TARO

大槻亮

第1話 占い師

 土曜日の朝7時半。まだ人通りのない駅の裏通りのカフェの前に立つ。

 《準備中》の札がかかったドアを開ける。

「おはよう、コノエちゃん」

 このカフェのオーナーが、キッチンから声をかけてきた。

「おはよう、ミズキさん」

 俺は、秋月あきづき近衛このえ。字面では勇ましい感じがするが、音にすると確かに厳めしくはない。とはいえ、《ちゃん》づけで呼ばれるような顔でも歳でもない。

 散々、ちゃん付けするなら呼び捨てにしろと言っているのだが、オーナーにその気はないようで、もう諦めている。

「今日も期待してるわよー」

 オーナーのミズキさんは、いつものエプロン姿で、パーマのかかった長い金髪を後ろで束ね、薄化粧をして、モーニングのためのポテトサラダを仕込んでいる。開店は9時。平日はもっと早い。

 流れるような手つきで、ポテトサラダは完成し、サンドイッチ用の卵を潰してマヨネーズを和える作業に変わる。俺はその様子を眺めるのが好きだ。

 揺れるイヤリング。マッシャーを握る、白くて長い指。

 ミズキさんの料理する所作は、美しい。

「あら、なあに? お腹空いてるの?」

 顔を上げて、ミズキさんが微笑みかけてくる。金髪は派手だが、化粧は控えめでもともとの顔の美しさを引き立てる。背も高めで、まさに「お姉さん」といった感じ。

「ちょっとな。後でタマゴサンドくれ。買うから」

「やあねぇ。これくらいタダであげるわよ。休日はコノエちゃんのおかげで大繁盛なんだから」

 平日は朝からここに来ることはない。というか、もともと平日の昼間と夜しか来ていなかったのだが、最近のSNSによる口コミとやらで「休日にもやってほしい、むしろ休日にこそやるべきだ」という要望が殺到したらしく、雇われの身としてはオーナーの業務命令には逆らえず、水曜の定休日以外は毎日働いているというわけだ。

 休みは減ったが、仕事はきつくないし、このオーナーのもとでなら楽しい。

 ミズキさんは優しく美しく、客からの評判もいい。俺だって好ましく思っている。

「ミズキさん……」

「ん?」

 首をかしげる仕草もなんとなく優雅だ。

「これで女だったらな……」

 そう。ミズキさんは女ではない。とすれば――

「あら、女扱いしてくれたって別にいいのよ。アタシは気にしないわ」

「でも男だろ」

 男なのだ。声だってきれいだけれど、ちゃんとした大人の男の声なのである。

 ミズキさんは「お姉さん」といった感じだが、正確に言えば「オネエさん」だ。

 しかもきれいなオネエさんなのである。かわいいもの好きで細かい気配りができ、美しくて優しいので女性客からも人気で、分かっていてもうっかり惚れてしまう男性客までいる。

「嬉しいわ。コノエちゃんは、アタシのこと綺麗だと思ってくれてるのね」

「綺麗だ。が、それ以上は何も思わねえな」

「うふふ、それ以上のこと、思ってくれてもいいのよ。アタシ、コノエちゃんになら抱かれてもいいわ」

 すごい色気たっぷりの声と表情。こいつは男だ、と強く思っていなければどうにかなってしまいそうだ。朝から。

「土曜の朝だぜ、カフェのオーナーさん。あんたやっぱり、夜働いたほうが稼げるんじゃねえのか」

 もっと派手でセクシーな恰好も、この人になら似合うだろう。

「冗談じゃないわよぉ。オカマバーって大変な世界なんだから。キャバは女の嫉妬と謀略の世界だけど、オネエの嫉妬ってもっとドロドロしてるの。なにせ、外側は女で中身はオッサンなのよ。いえ、外側もオッサンだわね。男の嫉妬って女のより根深くてネットリしてるの。で、オネエの場合はキャバの女とオッサンのハイブリット」

「うわぁ……」

 想像しただけで胸やけするようなネットリした世界というわけだ。

「それにね、アタシはゲイってわけじゃないのよ」

「あ? そうなのか?」

 てっきりゲイだと思っていたが。

「ええ。アタシはバイなの。だから、ゲイ好きな男しか来ないようなところじゃつまんないってわけ」

 バイとはバイセクシャル。つまり、男も女もいける口だ。

「アタシはかわいいものが好きなの。美少年もイケメンも、美少女も美女も。かわいければな~んでも。それなら、特殊な場所じゃないほうがいいじゃなぁい」

「なるほどな。俺、かわいくなくてよかった」

 俺は23歳。かわいいとは言い難い、成人男性だ。

 そういえばミズキさんの歳っていくつなんだろうか。あとフルネームも。このミズキって名前、男も女も違和感のない名前だが、本名じゃないかもしれない。本名はもっと無骨な、かわいくない名前なのかも。

 かわいいもの好きな彼(?)にとって、自分の好みに合わない名前だから通り名としてミズキと名乗っているのかもしれないな。

「あら、コノエちゃんだってかわいいわよ。そうじゃなきゃ、アタシが自分の店に置いたりしないわ」

「あんたのかわいいの基準って何なんだ……」

 この店は別にプリプリとピンク色に飾り立てられているわけじゃなく、白を基調としたシンプルな店だが、オシャレで小物がかわいい。オーナーもこの店にマッチした美しさ。調和がとれている。

 そこの一部である俺も、《かわいい》のカテゴリーに入っていなければバランスが取れないってこと、か?

「その理屈はおかしいよな……」

 と、前からポンポンと肩を叩かれる。

「さ、考え込むのは仕事中にして、今はその準備をなさいな」


 さて。カフェの開店準備を手伝いもせず、オーナーと喋っているのは、俺が怠け者だからではない。

 俺は、カフェのスタッフではないのだ。

「ねえ、部屋をもっとそれっぽい感じにしたらどう? なんか不思議な飾りを置くとか、ハーブやお香を焚いてみるとか」

「やなこった。前の店じゃ二つ隣の奴がよくセージを焚いていやがったが、くっせえんだよな、アレ。嗅いでると苦しくなるような、ひでえ臭いだった」

 そいつに苦情を申し入れたら、《場が穢れる》だのなんだの、クソみてえなスピリチュアル論を振りかざしてキーキー言いやがったからトイレ用消臭スプレーをぶっかけてやった。

「ふふ、浄化のハーブが苦しいなんて、コノエちゃんって実は悪魔なの?」

「おいおい、ミズキさんまでそんなこと言うのか? 言っとくがな、俺がやってることは、断じて不思議なことなんかじゃない。もちろん、他の連中だって魔法使いじゃねえんだ。そのくせ、自分が特殊な人間だと思い込んでる奴らばかり。いいか、俺は――」

「はいはい、分かってるわよ。アナタはただの占い師。そして占いとは技術に過ぎない、でしょ」

「そうだ。ったく……」

 占いは占いだ。もちろん、もとは魔術の一形態が変化したものとは理解しているが、俺は魔術としてそれを行っているわけではないし、そうである以上俺の占いは魔術ではない。

 俺は、もとはパーティ用の小部屋だった部屋に入る。オフホワイトの壁と天井にこげ茶のフローリングの、シンプルな部屋だ。

 そこには、大きな木製の机一脚に椅子が二脚。向い合せにしてある。そして机にはコバルトブルーの重いテーブルクロス。

 カフェの余ったクロスを使わせてもらっていたのだが、「あまりにムードがないわ!」と叱られてクロスだけそれっぽいのを買った。ネットで。

 そしてその上には、俺の商売道具であるタロットカードのデッキがそのまま、山にして置かれている。78枚のフルデッキ。


 タロットカードは、0から21までの数字が振られた象徴的な切り札「大アルカナ」と、杖・剣・杯・金貨の4種類、1から10までの数札にペイジ、ナイト、クイーン、キングで構成されるトランプのような「小アルカナ」でできている。ちなみにペイジとは「見習い」のことで、ナイトになる鍛錬をしている若者のことだ。

 この78枚のカードで客の質問に答える。占いの場に登場するのはそこから選ばれた数枚なわけだが、絵の描かれた数枚のカードが直接何か言うわけでもない。そこは俺の知識と想像力で、カードが物語っているかのように思わせるのだ。


 土日の朝は客が多い。席に座ってぼーっとカードを眺めたり、本を読んだりしようかな、と思っているともう客が来る。ドアが軽くノックされた。

「どうぞ」

 今日の一人目の客は随分若い女の子だ。十代。女子高生かな?

「わ、え、えっと……」

 緊張して顔まで赤くなっている。

「ドアのそばに立ってないで、こっちに来て座ってください」

「は、はいっ!」

 なんか面接官みたいな気分だ。ここまで固まられると、話しづらい。時間制なのでもったいないし、なんとかほぐさなければ。

「どこでこの店を知りましたか?」

「と、友達が、占ってもらったって……。すごく当たるし、それに占い師さんが……」

「俺が?」

 女の子は黙ってしまった。何だろう、変な評判が立ってるのか? すごく怪しくて変な人だ、とか。

 確かに占い師の男は珍しい。占い師といえばだいたい中年女性のイメージだ。それから考えると、警戒するのも頷けるが……別に怪しい恰好もしてないしなあ。

「えーと、怖がらなくていいですよ。俺はお客さんの話を聞くだけですから。怖いことも言わないし、トラウマを抉ったりもしない。お友達とはちょっと違った方法で相談に乗るだけです」

「いえ、あの、ごめんなさい、そうじゃないんです。……相談、ですよね。恋愛のことなんですけど」

 よし。恋愛は得意分野だ。

「気になってる人が、いるんです。その人が、私のことどう思ってるのかってことと、この先どうなっていくのかなって……」

「その人は、学校の人ですか?」

「はい……」

 女の子は恥ずかしそうに目を伏せた。

 カードをテーブルの上でぐしゃっとかき混ぜる。麻雀牌を混ぜるのと同じように。

 カードをまとめ、一つの山にする。

「じゃ、このカードを適当に三つに分けてください。そうです。で、それをさっきと違う順番で戻して。つまり混ざるように」

 女の子はおっかなびっくりカードの山を混ぜる。

「大丈夫ですよ。これは別に魔法のカードじゃないんですから。呪われたりしません」

「そう、ですよね」

 ただの絵が描かれたカードだ。怖くない。とくに俺のデッキは。

 いよいよ、カードを並べて結果を出す。展開スプレッドだ。


「わぁ……!」

 女の子の顔がぱっと明るくなる。

「かわいいでしょう」

「とってもかわいいです! 猫ちゃんカードがあるなんて!」

 そう、これこそが俺の狙い。女性受けに特化したデッキ、その名も「白猫タロット」。ベースは、ベーシックな教科書的カードであるウェイト版なのだが、その全ての人物が猫なのだ。死神や悪魔も猫。全然怖くない。

――だが。結果のほうは今一つだ。

 決して悪くはない。だが地味なのである。

 占い師にとって一番厄介なのは、悪い結果よりも地味な結果だ。

 今の自分のところに《杯の1》、相手のところに《星》、架け橋に《杯のペイジ》、極めつけに、未来の自分に《金貨の3》と《剣の2》、未来の相手に《杖の9》と《剣の4》ときたもんだ。

 考えうる限り最も地味な結果が出た。ものすごくぱっとしない。

 「このまましばらく現状維持ですね」と言われて納得できる客はいない。たとえそうだとしても、何らかのドラマは求められる。金を払っているのだから。毒にも薬にもならない物なんて欲しくないのだ。

 よし、じゃあまず、情報集めといくか。

 ――カードが出てからここまで、だいたい5秒くらい。方針は一瞬で固めなければならない。

「まず、出会ったのは部活かなんかですか? それもスポーツの。で、相手は先輩」

「えっ、そ、そうです。テニス部の先輩で、あの、すごくうまくて人気もある人なんですけど、入ったばかりの私にすごく丁寧に教えてくれる、優しい人で」

 過去の相手のところに《太陽》と《杖のペイジ》。スポーツマンっぽい組み合わせだ。過去の自分のところに《杯の4》と《教皇》。

「なるほど。部活に馴染めないあなたに声をかけてくれた、と」

「そうなんです! すごい……」

 テンションが上がってきたな。もうこっちのもんだ。

 ちなみに今のは、カードの結果と女の子が勝手に喋った内容を組み合わせただけだ。同じカードでも話の流れで違う意味を選択する。さっき、「入ったばかりの私に丁寧に教えてくれた」と言っていたし、俺と話すのもド緊張の彼女が部活にホイホイ馴染むわけもない。この部分は占いですらないが、流れを掴んでしまえば関係ない。

「で、恋愛に話を戻すと……お互い似たり寄ったりです」

「というと?」

「現状も、ですよ。あなたと似ているということは――」

 女の子は顔を赤くした。

「おっと、先走っちゃいけません。つまり、あなたと同じように、どう考えたらいいか分かっていないんです。気にはかけているけれど、はっきりと自分の気持ちを定めていない。しかも、相手は恋愛に関しては初心者で奥手。しばらくはお互いに様子見をすることになりそうだ」

 これが地味な未来。だが、ものは言いようだ。女の子は希望に満ちた顔をしている。

「まずは落ち着いて、相手を観察すること。人気があるとはいっても、すぐにライバルが登場することもないでしょう。あなたも恋愛慣れしていないようだし、焦って変なことをして脅かさないように」

「はい! ありがとうございました!」

 女の子は元気よく返事をして立ち上がり、帰ろうとして思いだし、慌てて千円置いていった。学生料金だ。


 結局、俺は相談に乗っただけで、今回は特に的確なアドバイスすらしていない。彼女の友達だって、ちょっと観察力があればこれくらい言える。それで千円も取ってしまった。

「はーあ……」

 占い師の仕事は、妙な達成感と罪悪感との板挟みになることだ。

 さて、次の客が来る。




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