21 偽
「えっ」
「えっ」
おれと妻モドキが同時に驚く。
どちらも、そんなことを考えていなかったからだ。
「どうなのよ」
佐知がおれと妻モドキに迫るから、
「佐知はイヤじゃないのか。この女とおれが一緒のベッドに寝ても……」
おれが指摘すると、
「だって課長さんの奥さんなんだから、あたしと会っていないときは普通、寝てるでしょ」
イライラした口調で佐知が叫ぶ。
「それが一回増えるだけよ」
「まあ、まあ、まあ、落ち着いて、落ち着いて……」
おれが佐知を宥めにかかる。
「一緒に寝ても、わからないかもしれないわよ」
すると妻モドキ(仮)が佐知の怒りにまた火を点ける。
「山下さんの奥さんは元々そっち方面が好きではないし、結婚して一年経ったら、月に一度がいいところだった、というから……」
「そんなことまで調べたのか」
おれが呆れると、
「でも面白そうね」
妻モドキが佐知を眺めつつ、
「あたし、情けないこの人に一目惚れちゃったし、実は夜の相性がいいかもしれないでしょ。それがわかれば佐知さんなんて、すぐにポイよ」
とトンデモナイことを口にする。
「いや、違うだろ。佐知とは、それだけの関係じゃないから……」
「それなら、どれだけの関係よ。いつもはアパートで過ごし、出張に託(かこつ)けて観光地巡りをするくらいじゃない」
「今現在、おれが妻と別れてないから、それくらいなんだよ」
「別れるじゃなくて殺すでしょ」
「だから、おれは殺していないって……」
「でも殺す気だったんでしょ」
「いざとなったら殺せたかどうか、おれにだってわからないさ」
「薬物があっても……」
「同じだよ。一度は愛した妻だ」
「でも今は愛していない」
「お互いに判断を誤ったんだ」
「お互いにね」
「そう、お互いに、だ」
「ねえ、山下さん、あなたの奥さんはどうしてあなたと結婚したかを知ってる……」
「さあ、おれに惚れたんだろ」
「本当に、そう思う」
「大学当時、妻はおれに一目惚れだと言ったよ。おれ自身もそうだったが……」
「さっき葉山さんがあたしに見せた写真の男だけど……」
「ああ、やっぱりそうか。見当はついてたんだ。顔は知らないが妻から話を聞いているよ」
「言ってみて……」
「高校の頃、妻が心酔していた数学教師だろう。その影響で妻は大学で数学科に進んだんだ」
「じゃ、あなたを老けさせたら、あの人になる、ってことは……」
「えっ」
「えっ」
妻モドキの爆弾発言におれと佐知が、えっ、と驚く。
「あなたの奥さんはあなたとの出会いを運命の出会いと思ったのよ」
「つまり、どういうことだ」
「あなたの奥さんがあなたのことをまるで好きじゃなかったとは、さすがに思わないわ。でも最初にあなたが選ばれた要因は、そこ……」
「酷い……」
不意に佐知が大声で叫ぶ。
「そりゃあ、今はあたしのことを愛している課長さんだけど、あたしが聞いただけでも、奥さんに対しては随分努力をしてきたのに……」
「結局、不倫に走れば同じでしょ。この人からそんな話を黙って聞いている佐知さんも頭が可笑しいと思うけど……」
「今は、あたしのことなんて、どうでもいいでしょ」
ピンポーン。
佐知が激昂しかけたところでチャイムが鳴る。
途端に全員の意識が乱れる。
「誰だろう」
呆けたように、おれが問い、
「お向かいの橘さんよ」
モニターを見ながら妻モドキが答える。
「あたしが出る、それともあなたが……」
「おれが出よう」
妻モドキにそう言い、おれが門扉に向かう。
約一分後、門扉を開け、
「今日はどうされました」
おれが橘夫人に問うと、
「はい、これ……」
橘夫人が一通の封書をおれに手渡す。
「またですか」
「またなのよ」
「どうも済みません」
「まあ、山下さんのせいではありませんけどね」
「郵便配達の人には、よく言っておきます」
「お願いしますよ。でも、お宅とウチを間違えるというのもヘンですわね。お宅とはお向かいとはいえ、家の造りがまるで違うのに……」
「ええ、まったく」
静かに怒りを訴える高齢の橘夫人に深く頭を下げつつ、おれは夫人が立ち去るのを気長に待つ。
その一方で手にした封書を裏返し、差出人が『山下小百合』であることを確認する。
その間、おれの許から立ち去る橘夫人の顔に笑みが浮かんだことなど知るはずもない。
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