17 闖

「ところで霧島さんは、どういったご用件で山下さんのお宅へ……」

 不意に葉山が佐知に質問する。

 その質問に、おれは焦るが口を挟めない。

 もし、ここで余計なことを喋ればナシ崩し的にすべてが葉山にバレてしまうような気がしたからだ。

 それだけは何としても防がなくてはならない。

「ええと、あの……」

 葉山が朝早くからおれの家を訪ねることを佐知はまるで予想していない。

 だから当然のように言い淀む。

 そんな佐知の姿を、獲物を追うハゲタカのように葉山が見つめる。

「まさか、用事もないのに山下さんの宅をお尋ねになったわけでもないでしょう」

「ええと、それは……」

 絶体絶命のピンチだ。

 ああ、おれに上手い言訳が思いつきさえすれば……。

 無言の時間が、やたらと重い。

 おれの額に玉の汗が浮かぶ。

 これで終わりなのか……。

 すべてがバレてしまうのか。

 けれども……。

「霧島さんは主人ではなく、わたしのことをお訪ねになったのですよ」

 意外な所から救いの手が差し伸べられる。

 妻モドキが突然、口を挟んだのだ。

「霧島さんがウチを訪ねた理由を葉山さんに言い難いのは、お料理を習いに来たからなんです。そういうことを暴露するのは若い女の人にとって恥ずかしいことですから……。ねえ、霧島さん……」

 妻モドキがそう問いかけると、

「ええ、まあ、そういうことです」

 佐知が妻モドキと葉山の顔を順に眺めつつ答える。

「あたし、子供の頃から、お料理が苦手なんです。そもそもセンスがないみたいで……」

 と続ける。

「それで霧島さんは山下さんのお宅に……」

 葉山は言うが、納得してはいないようだ。

「それにしては見たところ何のご用意もなさっていないようですが……」

「霧島さんはまだ、いらしゃったばかりなんですよ。これから、わたしと二人で食材を買いに出かけます。ねえ、あなた……」

 急に妻モドキが、おれに振るので、

「ええ、そうなんです」

 おれも妻モドキに言葉尻を合わせるしかない。

「なるほど、わかりました」

 やはり納得した表情を見せずに葉山が言う。

 続けて、

「それでは皆様にお時間を取らせては何ですから、今からこれを観ていただきます」

 葉山が言い、肩から下げた黒いバッグから四角いケースを取り出し、おれに手渡す。

 どうやらDVDのようだ。

 が、今度は手袋がない。

「山下さん、お願いします」

 有無を言わせぬ葉山の言葉に、おれがDVDをトレイに入れる。

「これは……」

 暫くして現れた映像には妻が映っている。

 ……ということは、誘拐犯人からおれに送られたDVDなのだ。

「これは、あのときの映像ですか」

 すかさず、おれが葉山に問うと、

「ええ、そうです」

 素直に葉山が答える。

「先日の事情聴取で奥さまに伺ったところ、奥さまは、ご自身が拉致された場所はわからないと証言されました」

 葉山が妻モドキを見、その視線を受け、妻モドキが葉山に首肯く。

「この家から連れ去られたとき、すぐ目隠しをされ、車で移動中にクスリを嗅がされて気を失い、気づいたときには山小屋のような場所にいたと……」

 テレビの画面にはロープで後ろ手に縛られた妻と、その妻が座る椅子だけが映っている。

 固定カメラ映像のようだが、妻と椅子だけで画面の大半が占められている。

 だから、その場所が山小屋なのかどうかはわからない。

 背後は黒いシートで、その後ろが壁なのか、窓があるのか、あるいは部屋の中央なのかもわからない。

 つまり、それがわかるとすれば実際に誘拐犯に拉致された被害者本人だけ、ということになる。

「皆さまがご覧のようにDVDに映った映像だけでは、あの場所が何処なのか判別がつきません」

 やがてDVDが終わり、画面が暗くなると葉山が言う。

 DVDを観ながらおれが思ったことと同じだ。

 続けて、

「それでは改めて伺いますが、奥さまは、ご自身が拉致された場所をどうして山小屋と思われたのでしょうか。その理由は……」

 と妻モドキに問う。

「もちろん確信はありませんけど……」

 先程より少し低い声で妻モドキが答える。

「この画面からではわかりませんが、わたしは部屋の他の部分も見ています。丸太を組み合わせた壁があり、ログハウスのようだと感じました。それで山小屋を連想しましたが、あるいは観光ホテルの離れのようなところだったかもしれません」

「朝でしたか、夜でしたか」

「この前もお話しましたように夜だったと思います。窓にはシャッターが下りていましたが、その隙間から光が漏れていませんでしたから……」

「なるほど。さて、この前の奥さまの証言ではDVD撮影後、またクスリを嗅がされ、気を失われたということでしたが……」

「はい、その通りです」

「次に目が覚めたときには自然公園の中にいたと……」

「もちろん最初、わたしには自分のいた場所が自然公園だとわかりませんでした」

「ですが奥さまが目を覚まされた叢を少し進むと道があり、それで自然公園と思われたと……」

「叢の先に見えた道が山道のようではありませんでしたし、大勢の人が歩いていましたから……」

「なるほど」

「歩いていた人が山登りの格好をしていたわけではないし……。だから、ああ、ここは自然公園だろうと……」

「随分と冷静なご判断ですな」

「叢で気づいたとき、犯人に解放された、と直感したんです」

「それならば、すぐにご自宅に連絡をされたはずですが……」

「電話機を探すのに手間取ってしまって……」

「携帯あるいはスマートフォンは持っていなかったのですね」

「誘拐犯がわたしに持たせる気がなければ当然でしょう」

「確かに普通の犯人だったら、そうも考えられますが、今回の誘拐犯は何かと用意が良いですからね。だから犯人が奥さまにスマートフォンを持たせなかった点がわたしにはどうにも不思議なのです」

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