第2話 道化師

 俺が占い師になったきっかけは、些細なことだ。

 大学一年生のとき、ちょっと変わったバイトをしてみようと思ったのだ。スーパーやコンビニで働くのは疲れる。事務作業のバイトはつまらなそうだ。そんなときネットで地元の繁華街の店の求人を見ていたら、あった。

 そこは占い専門店で、占い師たちはブースに分かれて客がそこに入る。値段設定もなかなか強気で、完全歩合制。

 これは面白そうだし、うまくすれば稼げるかも。

 俺は本屋でカードと専門書を買って勉強し、友達をかき集めて練習した。だいたい三週間でマスターして面接に行ったら採用された。

 俺は、自分で言うのもなんだが売れていた。若い男の占い師で、変にスピリチュアルなことも言わないので、そこまで本気じゃない客には受けたのだ。


――が。二年後、いつものように出勤しようとしたら店はいきなり潰れていた。

 そこで生計を立てていたベテラン占い師は泣いていた。俺は大学生バイトなので切迫していなかったが、あわよくばそこに就職しようと考えていたのでちょっと面倒だな、と思っていた。

「就活したくねえなあ……」

 そんなつぶやきが聞こえたのか、金髪の知らない人に声をかけられた。

「それなら、うちの店に就職しない?」

 それが、ミズキさんだった。

 最初は、なんだこの――男? 女? どっちか分かんねえけど馴れ馴れしい奴は、と思ったが、すごく魅力的な人だということが分かった。カフェも普通に客が入っていたし、何よりメシがうまい。

「ねえねえ、ここで占いの仕事をしてよ。部屋はあげるし、場所代は売上の二割でいいから」

「二割って……」

「あら、高いかしら?」

「いやいやいや!」

 激安だ。専門店ではもっと取られた。

「やります、やらせてください!」

 二つ返事でその申し出を受け、無事、就活から逃れたというわけだ。月収で考えても同級生よりかなり稼げている。ラッキー。


 夜になって客がだいぶ捌けて、そろそろ閉店だ。俺はここに来るまでの妙な経緯を思い返し、ぼんやりしていた。

 ドアがノックされる。

「コノエちゃん、お疲れ様。今日はもう上がっていいわよ」

 俺は部屋の掃除をして、カフェの掃除を手伝う。

「ねえコノエちゃん。今考えるとアタシ、悪いことしたなって思うのよ」

「ん?」

「占い師って基本、一人じゃない? 部屋に閉じこもってお客さんとだけ話すの。若い男の子のやることじゃないわよねえ」

「いや、別に俺はこの仕事が好きでやってるだけだし……」

「アタシが言ってるのはそういうことじゃないわ。若者として不健全なんじゃないかって思うの。あんまり社会に出たって感じじゃないわよね、これ。同僚も上司もいないし」

 まあサラリーマンじゃないな。同級生はみんな、契約だのノルマだの、上司がクソだの同期にかわいい子がいるだのと、忙しそうだ。

「ミズキさんは一応、俺の上司に当たると思うけど」

 そう言うと、ばしっと肩を叩かれた。男の叩き方だ。痛い。

「バカね、どこの世界にオネエ上司とタメ口で話す部下がいるってのよ。アナタ、ちゃんと働いてはいるけど、真っ当な社会経験は積めてないのよ」

「そんなこと、オネエの喫茶店オーナーに言われたくねえよ」

 だいたい何者なんだ、この人。前は何をやっていたのか。くどいようだが本名も分からん。

「んまっ、事実だからってアタシを不審者呼ばわりしないでちょうだい!」

「自覚あるんじゃねえか、矛盾してんぞ。つーか、別にいいだろ。そういうミズキさんだって、スーツ着て会社勤めしてねえし。それは、スーツ着て会社勤めすんのが嫌だったからだろ。普通のオッサンになりたくなかった。だからオネエなんだろ」

 ミズキさんはアハハと笑い飛ばした。

「何言ってるの、別に嫌とかじゃないわよ。消去法でこんなことすると思う? アタシはアナタと同じ。《できるからやってる》だけ。こうするしかなかった、とかじゃないわ」

 それもそうか。世の中には、性同一性障害とかでやむを得ず性別と逆の恰好をする人もいるが、ミズキさんみたいな人が全てそうだとは限らない。

 ミズキさんにはたまたまそれが可能だった。今からでもオネエじゃないお兄さんになることはできる。でも、そうしない。ただそれだけか。

「アタシはね、自分で言うのもなんだけど、男にしておくにはもったいないくらい綺麗だと思うわけ。女っぽいこともできる。できるなら、やってみたほうがいいじゃない?」

「まあなあ……」

 それはそれで特殊だが、否定すべきことじゃない。そんなこと言うなら俺だって特殊だ。普通に就職すりゃいいし、就活が面倒でもやればなんとかなる。でもやらない。せっかく占いができるから。

「さて、掃除も終わったし、コノエちゃんがここから離れないって分かったし、帰りましょ」

「別に離れねえとは言ってねえ――」


「離れないわよ」


 妙に低い、ぞくりとするような声でミズキさんは言った。

 んふ、と、意味ありげな笑顔でウインクまでして。


 帰りましょ、とは言うが、俺とミズキさんの家は逆方向だ。カフェの前で別れる。

 ミズキさんはけろっとして、いつも通りに手を振った。

 今日は土曜だっていうのに、人通りも車通りも少ない。客は多かったし稼げたが、いつもはもう少し賑やかなんだけどな。

 そんなことを考えながら帰る。ぼーっと月を眺めて。

 いつもより大きくて黄色い。時間はそんなに変わらないはずなんだが、季節の変わり目ってわけでもないし……。

 月について考えていたら、その月に黒い影が映り込んだ。思わず立ち止まる。

 人影、に見えた。人影が、ぴょーんと映り込んだ……?

 すると、もっと近くで影が動いた。正面の、ビルの屋上で。

 やべえ奴かもしれない。逃げたほうがいいかな。いや、気づかれたとも限らないし。

 おもわず凝視してしまったが、あれはもう間違いなく人影だ。

「こっち見てる……!」

 逃げよう、と思ったときだった。

 その人影が動いた。こっちに。ぴょーんと飛び上がり――

 落ちてくる!

 自殺かよ! もうどうしようもない、目を背けることも、もう間に合わない!

 硬直したまま動けないでいる俺の目の前にそいつは落ちてきた。

 しかし、そのまま地面にたたきつけられることはなかった。

 しゅたっ、という効果音が聞こえるほど鮮やかな、かっこいい着地を決めた。ハリウッドのマーベルヒーローがやる、跪くような着地。スーパーヒーロージャンプだ。

 立ち上がったそいつは、異様な恰好をしていた。


 そいつは俺と全く同じ身長で、若そうな男だった。大きな白いシルクハットを被り、ついでに黒い前髪を垂らして目が完全に隠れていた。そして、右は黒地白抜きの水玉、左は同じくダイヤ柄の、袖が膨らんだ長そでのワイシャツを着て、裾が異様に膨らんだ白いダボダボのズボンを穿いていて、黒い靴は先が尖っていた。

 何だっけ、これ。


 変な恰好で飛び降りてきた男は、右手を挙げて左胸に持っていきながら礼をした。舞台でやる礼だ。顔を上げた男の目は見えないが、口元は笑っていた。歯を見せて、無邪気に笑っていた。

「え、あ、すげえな……」

 とりあえずそう言っておいた。

 すると男は嬉しそうに拍手しながら小躍りした。拍手の音は聞こえない。そして、俺の周りを踊りながら回った。

「えっ、な、何?」

 ああ思い出した。ピエロだ。

「思い出してる場合じゃねえ……!」

 殺される! こんな夜の何もないところで出くわすピエロは、殺人ピエロと相場が決まってるんだ! 

「来るな! 俺は何も知らねえぞ!」

 思わずわけの分からんことを叫んでしまった。 

 ピエロは、にぃっと笑って正面から跳んできた。避けられない――

 俺は吹っ飛ばされた。

 ただし、人間にぶつかった衝撃はなく、突風に飛ばされたとしか思えなかった。

 数メートル飛ばされて尻餅をついた。反射的に辺りを見回したが誰もいない。

 急に、足元からさっきと同じような突風。

「うわっ」

 声は出たが飛ばされはしなかった。当然、足元は地面だ。風穴なんかない。

 もう一度周囲を確認したがやはり俺一人だ。

 俺が怯んでいる間にピエロは立ち去ったのだろうか。だとしても、走って逃げた奴が見えなくなるほどの時間はなかったばずだが。

「ビルからあんなジャンプをかます奴だ、只者じゃねえんだろうな」

 落ち着くために口に出してみたが、めちゃくちゃだ。その通りだったとしたら怖すぎる。逆に焦ってきた。

 異常な身体能力に加え頭までおかしい奴に目をつけられるとは。

「でも、命拾いした……」

 職場からの帰り道でピエロに襲われかけた。俺が何したってんだ。




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