2 計
出張での仕事を終え、旅館の部屋に戻ると佐知がいる。
浴衣姿だ。
「艶やかだね」
「嬉しいわ」
結局、仕事相手からは食事に誘われず、街に食べに行くことにする。
予定が立たなかったので旅館の夕食はキャンセルしてある。
午後七時を過ぎていたので佐知も腹が減ったことだろう。
外食に誘うと嬉しそうな顔をする。
出張先が観光名所なので食事処も多い。
これが単なる工場地帯だと喫茶店すら見つからない。
喫茶店に入るには、大抵、最寄駅まで戻る必要があるのだ。
「あー、お腹いっぱい」
「それはようございましたな」
「少し歩かない」
「いいね……」
旅先だからか、佐知はセクシーな衣装を身に纏っている。
会社では地味な経理部員だというのに……。
「佐知、きれいだよ」
「ありがとう、課長さんもね」
「オイオイ、ここまで来て課長さんはないだろう」
「じゃあ、山下さん」
「普通、下の名前で呼ばないか」
「でも、課長さん、って呼び慣れちゃったから……」
「おれの方は佐知だけどな」
「あたしの苗字、覚えてる……」
「時々忘れそうになるよ」
「会社で、うっかり呼ばないでよ」
「そもそも社内では、あまり会わないだろう」
「他の人が知ったら吃驚するよね」
「そうだな」
「みんな、山下課長は奥さん一筋だと思ってるから……」
「実際、佐知と会う前は一筋だったよ」
「課長の奥さん、お金持ちだからね」
「親が金持ちだったんだよ」
「でも亡くなった」
「ああ、飛行機事故で……」
「それで今は一人娘の奥さんが大金持ち……」
「二、三億しかないよ」
「一般庶民からすれば大金だわ」
「おれにとっても大金さ」
すると佐知は心なしか声を潜め、
「ねえ、奥さんを殺す計画は進んでいるの」
と乾いた声でおれに問う。
当然、その目は笑っていない。
「考えてはいるが、上手い方法が見つからない」
おれは佐知に答え、目を反らす。
「山下課長は意気地なしよね。名前は豪儀なのに……」
「まったく可笑しな名前をつけて……。親を怨むよ」
が、佐知はおれのその言葉には反応せず、
「毒を見つけたわ」
とボソリと言う。
「毒って……」
聞き間違いかと、おれが反芻すると、
「毒は毒よ。人が飲んだら死ぬ毒……」
と答える。
「それを佐知が持ってんのか」
「まあね」
「何故……」
「昔付き合ってた男の持ち物がまだ少しアパートにあってね。そういえば、って探したら見つかったのよ」
「わけがわかんないぞ。それに昔付き合ってた男って……」
「大学の頃だから今は他人よ」
「それで……」
「理系の学生で化学を専攻してたの」
「それで……」
「そこまで言えばわかるでしょ。」
「まさか、毒薬を盗み出したのか」
「持ち出しに厳しくなかったのよ。それに実験に使うから管理もルーズらしくて……」
「そんなものなのか」
「そんなものなのよ」
「で、それを佐知が貰ったのか。何故……」
「あたしも昔はロマンチストだったのね。だから心中用……。」
「馬鹿げてる」
「今なら、あたしもそう思うわ」
「で、毒薬の名は……」
「青酸ナトリウム。錯体の原料なんですって……」
「……と言われてもな。青酸カリじゃないのか」
「それは青酸カリウムのこと。正確にはシアン化カリウム……」
「ふうん」
「青酸ナトリウム、つまりシアン化ナトリウムもシアン化カリウムとほぼ同じ性質なのよ」
「つまり人を殺せる」
「そういうこと」
「しかし、いくら薬物があっても、妻が死ねば真っ先に、おれが疑われるだろう」
「普通はそうね」
「普通じゃない場合があるのか」
「だって、毒の出所がわからないでしょ。かりに課長さんとあたしの関係が警察にバレて、あたしの過去の男が化学系の学生だというところまで行きついたとして、それだけの疑惑じゃ裁判に勝てない」
「なるほど」
「実は今日、持って来てるのよ」
「えっ」
驚くおれに佐知が嫣然と言う。
「だから、なるべく近いうちに奥さんを殺してね」
ニコリと可愛い笑顔を浮かべながら……。
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