第8話

 誰もいない玉座の間は夕暮れの明かりで、真っ赤に染まっている。

 魔王の椅子の前に、アルは横たわっていた。ルナはどうにかして、出血を止めようとするが、手当てが追いつかない。

「どうして……魔王様の魔力なら、もう出血は止まっていいはずなのに! やっぱり、魔力の使い過ぎのせい?」

 魔甲は生成こそ、最も多くの魔力を使う。何種類もの魔甲を使い分けるアルは、それだけ魔力を大量に消費するのだ。魔力の低下による回復力の低下。それが今、アルの命を危険に晒している。

 ルナは打つ手が思いつかず、頭を抱えてしまう。

 その時、アルが意識を取り戻した。

「ルナ……? 俺は……アイツは、どうなった?」

「魔王様! シルフィたちが今、ゼクス様と戦っています」

 それを聞いたアルは、何とか体を起こそうとする。腹部の痛みに耐えながら、アルは言った。

「ダメだ……アイツの強さは尋常じゃないぞ。まだ、何か隠し玉があるはずだ……俺も加勢に……」

 そこまで言うと、アルは再び気を失う。ルナは倒れそうになるアルの体を、抱きしめるように受け止めた。

「自分が死にそうだっていうのに……全く、お前は馬鹿な魔王様だな……」

 ルナはアルの体を、もう一度ゆっくりと横にさせる。そして、彼の額に手を当て、自分の顔をアルの顔に近づけた。

「ようやく私の気持ちは決まったらしい。お前に魔王でいてほしいんだ――私は」

 そう言って、ルナは自分の唇を、アルの唇に重ねる。すると、彼女の左側にあった翼が、すぅっと消えていく。

 ――温かい……何かが体の中に入り込んでくる。これは一体?

 アルは自分の中に、違和感を覚える。自分とは違うものがすぅっと入ってくる感覚――だがそれは、心地よいものに思えた。そして、もう一つ……。

 ――唇に何か? 前にも同じような……。ルナは唇を離し、もう一度アルの顔をじっくりと見つめる。アルは再び目を開けた。

「ルナ……お前、何を?」

「これで少しは傷が塞がるのが早くなるはずです。ここで休んでいてください」

 カツカツカツッ……。ルナは自分の背後で響く足音を聞く。それがシルフィたちのものでないことに、ルナはすぐ気づいた。

「三人はどうしたのですか?」

「こやつらのことか?」

 ヒュン! ドカッドンッボクッ!!

 ゼクスの背後から、三つの影が謁見の間へと投げ込まれた。

 シルフィとローラ、そしてガッデス。三人の体は、転がりながら、床に打ち捨てられる。

「全く! 雑魚の分際で手こずらせてくれるものだ!!」

 ゼクスは鼻で笑いながら言う。ルナはすぐシルフィたちに目を向ける。

「ぐぅぅぅ……」

 小さいが呻き声が聞こえた。ルナは三人が生きていることに安堵する。が、すぐにゼクスへと視線を戻す。

「どうして殺さなかったのですか?」

 右の手のひらを額に当て、首を傾げながら、ゼクスはルナに話しかけた。

「貴様は、こやつらに生きていてほしいのだろう? なら、余と共に来い。さすれば、見逃してやってもよいぞ?」

「なに……何をおっしゃっているのですか? 私が、あなたと?」

 ゼクスはゆっくりと玉座を指差す。

「その椅子に縛られ苦しむ余を、お前だけは知っていてくれたであろう……一緒に来い、ルナミリア。お前となら、余は……いや私は!」

 ゼクスは手を差し出しながら、ルナへと近づく。しかし、ルナは俯いたまま、ゼクスを見ようとしない。

「どうして……どうして、今なのですか?」

「なに?」

 パシンッ!!

 ルナはゼクスの差し出した手を、右手で弾く。

 ゼクスは驚き、後ずさってしまう。

「あなたがあの頃……魔王としてそう言ってくれたなら! 私は……私は地獄の果てだって、あなたについていけたのに……」

「ルナ、ミリア……だが、余は魔王だったのだ! そのような……」

 顔を上げたルナの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。ゼクスは、ルナの表情を目にして、顔を歪めた。

 ルナは涙を拭うと、ハッキリと言い放つ。

「そう、魔王だった……だったんですよ、あなたは!! でも今は、魔族の敵で……私の敵だ! これはもう変わらない……変えられない!」

 ルナはその言葉と同時に、残された右側の翼を、ゼクスに向けて鋭く伸ばした。それは、それはゼクスの魔甲によって易々と防がれる。ルナはそれでも、翼剣による攻撃を続けた。

 ルナの攻勢を防ぎつつ、ゼクスはうなだれている。

「結局、余は一人だということか。そうだな、自由とは――そういうもの、なのだろうな!」

 ゼクスはルナの翼に向けて、オロチを放つ。ゼクスの一撃は、ルナの翼を砕き、彼女の足元に大きな穴を開けた。怯みながら、後ろに下がるルナ。

「真似事の魔甲が、本物に叶うわけがあるまい!」

 ゼクスはルナをオロチで薙ぎ払う。ルナの体は左側面からの衝撃で吹き飛び、壁にぶつかった。ルナはそのまま崩れ落ち、気絶してしまう。

 ゼクスはゆっくりと歩き出し、ルナのほうへと近づく。

「どうして、このような別れになってしまったのか……残念だが、これで終いにしよう!」

「おい……!」

 ゼクスは、背後からする声に驚いて振り返る。そこには、傷だらけになったアルの姿があった。

 アルはまだ息を切らし、傷の痛みに顔を歪めている。

「この死にぞこないめ……おとなしく寝ていればいいものを!」

「悪いが……そいつはできない相談だな」

 ため息をつきながら、ゼクスはアルのほうへと向きを変えた。アルも、ゼクスを真っ直ぐと見据え、二人は対峙する。

 ――コイツはもう、戻ってこれないんだ!

 アル自身が感じてきた――魔王という存在の大きさ。

 だからこそ、アルはゼクスが魔王に戻ることを心のどこかで望んでいた。

 逃げたかったわけではない。ただ、自分では力が及ばないと、そう実感していた。そして、もし本物の魔王が戻るのなら、それが魔族の……ルナのためになると考えていたのだ。

 だが、今のゼクスは魔族に害を為し、今度はルナさえも手にかけようとしている。

 だから、アルはゼクスを討つ決意を固める。今度こそ、自分の意志で。

「貴様とは不可思議な縁がある。魔王と勇者……顔を合わせるのは二度目でしかないのだがな」

「一つだけ、お前に聞きたいことがある」

 足を止め、ゼクスに向けてそう言った。すると、ゼクスも足を止め、彼の言葉に耳を傾けた。アルは左手の親指を立て、自分の胸に当てながら尋ねた。

「コレは、お前が仕組んだことなんだな?」

 アルはずっと不思議だった。どうして自分の体が魔王のものと入れ替わったのか。そのことを知った当初、アルは戸惑いの中に身を置き、どうにか元に戻りたいと願ってきた。

 だが、ゼクスは違う。むしろ、アルの体を得た事実を喜んでいるようにさえ見えた。だからこそ、アルはこれが彼の思惑によるものではないか、と考えたのだ。

「成功するかは、余にも分からなかったがな。勇者の体を乗っ取る――まさか、お互いの魂が入れ替わるとは思いもよらなかったぞ」

 ゼクスの答えを聞き、アルはいったん目を瞑る。そして、目を開いて言った。

「要するに、お前は捨てたんだな……逃げ出したんだ! 自分を必要としてくれたみんなから!」

「うるさい! たかが勇者風情が!! 命一つで世界が救えると信じる愚か者に、何がわかるというのだ!!」

「だから、俺はお前に感謝してるのさ。俺は……こうなって、魔王になって、多くのことを知った。だからあえて言ってやる!! お前は全部知ってたくせに逃げ出した卑怯者だ!!」

「くだらんな! これから黄泉路を行く者の感謝も侮蔑も、意味などないわ!!」

 アルは右手に折れた剣を握っていた。それを静かに鞘へと収める。続いて、ゆっくりと腰を落とし、前傾姿勢で構えた。

 ゼクスは、アルの行動を警戒しつつ、〈ハダノカグヅチ〉をゆっくりと動かす。睨み合う二人――その時、微かな声が二人の耳に入る。

「……ください」

 それは意識を取り戻したルナの声――そして、彼女はもう一度、力を振り絞って叫んだ。

「勝ってください、魔王様!」

「これで――幕引きだ!!」

 ゼクスはカグヅチの一本を走らせる。アルは脚の魔甲を纏い、一瞬でゼクスの真横に移動する。

「小癪な!!」

 アルが移動した場所に、ゼクスはすぐさま、魔甲を打ち込む。アルはそれをギリギリで躱し、ゼクスに向かって駆け出す。

「ふははははっ、かかったな愚か者めがぁ!」

 アルの目の前に、さらに二本のカグヅチが襲いかかる。が、

 バッゴン!! バゴォォン!!

 今度は、それを両腕の魔甲で一つずつ殴り飛ばすアル。だがゼクスは、上空からさらに二本、別の魔甲を突っ込ませる。その攻撃は、アルの体を完全に捉えた。

「跡形も残らんな! はーっはっは!!」

 ゼクスは、自分の勝利を確信して笑う。ところが、土煙の向こうには、まだアルがしっかりと立っていた。鎧の魔甲で防御し、ゼクスの攻撃を捌いたのだ。

「ちぃっ!! このクソ野郎がぁ!!!」

 ゼクスはこれまでにないほど、乱暴な言葉を吐く。そして、最後のカグヅチをアルにぶつけようとした。

 真っ直ぐに進む一撃を、アルは体を捻りつつ、剣の鞘で受け流した。

 ついに、アルはゼクスの体まで、あと一歩のところまで踏み込む。その手には、剣の柄がしっかり握られていた。

 それを見たゼクスは笑う。

「バカが! 折れた剣で何をするつもりだ!!」

 ゼクスはすぐさま、最初に放ったオロチを戻し、再びアルにぶつける準備をする。アルが空振りをすれば、それが彼の最期になる。勝利を確信するゼクス。

 その時だった。アルの背中から一枚の翼が形成された。それは抜き放たれた――折れた剣へと繋がり、一本の刃のようになる。

「これで……終わりだぁぁぁ!」

 アルは叫びながら、渾身の一撃を放った。

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