19 保

 葉山の不意の言葉に顔色を変えたのは佐知だ。

 が、おれの顔色も変わっていただろう。

 妻モドキの顔色はわからない。

 おれが佐知を見つめていたからだ。

「どういうことです」

 気を取り直し、おれが葉山に質問すると、

「言ったままの意味ですよ」

 と葉山が答える。

「ですが、それではまるで、妻とわたしの両方が浮気をしているということになってしまいませんか」

「他人の話ですから浮気をしようと、どうしようと、わたしには関係ありません。ですが、誘拐の件があるのでね」

 のらりくらりと葉山が答える。

「ではまず、奥さまの方から伺いましょうか」

 そう言い、葉山が黒いショルダーバッグから写真を取り出す。

「奥さまはこの人物にお心当たりはございませんか」

 葉山は妻だけに写真を見せ、傍にいたおれが覗き込もうとすると、それを避ける。

 二三度それを繰り返すと葉山は、

(山下さんが見てもいいことは何もありませんよ)

 と口には出さず、目でおれに言う。

 だから渋々ではあるが、おれは引き下がるしかない。

「奥さま、答えてください」

 葉山が返答を迫ると妻モドキが口を開く。

「高校の先生です」

「お名前は……」

「高橋先生です」

「下のお名前の方もご存知ですか」

「確か、淳也さんです」

「物事がたっぷりしていること、あつい……の淳に、なり……の也ですか」

「たぶん、そうだと思います」

「最近会われたことは……」

「大学のとき、偶然街で会ったことがあります。あのときが最後です」

「ご結婚されてからは……」

「ありません」

「では、このお写真は何でしょう」

 葉山が黒バッグから二枚目の写真を取り出し、妻モドキに見せる。

「後姿ですが、ここに写っているのは奥さまでしょう。で、こちらを向いているのが高橋淳也さん」

「人違いですよ」

「そうかもしれません」

「この写真が何か」

「それはまだわかりません」

「では高橋先生の方が何かを……」

「それもまだわかりません」

「葉山さんはいったい、わたしに何をお聞きになりたいのですか」

「それが、わたしにもわからないのですよ」

「わたしをからかっていらっしゃるのですか」

「まさか。話が繋がらないだけです」

「話って……」

「誘拐犯に持っていかれた身代金には保険がかけてありますよね」

 えっ……

 葉山の言葉におれが驚く。

 が、冷静になって考えると妻からそんな提案を受けたような気もする。

「はい。ごく普通の動産総合保険です。厳密に言えば現金総合保険ですが……」

「どのくらい戻って来ますか」

「仮に保険が適応されても、良くて三〇パーセントくらいでしょう」

「それにしても二億円ならば六千万円です」

「適応除外になる可能性が高いです。身代金は勝手に払ったわけですから……」

「いや、盗難扱いになるでしょう」

「保険会社次第ですね」

「しかし、もし払わなければ、次からは誰もその保険会社の保険に入らなくなりますよ」

「商売的には、そうかもしれませんが……」

「保険会社から連絡はありましたか」

「まだ、ありません」

「誠意がないですね」

「誘拐事件自体を知らないからじゃないでしょうか。報道されていませんし……」

「いや、奥さまのご帰還後、事件が公開捜査に変わったので、この先、報道される可能性があります」

「終わった誘拐事件に誰が興味を示しますか」

「もしも誘拐が狂言であれば、犯人はマスコミに騒がれたくないでしょう」

「どういう意味ですか」

「いや」

「葉山さんがそんなにわたしたちを疑うのなら捕まえて調べればいいじゃないですか」

「逮捕状が取れません。何も証拠がありませんから……」

「それならば、お気軽に、そういったことは、お口になされない方が……」

「そうですな。以後、口を慎みましょう」

 葉山は不意に静かになり、DVDプレーヤーからDVDを回収すると、

「これはコピーですから、こちらに置いておきます」

 静かな声で、おれに差し出す。

「見返して気づいたところがあれば、ご連絡ください。待っていますよ」

 それだけを言うとリビングを去ろうとする。

 が、その前に佐知に近づき、何かを耳打ちする。

 葉山の佐知への耳打ち後、佐知が露骨に嫌な顔をする。

「では、わたしは引き上げることに致します。山下さんや霧島さんへのご質問は、また時間のあるときにいたしましょう。本日は貴重なお時間を頂き、大変ありがとうございました」

 おれと妻モドキ、それに佐知に深々と頭を下げ、葉山が漸くリビングルームを去る。

 その後慌てて妻モドキが葉山の後を追い、まるでおれの妻のように葉山を門扉まで見送りに行く。

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