12 緊
葉山の言葉を聞き、おれが唖然としたのは当然のことだろう。
奥さまが発見された、だと……。
K病院におられます、だと……。
それはつまり、妻は生きている、ということなのか。
あのとき、おれが見た妻は死んではいなかった、ということなのか。
おれの頭の中で考えがグルグルまわる。
まったく訳が分からなくなる。
「さあ、急いでください」
混乱するおれに葉山が声をかける。
葉山の声に同情の色はないが、恫喝する気もないようだ。
おれは葉山に連れ去られるように取調室を出、幾つもの廊下を巡り、D警察署の外に出る。
駐車場に止められたパトカーまで案内され、後部座席に座らされる。
隣の席は葉山だ。
手錠こそされていないが、葉山に連行される気分しかしない。
が、D警察署を後にしたパトカーは安全運転だ。
当然、サイレンは鳴らさない。
そういえば昔、サイレンはギリシャ神話に登場する半人半鳥の精、セイレーンが語源だ、と調べたことを急に思い出す。
航行中の船の乗組員を美声で誘惑/難破させる海の怪物だから、正義や平和を守る警感じたことも……。
それから先は、ただ移り変わる車窓の景色を見るとはなしに見続ける。
魂胆があるのか、葉山も黙ったまま、口を開かない。
携帯に連絡があったときだけ、部下に簡潔な指示を出す。
そんな状態が暫く続く。
やがて法定速度内走行で三十分ほどし、都内K市にある警察病院まで辿り着く。
パトカーの中で一時的に落ち着いていたおれの心がまた乱れ始める。
受付カウンターで葉山が部屋番号を確認する。
ついでエレベーターで三階まで昇る。
辿り着いた三〇七号室は個室でネームプレートには『山下小百合様』と記されている。
葉山と二人、病室に入ると、
「先ほど、お休みになられました」
患者付き添いの看護婦が言う。
「今、先生を呼んできますから……」
おれと葉山にそう言い置き、小柄で若い看護婦が病室を出る。
「奥さまに間違いありませんか」
覗き込んだ妻の顔に苦悶の表情がないことに何故か混乱を覚えたおれに葉山が問う。
「そうだと思いますが……」
おれは答えるが、どこか違和感を覚える。
「間違いありませんか」
「おそらく……」
「山下さん、しっかりしてくださいよ。ご自分の奥さまじゃないですか。何故、そんなに自信がないんです」
「いえ、自分の判断に自信がないじゃありませんよ。昨日からのゴタゴタで頭が混乱しているだけです」
「頭が混乱して、奥さまの顔がわからなくなるとも思えませんが……」
「そんなのは人によるでしょう」
言っては見たが、違和感は消えない。
葉山は一度黙ったが、
「山下さん、狂言誘拐の可能性は、まだ消えていませんから……」
とボソリと言う。
「それならば、元気になったところで妻に尋問すれば良いでしょう」
面倒になり、おれがそう答えると、
「当然、そのことも考えています」
葉山が言い、一旦会話が途切れる。
沈黙だ。
ベッドで眠る妻の規則正しい寝息と、おれには何だかわからない装置が振動する音だけが病室を満たす。
暫らくその状態が続き、やがて医師が病室に現れる。
恰幅の良い中年男だ。
おれと葉山に丁寧に頭を下げると、すぐに話し始める。
「患者には、これといった外傷はありません。当院に着く前に警察関係者から連絡がありました関係で奥さまのお身体は――簡易的にですが――一通り、調べてさせてただきました。襲われた形跡はありません」
「そうですか」
葉山が答える。
「健康状態は……」
「昨晩から、お食事をされていないようですから、点滴をしましょうか、とご提案しましたが、お断りになられました」
確かに今、妻の腕に点滴チューブは繋がれていない。
「急いでいらっしゃるのなら、お目覚めになれば退院は可能です」
おれと葉山の顔を交互に見、医師が言うので、
「本当に、妻はどこも悪くないのですね」
と、おれが訊ねる。
「ええ」
医師が首肯し、
「ただし、あくまで肉体的にという意味です。詳しいことは調べて見なければわかりませんが、精神的なケアが必要かもしれません」
と続ける。
それを聞き咎め、
「どういう意味ですか」
葉山が鋭く医師に問う。
「この病院に運ばれて来たときに取り乱していたとか……」
「それはありませんが、記憶障害があるかもしれません」
「しかし奥様ご本人にお名前を確認されたんじゃありませんか」
「山下小百合さんは、ご自身の持ち物から、ご自身のお名前を知ったのかもしれません。わたしが最初にお名前を『山下小百合さんですね』と尋ねると『はい』と――診ようによっては自信なく――、お答えになりましたから……。その後、お身体の診察に入り、先ほど、お眠りになられたので、本当に記憶障害かどうかは未確認です」
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