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「いや、そこまで親切な犯人はいないでしょう」
葉山の言葉に思わず、おれがチャチャを入れる。
「犯罪者なんですから」
「まあ、そうとも言えますが……」
「それに自然公園には電話ボックスがあったわけでしょう。今時、公衆電話は滅多に見かけませんから、それがある公園を選んだだけでも誘拐犯は親切と言えるんじゃありませんか」
咄嗟におれはそう言ったが、改めて自分の発言内容を振り返ると、確かにその通りだと自信を持つ。
が、葉山は、
「確かに公衆電話はピーク時の約百万台から現在五分の一以下の十七万台にまで減っています」
と続け、
「けれども公衆電話には従わなければならない電気通信事業法施行規則というものがあります。『社会生活上の安全及び戸外での最低限の通信手段を確保する観点から市街地においては概ね五百メートル四方に一台、それ以外の地域においては概ね一キロメートル四方に一台の基準により設置』と定められています。ですから最初から公衆電話が設置されていない小さな公園は知りませんが、ある程度大きな公園には必ず公衆電話があるんですよ」
と解説する。
「そんなものですか」
おれが言うと、
「そんなものです」
と葉山が答える。
「それでも数は減っていますがね。二台並んだ電話ボックスが一台になったとか」
おれを睨みながら葉山が続ける。
が、そこで声の調子を変え、
「しかしまあ、スマートフォンの件は取り敢えず良しとしましょう」
表情は変えずに葉山が話題を切り舞える。
「次にわたしが気になるのは、奥さまが最初に電話をかけた相手が警察だということです。ご自宅ではなく……」
葉山が疑念を口にすると、
「それは、お金がなかったからです」
と妻モドキが即答する。
「この家から誘拐されたとき、わたしは身一つでした。だから、お金がかからない一一〇番に連絡をしたんです」
「しかし公園には大勢の人がいたのでしょう。事情を話して小銭を借りることはできたはずです」
「小銭を借りる……ですか」
そんなことはまるで思いつかなかった、という驚きの表情で妻モドキが葉山をじっと見つめる。
その仕種はどこから見てもおれの妻だ。
まさか、妻モドキは本当におれの妻なのか。
いや、まさか。
そんなバカなことが……。
「すると奥さまは人から小銭を借りることを思いつかなかったと仰るのですか」
二三度首を捻り、納得がいかない、
といった様子で葉山が問う。
妻は何かを言いかけるが黙ってしまう。
そこで、おれが助け舟を出す。
「妻には思いつかなかった、と思いますよ。妻は、そういう育ちなんです」
おれの言葉に葉山が怪訝な表情を浮かべる。
「わたしや葉山さんや、あるいは、ここにいる霧島くんとは違う育ちなんです」
「すぐには信じられないお話ですな」
「いや、事実ですから……」
「しかし非常事態なんですよ。誘拐犯から解放された直後なんです……。元々引き籠りで他人と会話ができない人間だというならともかく、奥さまには、お金を借りることくらいできたでしょう」
「いや、たぶん思いつかなかったと思いますよ」
おれが伊那路言葉を繰り返す。
「葉山さんはご職業が刑事なのに、これまで、そういった人にお会いになられたことがありませんか」
「いや、ないことはありませんが、皆それぞれ、奥さまとはタイプが違う」
「それならば葉山さんにおける人物分類のタイプを一つ増やしてください」
おれが一瞬だが葉山を遣り込めると、
「あの、ちょっといいですか」
不意に佐知が、おれたち三人の会話に口を挟む。
「ええと、育ちとは関係なく、いきなりお金を貸してなんて言えませんよ、普通は……」
葉山は無言だ。
「あたしなら、きっと無理ですし……、それに葉山さんが仰るように誘拐犯から解放されてすぐなんですよ。クスリで朝まで眠らされ、目覚めたときには鏡もない。実際には、いつもと変わらない顔や格好をしていても、女性なら他人と顔を合わせたくないと思うはずです」
佐知の理路整然とした説明に、なるほど道理だ、と、おれが大きく首を縦に振る。
ついで葉山を見遣ると、どうやら初めから、その点には気づいていたような表情だ。
……ということは、さっきの質問で葉山は妻モドキに何かを仕かけるつもりだったのだろうか。
あるいは別の理由があるったのか。
「まあ、女性としては、そういうことがあるかもしれませんね」
暫くしてから気を取り直すように葉山が言う。
「ウチの女房は違いますが……」
葉山の言葉に、おれは葉山の妻の顔を想像するが、まるで頭に浮かんでこない。
だから、というわけでもないが、
「わたしも時折飛び込みの営業をしますから、いざとなれば、お金を借りるのは厭いません」
おれが雰囲気を読まずに言うと座の空気が少し白ける。
それを取り成すように、
「しかし葉山さんは何故、妻の電話を気になさるのですか」
おれが葉山に質問する。
すると葉山は先程と同じ怪訝な表情でおれを見つめ、
「だって奥さまは一刻も早く山下さんに無事を報せたいはずでしょう。二年前に、ご両親を亡くされた奥さまのご家族は山下さんしかいないのですから……」
おれと妻モドキを交互に見つめ、そんなことを言う。
「まあ、双方がともに浮気をしており、すでにどちらも相手に関心がないのであれば話は別ですが……」
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