第5話 運命の輪
「起きたまえ」
知らない声で目を開けると、そこは知らない場所だった。
「さっきはすまなかったね、手荒な真似をして」
「すまなかったじゃねえよ、危うく死にかけたわ」
反射的に突っ込んでしまったが誰だこのオッサン。全然知らねえ。
俺に向かい合うようにして、男が椅子に座っている。
三十代前半くらいで、黒地にグレーのストライプに銀髪のツーブロックにサングラスって、怪しいにも程がある。わざとか。
その怪しい奴の隣には――見たような顔の女。
小柄で無表情、童顔でポニーテール。俺と同年代に見える。
そしてさっきから感じてる違和感。動けないと思ったら、椅子に縄で縛られていた。
どこかの会議室みたいな、中途半端に狭い、白くて無機質な部屋。そこに、縛られた俺と怪しいオッサンと女。嫌なことしか起きそうにない。
「で、あんたは誰だ」
今日だけで二回も言っているが、「あんたは誰だ」なんて人生の中でもかなり言う機会のない言葉だと思う。
「私は
茅野という女は、紹介されて礼儀正しくおじぎをした。
自己紹介してもらったが、ほとんど意味をなさない。名前が分かっても、状況が全く理解できないからだ。
「君は、秋月近衛くんで間違いないね?」
「ああ」
ちょっと自信ないけど。
「ここは、私が取り仕切る魔術結社の拠点だ。普通のビルの一室だが。本来ならもっと穏便に君を招くつもりだったんだが、予定が狂ってしまってね。早急に確実に君を連れてくるには、意識を奪うしかないと判断したのだ。しかし頭を殴って失神させるのは乱暴すぎた。すまない」
どんな判断だよ。確かに尋常じゃない状態に陥っていたのは認めるけど、少なくとも殴られる直前は落ち着いてたじゃねえか。
でも落ち着いた状態でこいつに声をかけられてついて行くかと言われれば絶対行かない。どっちにしろ殴り合いくらいにはなっていただろう。
「魔術結社とか言ったな。俺は魔術師じゃねえぞ、何の用だ」
さすがに魔術の存在は否定しない。ついさっき目撃したばかりだからだ。
「そうだな、我々も君自身に用はなかった。用があるのは――」
「《道化師》か」
「うむ。君は思ったより冷静で頭の回転も速い。我々が迎えたいのは《道化師》だ。君の中に存在するのは分かっている」
そりゃ、さっき大暴れしたからな。
「見てたのか、さっきの」
「見ていたとも。存在を掴んだのは、君が半端者のカード遣いと戦う前からだったがね」
なんというか、芹沢は怪しいが怖くはない。見た目だけなら関わり合いになりたくないと思うのだが、その声が妙に若々しく優しいように聞こえるからか。
「さて、そこで、君にはさっそく《道化師》になってもらいたい」
「……なんでそんなことしなきゃならねえんだ」
普通に話はできるが、こいつの命令に従う義理なんてない。
「君にはそうする以外に選択肢はないのだよ」
「はあ?」
いきなり脅しかよ。怖くないとか言っちゃったけど撤回する。
「というか、他の選択肢は我々で潰させてもらった。まず君は縛られているし、仮に縛られていなかったとしても、この部屋から出ることはできない。私はともかく茅野くんがそれを許さないだろう。――そして、ありえないことだが万が一茅野くんを突破したとしても、君が帰る場所はもうない」
「待て、そりゃどういう意味だ? まさか俺の家に火でもつけやがったのか」
芹沢は薄く笑った。
「家は存在しているよ、君の職場もね。ただ、その場所から君の存在が消えているのだ。つまり、君の家も職場も君のものではない。君は最初からそこに存在しなかったことになった、というわけさ」
「存在を抹消したってのか。いくらなんでもそんなこと……」
魔術結社がどんなものか分からない以上、断定はできないが、ハッタリであってほしい。
「後で調べてみるがいいさ。まあ、君の新しい居場所はこちらで用意しているから安心したまえ」
たった一日で大家との契約解除を本人抜きで行い、さらにどういう手を使ったのか履歴を削除するなんてただごとじゃない。とはいえ、違法な手段を厭わないならそれくらいは可能かもしれない。しかし、職場はそうはいかないだろう。
「職場には俺を可愛がってくれてるオーナーがいる。俺の存在をなかったことになんてできねえはずだぜ」
芹沢は、ニヤリと笑った。
「君は冷静だが記憶力は今一つのようだね」
「……?」
芹沢は俺を試すように黙っている。よく見れば分かる事実があるということなのか。俺は、芹沢の隣の茅野という女をよく観察してみた。
「あ」
そうだ。見たような女だと思った。
「あんた、店に来た奴か! 俺が出て行こうとしたときぶつかりそうになった……」
茅野は、無言でうなずいた。
「そう。彼女は君のオーナーのもとへ向かい、記憶を操作した。だからもう、君のことは憶えていない。この話が本当かどうかは、後で自分で確かめることだ」
自分で確かめる自由くらいは与えてくれるつもりのようだ。
「君に逃げ場はない。だが私だって鬼ではないのだ。君が協力してくれるのなら、新しい君の居場所と立場を用意してあげるよ。悪い話ではないはずだ」
「けっ、まるっきり悪役のセリフだぜ、分かってんのか? あんたは、俺に協力を依頼しているにすぎねえだろうが。あんたは協力しなかった場合のデメリットしか提示してねえが、協力ってのはこっちにも何か見返りがなきゃ成り立たねえんだよ。俺はお人よしじゃねえんだから」
強がりだ。芹沢はわざとらしくため息をついた。
「分かった。では、我が結社に協力してもらうにあたって、居場所と同時にパートナーもつけることにしよう」
「はあ? ただの監視役じゃねえのかよ」
どこがメリットなんだ。
芹沢は俺の言葉を無視し、知らない言語で何かを鋭く叫んだ。
すると、一瞬炎の壁が立ち上り、そこに女の子が現れた。
金色のロングヘアに赤い目、そして真っ赤なノースリーブのワンピースドレスを着た、十代半ばくらいの子だ。ちょっと釣り目ぎみで強気そうな顔つきだが美人。
いきなり女の子を目の前に連れてくるなんて、相当な手品か、でなきゃ本物の魔術だ。
「彼女は《魔術師》だ。君の《道化師》と同じような存在だよ」
《魔術師》。タロットの1のカードだ。女の子はその化身ということか?
「ちょっと四季、この子、あたしの知ってるフールとは全然違うじゃないの」
魔術師の女の子は不満そうな声とともに芹沢を睨みつけた。
「フールって、あのピエロの名前か?」
「そうよ。確かにあんたからは、あんたの陰に隠れて二重にフールの気配がするわ。でもこれって、ありえない状況なのよね……」
腕組みしながら、魔術師は俺をじろじろと観察する。
「ふむ。これはやはりイレギュラーか。どうにかして奴を表に出せないかね」
「召還の応用でなんとかなるとは思うけど」
そう言って、俺の額を人差し指と中指の先で触れた。
魔術師は、やはり知らない言語をブツブツと唱え始めた。
「……ごふぁっ……」
吐き気、眩暈、頭痛。そして、腹と胸が締め上げられていくような感覚――
「い、ぁぐっ……ふ……」
やめろ、とか、何すんだ、と言っているつもりだがまともに言葉も出てきやしねえ。それどころか息も満足にできない。
ダメだ、意識が――
「……ぷはーっ。もー、乱暴すぎだよー」
って、なんでそっちがびっくりしてんのさ。
「フール……」
「うん、久しぶりー。キヒヒヒヒ」
相変わらずオシャレでかわいいなあ。《魔術師》にふさわしい。
「ひどいなー、ルリアちゃんってば。いきなりこんな痛いことしなくてもいいじゃーん。いくらボクでもこの仕打ちはショックだなー」
ルリアちゃんは、あたふたと焦って顔を赤くする。
「ち、違うわ。私は別に、あんたを痛めつけようなんて思ってなかった。この術式は、苦痛を伴わないもののはずよ」
「うん、知ってるー」
特殊なのはこっちの方だからね。
「あ、四季さーん。今回はかなり無理やりな再会だね。人生、余裕があったほうが楽しいと思うよ?」
四季さんは、一瞬だけ顔を強張らせたけどすぐもとに戻った。ちぇっ、さすがに慣れてるか。
「ねーねー、ボクに用があったんでしょー? こうなった以上、ボクはもう逃げないよ。だから縄ほどいてよー。ボク、束縛されるのって一番嫌なんだよね。知ってるでしょ?」
「道化師よ。君にとって縄など、何の拘束力もないはずだが?」
んー、まあ確かにそうだね。
「キヒヒヒッ、クヒッ、ヒヒヒヒハハハ……」
縄抜け。道化師や手品師には基本的な技だ。関節を外し、筋肉を変形させればすぐに抜けられる。
「よいしょっ」
そして一度に関節を元に戻せば完了。ボクは立ち上がり、椅子を持ち上げる。
「ィイーーハハハハハ!!」
それを四季さんに投げつけた。
「こら!」
ルリアちゃんは怒鳴りながら、多分風の魔術で椅子を吹き飛ばして四季さんを守った。
「あんたって、ほんとにバカね……。何のつもり?」
「何でもないよーん。ボクのすることに意味なんて求めちゃダメだよ」
ルリアちゃんもずいぶん慣れてきたみたいだ。今度やるときはもっと意表を突かなきゃ。
「フール。分かりにくいが、私が君に無礼を働いたことに怒っているのかね?」
四季さんは至って冷静。サングラスのせいもあって、表情が分からない。
「違うよ。っていうか、こっちこそごめんね。すぐに出てこられればそれで済んだ話なんだけどさ」
「というと、君の選んだ器が特殊だったのか」
「そうみたい。こんなこと、今までなかったんだけどね」
たいていの場合は、ボクが入ればどんな人間でも完全にボク自身になるはずなんだけどなあ。それはそうと、ボクと《ゴラル》か。
「今回はこういう組み合わせか。悪くないんじゃない? 二回目だし、うまくいくかもしれないね」
「ああ。私もそう願うよ」
ルリアちゃんは一歩前に出て、腰に手を当てて怖い顔をした。
「今回こそは、あたしたちでなんとかするんだから。絶対に、前の二の舞なんてしないんだからね」
「それが一番だねー」
デコピンされた。前髪がなかったらめちゃくちゃ痛かったと思う。
「なに他人事みたいに言ってるの。もとはあんたのせいじゃない」
「やだなあ。ボクだってただの役割で存在してるだけなのにー。いいじゃん、当事者だってことぐらい自覚してるんだからー」
四季さんが二回、手を叩いた。
「じゃれ合いはそこまでにしたまえ。我々は本格的に動かなければならない。茅野くん、フールに例のものを」
秘書の茅野さんは、机に置いてあった小さな箱をボクに手渡した。
「これ、カードケース?」
銀でできた、ちょっと重いカードケースだ。彫刻がきれい。
開けてみると、カードは五枚しか入ってなかった。
《杖の1》、《剣の1》、《杯の1》、《金貨の1》、そして《魔術師》。これはルリアちゃんが描かれている。
「どのカードも個性的だね。剣なんか、刃も柄も真っ赤だし。杖はルリアちゃんが普段使ってる金色の杖だ。でもこれじゃ、占いもできないよ?」
「それは占い用ではない。ゴラルが《原典》から複製した魔術用のカードだ。君が入り込んだ秋月近衛くんなら使えるだろう。それと、そろそろ彼を表に出してあげたらどうかね。入れ替わった瞬間には意識を取り戻し、我々の話も聞いていたはずだ。哀れな彼に、現状を認識させてやらねばなるまい。私からできる話は以上だ」
つまり、これを持って帰れってことか。
「分かったよ。帰るから、新しく用意した居場所とやらに案内してよ」
四季さんはまた、不適に笑った。
「私には直接案内はできない。安心したまえ、すぐに場所は分かるさ」
茅野さんは、会議室のドアを開けてボクらに退出を促した。どうでもいいけど、この人全然喋らないな。
「ちぇーっ。行こ、ルリアちゃん。相変わらず意地悪で嫌になっちゃうよねー」
廊下に出た。そこはどう見てもきれいな普通のオフィスだ。エレベーターに乗って一階へ。ちなみに会議室は四階だった。外に出る。
「ふう……」
唐突にもとに戻った。いい加減に慣れてきたな、これにも。
「あれっ?」
ルリアがいない。まさかさっきのは幻覚――ってこともないな。ビルはちゃんと後ろに建ってる。看板も何もないけど。カードケースも持ってるし。
それにしても、どこなんだ、ここは。スマホで確認してみると、なんとかなり遠くまで連れてこられていた。しかも全然知らない場所だ。
苦労して駅まで歩き、電車で最寄まで帰った。やっぱり安心感あるな。
そして、まずはカフェに走った。さっきの茅野とかいう女に記憶を操作されたって話だが、ミズキさんは無事なんだろうな。
「え……」
絶句するしかなかった。
そこは空き地だった。店が、ない。
記憶どころじゃない。存在自体、なかったことになってるってのか。スマホで住所を確認しても、店を検索しても出てこない。口コミで繁盛してたのに、その痕跡すらない。
おいおい、じゃあほんとに――
「嘘だろ……」
アパートに帰ってみると、俺の部屋が空き物件になっていた。
大家も俺のことは知らず、警察に通報されそうになったがなんとか押しとどめて逃げた。
「帰る場所……マジでねえじゃん……」
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