16 乱

「えっ」

 妻モドキの言葉に一番驚いたのは、たぶんおれだ。

「えっ」

 もちろん佐知も驚いたが……。

「何よ、それ。ルール違反だわ」

 佐知が叫べば、

「霧島佐知さん、ルール違反は、あなたの方が先でしょう」

 と妻モドキが平然とした声で答える。

「……」

 おれはどうしたら良いのかわからない。

 下手に口を出し、とばっちりを喰うのはマズい。

「だって、課長さんはあたしを愛しているんです」

「今はそうかもしれないけど、あたしに心が変わりするかもしれないでしょ」

「そんなことはありません」

「男と女の中なんて、わからないモノよ」

「課長さんは、あたしといると幸せなんです」

「でも結婚当初は奥さんといて幸せだったのよ」

「まあ、まあ、まあ、まあ……」

 とりあえず、おれが割って入る。

「お互い、冷静に、冷静に……」

「だって、この女、ムカつくじゃない」

「あら、あたしはいたって冷静よ」

「何よ、この、偽物女」

「愛人ごときが煩いわね」

「だから冷静に、冷静に……」

 そのとき……。

 ピンポーン。

 門扉のチャイムが鳴る。

 誰だろうと、おれは思う。

 当然のように心当たりはない。

 妻モドキを見ると監視カメラのモニターを覗いている。

「あの人も、諦めが悪いわね」

 妻モドキの言葉を不審に思い、おれと佐知もモニターを覗く。

 すると映っていたのは葉山だ。

 D警察署の刑事課長。

 山下小百合誘拐事件の担当者だ。

「どうするの」

 佐知がおれに問い、

「追い返した方が良いだろうな」

 と考えるまでもなく、おれが答える。

「だけど警察の人間を理由もなく追い返せないでしょ」

 と妻モドキが言い、

「……ということで、出迎えに行ってきますから」

 おれが止める間もなく妻モドキがリビングを抜け、玄関へ……。

 後を追いかけたおれの目の前でツッカケを履き、そのまま門扉まで……。

 どうする/どうする……

 リビングルームに戻ったおれと佐知が互いに顔を見合わせ、途方に暮れる。

「佐知は隠れた方が良いんじゃないかな」

「そんな気もするけど、あの女に対して悔しいからイヤ……」

「しかしだな……」

 おれが言葉に詰まるとモニターをじっと覗いていた佐知が言う。

「偽物さん、ちゃんと応対しているわね」

 監視カメラには音声機能がないので声は聞こえない。

 が、身振りはおれの妻そのものだ。

 感心しないわけにはいかないだろう。

「でも葉山刑事はおれの妻と面識がないよ。会ったのは妻モドキだけだ」

 佐知にはそう言うが自分の言葉が宙に浮く。

「それにしても堂に入ってるわね」

「自分で役者と言っていたから演技には自信があるんだろう」

 やがて妻モドキに案内され、葉山がリビングルームに入ってくる。

 この場から逃げる機会を放棄した佐知はモニターの所で仁王立ちしている。

「山下さん、休日に済みません」

 リビングに入るなり葉山が慇懃に言うので、

「捜査に進展がありましたか」

 おれも慇懃に答える。

 何を持ってきたのか、葉山は肩から黒いバッグを下げている。

「大型トラックを借りた人間がわかりました」

「えっ、本当ですか」

「使った名前は偽名でしたが……」

「それじゃ、わかったことにはならないでしょう」

「身長百六十五センチメートルくらいの太った男です」

「そうですか」

「ですが、それは変装で実は痩せているかもしれません」

「確かに逆は無理でしょうね。太った人間は痩せた人間に変装できない」

「バイクの方は七台ともすべて型式が同じなので虱潰しに探せば、いずれ犯人に行く着くでしょう」

「できることなら、身代金がすべて使われないうちに犯人を逮捕してください」

「もちろん全力を尽くします」

「ところで今日、葉山さんは何のご用でウチへ……」

「奥さまにお話を伺いたいと思いまして……」

「狂言誘拐の仲間としてですか」

「そのことを、奥さまにはお話に……」

「わたしは妻に隠し事をしません」

「立派な心掛けですな」

 そう言いつつ、葉山が何故か佐知を見る。

 おれは居ても立ってもいられなくなる。

「妻が退院した翌日に警察は事情聴取をしたでしょう。まだ何か、妻に聞きたいことがあるのですか」

「あの事情聴取は奥さまの状態を考慮した簡易的なものでして……」

「それで、もう一度話を聞きたいと……」

「証言の裏は取れているから警察署に呼び出はするな、と上司に釘を刺されました」

「それでわざわざウチまでやって来られたのですか。アポもなしに……」

「霧島佐知さんがお宅を訪問するらしいという情報を摑んだもので……。ではこの際、ご一緒にと……」

 不意に葉山の口から自分の名前が出たので佐知がビクリとする。

 おれも驚いたが、

「霧島くんが事件に関係しているとでも仰るのですか」

 と冷静を装い、葉山に問う。

「いえ、それはまだ調べがついておりません」

 醒めた目で佐知を見つめつつ、葉山が答える。

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