあるし、佐知さんにお料理を教えないと……」
「あの、まるで意味がわからないんだが……」
「味付けは、あたしがする。奥さんの料理の味なら、あなたの舌でも覚えてるんじゃない」
「そんなの。いくらでも誤魔化せるだろう」
「じゃあ、代わりに指紋を見る……」
「鑑識課の人間でもないおれが指紋を見て、わかるわけないだろう」
「十本指のどれに渦巻きが、あるか/ないか、の記憶とかは……」
「まるで覚えてないな」
「山下さんは、いったいどれくらい奥さんに関心がなかったのよ」
「いや、最初は十分関心があったよ」
「でも、すぐに関心を失った……」
「仕方がないんだ。妻のことを見つめてばかりじゃ生きられない」
「世間には、そういう人もいるのにね」
「おれがそういう人でなくて悪かったな」
「で、どうするの。食べてみる、あたしの手料理……」
「食べるのは構わないが、しかし悠長だな。さっきの写真の対策とかをした方が良くないか」
「じゃ、食事をしながら、それをしましょう」
「誘拐犯から、きみは今回の件を聞いていないのか」
「全然……。あたしは急に呼ばれて役者魂に火を点けられただけだから……。あたしのスマホを見せても良いわよ。誘拐犯からのメールなんてないから……」
「やれやれ……」
「一応、確認しておいた方が良いと思うけど……」
そこで佐知が口を挟む。
「そうだな。じゃ、見せてくれ……」
おれが頼むと妻モドキ(仮)がテーブルの上にある白いポシェットに入った自分のスマホをおれに手渡す。
一通り確認するが、妻モドキ(仮)の言葉に嘘はないようだ。
「じゃ、これから買い物に行きましょうか」
おれからスマホを奪い、妻モドキが言う。
「あなたも来てね」
「きみと佐知の二人で買い物……なんじゃなかったのか」
「買い物はそうだけど、荷物持ちがいるでしょ」
……ということで、仲良く三人で家を出る。
スーパーマーケットまでの道程は五分ほどだ。
おれの右隣に妻モドキ、左隣に佐知という両手に花状態だが、おれの心の中に花はない。
暗澹とした闇があるだけだ。
暫く歩くとハンサムな若い男が電柱の影に隠れている。
おれたちの方をチラチラと見ているので葉山の部下かと疑うが、証拠はない。
ふと思いつき、若い男の前を通り過ぎざま、
「もしかして、きみ、青田くん」
と声をかける。
誘拐犯に身代金を渡すため、車に乗り込んだとき、後部座席からボードで自己紹介した刑事の名だ。
すると、おれの勘は当たったらしく、青田刑事がギョッとしたようにおれから顔を背ける。
それを遣り過ごしてから、
「彼は刑事向きじゃないね」
妻モドキと佐知の、それぞれに言う。
が、どちらも反応しない。
まるで関心がないようだ。
「ところで今日のお昼、あなたは何が食べたいの」
不意に妻モドキがおれの妻の顔をし、おれに問う。
「何でもいいよ」
「折角だから好物にすれば……」
「白子のアヒージョか。妻が死んだ前日の晩に食べたよ。感慨深いな」
「厭なら他のでも良いわよ」
「あたし、それ、作ってみたいな」
普段とは勝手が違うためか、それまでずっと黙り込んでいた佐知が急に口を挟む。
「いずれ課長さんがあたしの×××になったら、お食事に出したいし……」
さすがに往来なので肝心な部分をぼかし、しかも小声で佐知が言う。
「あたしがこの人の本物の奥さんだとすると味付けが同じになるのは悔しくないの」
妻モドキがおれの右隣りから佐知の左隣に位置を変え、小声で佐知に訊ねると、
「ああ、それには気づかなかったな」
と佐知が右掌で額を打つ。
「でもまあ、課長さんが喜ぶんなら、それでいいや」
と小声で続け、
「どっちにしろ、あたし、お料理ができないし……。どっかで習わなければいけないとは思っているのよ」
と他人事のように妻モドキに訴える。
そんな佐知の姿を見、妻モドキが呆れながらも笑みを浮かべる。
「じゃ、メイン料理は白子のアヒージョにして、付け合わせは……」
妻モドキがおれに訊くので、
「きみに任せるよ。おれは料理の判定だけをする」
おれが答えると、
「荷物持ちの役も忘れないでね」
と妻モドキがおれに返す。
その言葉に、おれは妻と一緒に買い物に行った最後の日がいったい何時だったろうか、と遠い昔の日々に思いを馳せる。
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