3 帰

「今日で終わりね」

「ああ、愉しい足掛け三日だったよ」

 帰りの新幹線車中で佐知と会話をする。

「そういえば奥さんには連絡をしたの」

 佐知が問うので、

「佐知が風呂に入っている間に……」

 おれが答える。

「あたしに気をつかったのね」

「逃げ場のないところで機嫌を悪くされても困るからな」

「これから家に帰ったら奥さんとお愉しみでしょ」

「今日は疲れたと言って寝るよ」

「ふうん」

「あいつ、あんまり夜が熱心じゃないんだ」

「夫婦なのに……。お高く留まっているの」

「それはないけど、今でも妻のことは腫物を触るように扱っているよ」

「何だか、疲れそう……」

「十分疲れてるよ」

「だからあたしといるわけか」

「そういうこと」

 ついで佐知がおれの耳許に、

「ねえ、いつ奥さんを殺してくれるの」

 と小声で問う。

 だから、おれも小声で、

「すぐには無理だろう。機会を伺わないと……」

 と佐知に答える。

「一年も二年も待つのは厭だわ」

「できるだけのことはするからさ」

「じゃ、信用できないけど信じて待つことにするかな」

 東京駅に着くと佐知と別ルートで家に帰る。

 本来ならば新幹線の席も別々の方が良かったが、佐知に押し切られる。

「誰も、わたしたちのことなんか気にしてないわよ」

「知った顔があると困るだろう」

「課長さん、今まで車内で知り合いに出会った経験は……」

「ないよ。駅のホームで遠くに見かけたことは数回あるが……」

「だったら、いいじゃないの」

 それで帰りの数時間を佐知と過ごすことになる。

 他愛ない会話を続けながら……。

 女優や歌手が別れたとか、くっついたとか……。

 会社の誰それが寿退社しそうだとか……。

 が、そんな会話が、おれには愉しい。

 妻とは、そういった会話をしないからだ。

 では、いったい、どんな会話をするのかと言うと……記憶がない。

 自分でも吃驚したが、それが事実のようだ。

 夜、八時過ぎに最寄駅を出て家に向かう。

 営業で走りまわっていないときと、ほぼ同じ時刻だ。

 遠くから自分の家を見ると小さくない。

 豪邸ではないが、近頃流行りのペンシル住宅とは一線を画す歴とした一戸建てだ。

 両親のいない妻の実家――こちらは白亜の豪邸だが――を人に貸し、結婚と同時に住めるように建てた家。

 両親の記憶が残る邸に妻の小百合は住みたくないという。

 さりとて売ったり、建て替えたりするのも厭で結局人に貸すことになる。

 家賃は月四十万円貰っているが、それが高いか、安いのか……。

 それだけの金が払える人物ならば信用できるという判断もある(ヤクザを除く)。

 最終的にIT会社の社長が家族三人で住むことになる。

 金はあるが、タワーマンションが好みではないらしい。

 訊いてはいないが、本人か家族の誰かが高所恐怖症なのかもしれない。

 ピンポーン。

 門扉を開け、周りに花が飾られた白い小路を歩き、玄関チャイムを鳴らす。

 すぐに妻がドアを内側から開ける音がする。

 家の鍵は持っているので、おれが自分で開け、中に入っても良いが、妻が夫を出迎える習慣なのだ。

 この家に住んだときから、そうしている。

「おかえりなさい」

「ただいま……」

「すぐにお食事にしますか」

「そうだな、お願いしよう」

 そう言い、一旦二階にある自分の部屋に入り、ラフな服装に着替える。

 着替え終わると佐知から貰った青酸ナトリウムの小瓶を鞄から出し、つくづくと眺める。

 おれの心に言葉にならない想いが過る。

 同時に佐知の笑顔が瞼の裏に……。

 ついで妻、小百合の静謐な白い顔が頭に浮かび……。

 おれは妻を殺せるのだろうか、という漠とした不安に憑りつかれる。

 だから、ふう、と溜息を吐き、机の上の貴重品箱に青酸ナトリウムが入った小瓶を仕舞う。

 貴重品箱の鍵は机の引き出しに入っているから子供騙しのようだ。

 が、鍵を閉めることで安心が買える。

 さすがにその夜は鍵を引き出しに戻す気にはなれず、財布の中へと移したが……。

 階段を降り、ダイニングに向かうと良い香りがする。

 妻は料理上手なのだ。

 テーブルを見るとアヒージョがある。

 おそらく白子のアヒージョだろう。

 白子は共食いだと嫌がる男もいるが、おれは好きだ。

 それを知っているので妻が時々メニューに加える。

「旅館のお料理に比べたら味気ないでしょうけど……」

 おれの姿を確認し、妻が言うので、

「いや、旅館の料理の方が味気ないよ。特に一人ではね」

 と言わなくてもいいことまで口にする。

「ああ、そういえば」

 と急に思い出しわけではないが、妻に、お土産のイヤリングを渡す。

「まあ、嬉しい。ありがとう」

 物凄く高価なものではないが、大粒の真珠が妻の小さな耳に似合うと思い、買ったのだ。

 出張に出かけたとき、必ず妻に土産物を買うのも結婚してからの習慣だ。

 宝石店には佐知と二人で入ったから、店を出た後、

「あたしには買ってくれないのね」

 と嫌味を言われる。

 だから、

「いずれ何でも買い放題だろう」

 と佐知を宥める。

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