3、手計測って意外と便利なんだけど、それゆえ諸刃の剣だったりする

「なるほど」


 15センチというと、手をピストルの形にして、親指の側面から人差し指の先くらいまでだ。そう考えると、15センチって結構、短いな……。


「じゃあ、カロ・・松くん。島崎くんの前に立ってみて」


 部長に言われて、加松くんが僕の前――50cmくらいの隙間を開けて立った。

 僕の身長が168cm。加松くんの身長が、174cm。加松君の方が、気持ち大きい。


「どんな感じ?」

「圧が凄い」


 主に圧迫感。

 でも、部長は満足したらしく、頷くと次の指示を出した。


「じゃあ、15センチまで近づいて」


 先ほどと同じように、加松くんはゆっくりと僕に向かって歩いてくる。


「うっ……」

「おふぅ……」


 むにょん、だか、ぼよん、だか。擬音は何でもいいけど、15センチの距離まで詰めてくる前に、加松くんの出っ張った腹がつっかえた。


「もっと近づけないの?」

「ちょっ、この出っ張りお腹、妙に冷たくて気持ち悪いんですけど……」


 お腹とお腹がくっつくなんて童謡になってしまいそうな状況だけど、この感触だけは童謡にしてはいけない気持ち悪さがある。だって、この感触――生理的に無理。

 ってか、腹は冷たいのに、顔は加松くんから放たれる熱で熱い。圧もあつも凄くて暑い。


「これで、15センチの距離がわかりますな! それがし、島崎殿のためならば賞童貞を奪うこともやぶさかではないですゾ!」

「それは遠慮したいなぁ……」


 語感的に。言いたいことは分かるけど、こう面と向かって言われると、気持ち悪い。


「どう? なにか分かったかしら?」

「そうですね。一言でいうなら、これをやることで僕の大切な何かが失われたってことでしょうか?」

「その意気やよし!!」


 いいんか。本当にいいんか?

 まぁでも、部長が良いって言っているんだからいいか。


「それじゃあ、次は卍ちゃん行きなさい」

「それ、PNなんであまり外で言わないで――」

「似たような文字で、国際問題に発展しかねない方の、ハー・・的な名前で呼んでもいいの?」

「卍でお願いします……」


 これが、本名で表に出ている作家と、PNで活動している作家の違いだよな。

 本名がバレたくないからPNを使っているわけで、それをバラされるということはPN使用者にとって痛手だ。

 もう彼女は逆らえない。弱みを握られているから。


「じゃあ、まず50センチで」

「はい」


 部長の指示通り、脇坂さんは僕の前50センチの位置に立った。

 加松くんの時とは圧倒的に違い、妙な圧迫感を感じないのは当たり前で、なんというか、別のプレッシャーを感じる。

 それが何なのか分からないけど、脇坂さんかにやられているわけじゃないと思う。たぶん、部長だ。


「島崎君、どんな感じ?」

「さっきと違って、気持ち悪さは全くありません。むしろ、何だか心地よいくらいです」


 僕のコメントに後ろから「気持ち悪いとは何事ですゾ!」と、寸胴の底から響いてきそうな背脂系の怨嗟の声が飛んできた。

 しかも前からは、「あっ、あんなのと比べられるなんて心外です!」となかなか辛辣な言葉が飛んできた。そして加松くん、なんで僕の前の卍ちゃんには何も言わないの?


「じゃぁ、15センチまで近づいて」

「えっ!? そっ、そんなことしたら――!」


 部長の指示に、僕マジ焦り。

 だって、15センチまで近づいたら、加松くんみたいに脇坂さんの出っ張った一部がファーストインパクトしちゃ――。


「……ごめんなさい」


 視線を部長の方に向けている間に、脇坂さんはいつの間にか僕の前――15センチのところまで来ていた。


「足りなくて……ごめんなさい……」


 15センチまで近づいてきて、女の子の出っ張りが僕の胸に接触するかと思いきや、腕利きの操舵士により港づけされた船のように、僕の胸と脇坂さんの胸には微妙な隙間が出来ていた。


「あ、うん……。ごめん……。なんか……なんて言っていいか……ごめん」


 なぜか謝る脇坂さんにつられて僕も謝っちゃったけど、そんなことどうでもいい!!

 脇坂さんの髪の毛からめっちゃいい匂いがする!

 ってか、柑橘系の制汗スプレーの匂いが立って、何だかやばい感じ……。


 パーソナルスペースが狭く近くに来るといっても、普段は僕の横に座っているだけだ。

 それが目の前に立っているから、まつ毛が意外と長いことや、遠くからじゃ気付かなかった頬骨にある色素の薄いホクロ。小さく開いた口の、唇と口腔内の境目と、初めて見て気づくことが多かった。


 女性とこれだけ距離が近くなるのは、いったいどういった状況だろうか、と考える。

 考えることもない。これは、恋人の距離だ!

 今、僕と脇坂さんは恋人の距離――ラバーズサークル(今、考えた)に居るんだ!


「はい、しゅーりょー」

った」


 (個人的に)良い雰囲気だったのに、部長がタックル気味に体をぶつけてきたせいて、ラバーズサークルが崩壊してしまった。

 ラバーズサークルの生態系を平気で破壊しにかかる部長に非難の目を向けるも、外来種ぶちょうはどこ吹く風だ。


「それで、どうだった?」

「えっ? 何がです?」

「あなたねぇ。何のために、ここまでお膳立てしたと思っているのよ?」

「それは、ラバ――あぁ、いや、15センチの距離感が、男と女でどう変わってくるか、ですね」


 危なかった。あまりにも衝撃的な展開で、当初の目的を失念していた。


「とりあえず、私もどんなもんか試してみたいから、島崎君はさっきみたいに立っていて」

「部長も、応募するんですか?」

「後学のためよ」

「なるほ――おおっ!?」


 50センチ先に立つかと思いきや、部長は初っ端から15センチの位置についた。

 しかも、脇坂さんと違い、僕の胸には部長の胸がドン! と押し付けられていた。もう一度言う、部長の胸が僕の胸に、ドン! とぶつかっているんだ。


「ねっ、ねぇ、どんな感じ?」

「えーと、ですね。なんと言ったらいいか」


 こんな時に限って、いつも自信満々な部長が顔を赤らめて聞いてくるもんだから、僕はなんて答えたらいいか分からないよぉ!


「私、今、凄くドキドキしてる」


 さすがにこの状況は部長でも恥ずかしいようで、面と向かって話すことなく会話の最中で下を向き始めた。


「こっちも、すっごいドキドッキしてますゾ。まぁ、いわゆる高ストレスによる不整脈ですゾ」


 僕の手首に触れ血圧を測りながら、加松くんがハァハァと息を荒くしながら話す。


「島崎せんぱーい。最近のパッドって、性能が良い奴も出てるんですよー」


 ラバーズサークルから放り出されてしまった脇坂さんは、僕と部長を見ながら非難の瞳を向けて吐くように言う。

 最初に生贄にされた二人が、ここぞとばかりに反撃している。みんなが勘違いしないように教えておくけど、僕は不整脈じゃない。


 あと、脇坂さんは女の子の秘密道具をバラしちゃダメでしょ。この部長のことだから、四次元ドラム缶に石灰系の混合物詰め込まれて、魚礁の一部にされかねないよ?


「で、どうなのよ?」

「はい?」

「だから、あんたの方から何か言うことはないのか、って話」

「あぁ、え……と……」


 どう? どうって、どういうこと!?

 部長は、何に関しての意見を求めているんだ?

 あれか? 当ててんのよ、系の前フリを求めているのか? ん?

 いや、新聞のコラムも担当している部長のことだ。そんな、ありきたりなコメントを求めているはずもなく――。


「あ、当たってますよ……」


 ってか、何にも浮かばねー!!!!

 脇坂さんの時とは違って、部長の上半身のバランスボールがマジで当たっているんだから、そっちに全神経ってか魂どころか次元を超えて、歩いていけない隣の世界に存在する僕の魂すら引き寄せるほど集中しすぎて答えが見つからない。

 だから、こんな無難な返しになっちゃったんだよ! 

 仕方がないだろ!!


「あっ、当て……あた……」


 あっ、でも正解みたいだ。

 部長はこういった流れが嫌いっぽかったけど、向こうからやって来ておいて嫌ってことは……。


「アタァ!!」

「あたぁ!!」


 ノーモーションからの腎臓を的確に突いてくる指ィ!


「あっ、ごぇ……ちょっと……腎臓やばいって……」


 たぶん、腎臓死んじゃった。突かれた瞬間は痛かったのに、今は内臓に温かな液体が広がっていくような感覚がある。腎臓が割れたかもしれない。割れるのか知らんけど。


「島崎氏ぃぃぃぃぃい! 死んではなりませんゾ! それがしが、賞童貞を奪うまで死んではなりませぬゾぉぉぉぉぉ!」

「いやいやいや、キモイから! それ、マジでキモイから!!」


 触手人間の餌食になってたまるものか、と地獄の底からやってきた正義の使者並みの再生能力で復活して立ち上がる。


「本当に、なんですかマジで! いきなり秘孔を突いてきたのは三人の中で部長だけですよ!」

「いや、だって恥ずかしかったし……?」

「恥ずかしかったからって、もしかしたら僕の頭がパーンってなってたかもしれないんですよ? この部室が使えなくなっても良いっていうんですか!?」

「いいか? ここであったことは、俺たちだけの秘密だ。十年後。全員が再びここで落ち合い、死体があるか確認する――」

「ほーら、そうやって『十年後に来たら死体が無くなっている系』のミステリー仕立てにして、話をそらそうとする!」


 部長の悪いところを指摘すると、部長はフイッとそっぽを向いた。これはもう話さない、といった意思表示だ。

 こうなってしまえば、部長は何を言っても口を開かない。そう、何を言っても、だ。

 仕方がないから、今までの実地演習で理解した距離感を元に書くしかないな。


「とりあえず、みんなのおかげで『15センチ』という距離で感じる男女の違い、ってのがなんとなく分かったんで、今から書こうと思います」

「グダグダ言わずに、やっと書く気になったのね」


 部長、喋るんかい。普段なら不機嫌になってそのまま本を読みだすのに、今回、僕が「こうなる」って説明した時には喋るんかい。


 本当に困った人だな。まったく。

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