13 役
「なるほど」
葉山が首肯く。
「記憶障害があると厄介ですな」
そう呟きつつ、おれを見、
「奥さまが目覚めたら教えてください」
携帯番号が書かれた名刺をおれに渡し、そそくさと病室を出る。
その前に、
「この病院でなくても構いませんが、奥さまは確りとご診断なさった方が良いでしょう」
と、おれに言い置く。
「当然、そうしますよ。ご丁寧に、ありがとうございます」
おれは皮肉に聞こえるように、ゆっくりと葉山に答える。
ついで医師に向き直り、
「妻のことをお願い致します」
と頭を垂れる。
「勿論ですよ。どんな患者さんでも依怙贔屓は致しません」
恰幅の良い医師が答える。
おれは、そのとき初めて『小山裕司』と記載された胸のネームプレートを目に留める。
おれの会社では社員全員がネームプレートを首から下げているが、この病院の場合、白衣のポケットに挟む習慣のようだ。
そんなことを、おれが思っていると、
「ああ、言い忘れていましたが、わたしは小山と言います」
小山医師が思い出したように、おれに自己紹介をする。
「そういえば、ご挨拶が、まだでしたね」
と、おれが続け、
「山下小百合の夫の豪儀です」
「ゴウギさんと仰いますと、あの豪儀ですか。威勢が良く、素晴らしく立派という……」
「お恥ずかしい限りですが、その通りです」
営業の場ならば、珍しい自分の名前をきっかけにセールストークもするが、妻の医師相手では、それ以上話を広げる気にもなれない。
「妻は何時頃、目を覚ますでしょうか」
「昨晩ずっと起きていらしたのなら普通の睡眠時間分はお眠りになられると思います」
小山医師の回答を聞き、おれは葉山が長年の刑事の勘でそのことを知り、病室を出たのだと気づく。
「そうですか」
が、おれがそう答えたとき、妻のベッドで布団を捲る音がする。
その音に、おれが妻を振り返ると枕の上で目を開けている。
キョトンとした表情だ。
ついで妻が半身を起こす。
顔の表情は変わらない。
小山医師とおれを妻が交互に見つめ、いったい誰なのかを思い出しているようだ。
医師には覚えがあるが、おれにはない、という表情のように、おれには思える。
つまり、小山医師の見立てが正しかった、ということか。
が、それが本当だとすれば、いろいろと厄介なことになるだろう。
けれどもそれ以上に問題なのは、病院のベッドで初めて妻を見たときから続いている違和感だ。
妻そっくりなこの女が、おれの妻ではない、という違和感。
「山下小百合さん、こちらの方をご存知ですか」
おれの心の動きを知ってか知らずか、小山医師が空かさず妻に質問する。
小山医師としても妻の病状を早くはっきりさせたいのだろう
が、妻(のような女)から帰ってきた答は……。
「夫です」
まるで記憶障害を感じさせない正解さだ。
小山医師の顔に動揺が走る。
自分の勘が外れたことに面食らったようだ。
それがきっかけ、ということもあるまいが、
「わたしは一旦去りますので、ご主人とお二人で十分にお話をなさってください」
と妻に言い残し、病室を去る。
後には、おれと妻(のように女)だけが残される。
当然かもしれないが、重い石のような沈黙が降りている。
が、それも長く続かない。
「わたしの答は正しかったようね」
「きみはいったい誰なんだ」
おれと妻モドキが、ほぼ同時に言う。
「あたしはあなたの妻でしょ」
「おれの目にも、きみは妻にしか見えないが、三年間の結婚生活を舐めてもらっては困る」
「そう……」
「きみは誰なんだ。誘拐犯からのDVDに映っていたのもきみか」
「あたしの演技、上手かったでしょ」
「やはり妻ではないんだな」
「保険よ」
「保険……」
「あなたが警察に本当のことを言わないための……」
「つまり誘拐犯の仲間なんだな……」
「正確には雇われただけだけど……」
「顔まで変えてか」
「信じられないでしょうけど、あたしとあなたの奥さんはそっくりなのよ。化粧をしたら、完全に一緒。あたし、あの人たちの一人と酒場で面識があってね。今度のことで急にあたしのことを思い出したらしくて呼び出されたら面白い役を振られたわけ……」
「役って、そんな……」
「あたし、役者なのよ。だけど小さい劇団を巡るだけで、まったく目が出なくて……。だから、そんな人生ならば違う舞台に賭けてみようか。と思ってね」
「きみはバカなのか……」
「同じバカでも役者馬鹿よ。山下豪儀さんには、これから長い舞台を付き合ってもらうわ」
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