第7話

 ルナはゆっくりと目を開く。だが、そこには想像とは違う景色があった。

 アルは先ほどと変わらない姿で倒れ、ゼクスの姿はない。代わりに、シルフィが立っていた。

「シルフィ……どうして?」

 シルフィに尋ねるが、彼女はその問いに答えない。ルナに視線を向けず、シルフィは言う。

「ルナ、早くまおう様を連れてお逃げなさい。このままでは、命を落とされてしまいますわ」

 シルフィの言葉に、ルナはすぐアルの元に駆け寄ろうとする。

 その時、シルフィの視線の先から声が聞こえてきた。

「何だ、ルナ。お前は余のことを話しておらぬのか?」

 崩れかけた建物から、ゼクスがゆっくりと出てくる。

 ルナが目を閉じた瞬間、シルフィはゼクスを全力で殴り飛ばしていたのだ。

「シルファルファ……シルフィよ。余だ――ゼクスだ。この姿ではわからないかもしれんが、余は貴様の主人ぞ?」

 ゼクスは余裕のある態度で、シルフィに近づいていく。そして手の届くところまで歩み寄るが、シルフィはゼクスに再び拳をぶつける。が、今度はオロチによって防がれる。

「まだわからないのか? 余は……」

「わかっております。わかった上で、貴方を殴っているのです」

 シルフィの言葉に、ゼクスは険しい表情を浮かべた。

 右手の人差し指で、頭をこんこんと叩きながら、シルフィに言う。

「余が魔王ゼクスだとわかっていて……それでも殴った、だと?」

 ゼクスは鋭い視線をシルフィに向ける。あまりの威圧感に、彼女は少しだけ後ずさりした。

 それでも、もう一度ゼクスを見据えてハッキリと言葉を口にした。

「はい。ワタクシは貴方をゼクス様と知った上で……弓を引かせて頂きます」

「そうか、ならば余も……手加減は無用ということだな!」

 ゼクスは、シルフィに向けてオロチを放つ。シルフィは身構えて迎え撃とうとした。その時、急に駆け込んできた影が、オロチを蹴り飛ばしてしまう。シルフィは、その影に向かって声をかける。

「よいのですか? ローラ」

「王妃様、これは私自身が考えた答えでございまするよ!」

 ローラはシルフィと並び、アルを守るように立つ。二人を睨みつけながら、ゼクスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、静かに言う。

「侍女風情が……立場も考えず出しゃばるか!」

「ならば、代わりに私が相手をして進ぜましょう!」

 ゼクスは自分の背後から聞こえる声に驚き、振り向いた。そこには、巨大な斧を振り上げて立つ、ガッデスの姿があった。

 バキィィィ!

 ガッデスの斧も、ゼクスはオロチで受け止める。

「グゥゥ!! この馬鹿力がっ!!」

 不意を突かれたゼクスは、ガッデスの一撃を受け止めてくれない。何とか受け流すが、その隙にガッデスはオロチを両腕で抱え込む。

「うおおおおおおぉぉぉぉ!!」

 ガッデスは、オロチごとゼクスを投げ飛ばした。

 空中に身を浮かせるゼクスだが、落下する前にオロチを操り、衝撃を逃がして着地する。

「ふっはっはっは!! これは……懐かしい顔ばかりだなぁ。まぁ、その中に余自身の姿があるのはなかなか愉快だが」

 ゼクスは倒れているアルへと目を向けた。同時にルナの姿が映る。アルの体を抱え、声をかけるルナ。苦々しい表情で眺めながら、ゼクスは声を荒げる。

「貴様ら、自分たちが何を仕出かしているのか分かっておるのか? 勇者なのだぞ、その男は!」

 ゼクスの言葉を聞き、シルフィとローラ、そしてガッデスはアルのほうに目を向ける。

 ルナはアルに呼びかけるのを止め、視線を地面へと落としている。

「ルナ……まことか? 魔王様の体に入っている人間とは、勇者であったのか……?」

 ガッデスの反応に、ゼクスはニヤリと笑った。

「何だ、知らなかったのか? そうだ、余の体の中には、魔族を苦しめる人間共の……その希望とも言える男が宿っているのだ! 貴様らに、その男を守る理由など存在しない……いや、むしろ今すぐにでも殺すべきだろう!」

 嬉々として語るゼクス。

 バゴォォォッ!!

 ローラは魔甲を纏った蹴りが、ゼクスに向かって放たれた。オロチに阻まれるものの、ローラは一歩も引かない。

「あの方が、どなただろうと関係ござりませぬ! 私はまた、あの方に私の料理を、食べていただきたいだけでござりまするよ」

「道理のわからぬガキが! 調子に乗るなよ!」

 ゼクスはもう一本の魔甲を使い、ローラを上から叩き潰そうとする。

 だが、ゼクスはオロチの軌道を瞬時に切り替えた。自分に向かって、巨大な岩の塊が飛んできたからだ。

 投げだのはシルフィである。その右手には、さらに大きな岩が握られている。

「シルフィ……貴様も余への反逆を続けるつもりか!」

「あなた様には心から感謝をしております。自分を持たなかったワタクシのような女にも、ゼクス様は優しくしてくださった……何も考えず、ただ侍るだけで愛される日々を与えてくださった。でも、今はもう違うのです。ワタクシは、自ら愛することを知りましたわ。愛するまおう様の命を奪うというのなら、相手が誰であっても――たとえあなた様であっても、容赦できませんわ」

 シルフィの言葉にゼクスは奥歯を噛む。

 ローラの蹴りを防いでいた魔甲を振り、彼女の体を吹き飛ばした。ガッデスは飛ばされるローラの体を受け止める。

「私には……あなたと戦う明確な理由はありませぬ。だが、これ以上街を壊し、魔族に害をなすのなら――見逃すわけには参りませぬぞ」

「はっ! 貴様はそう言うだろうと思ったぞ、ガッデスよ!」

 ゼクスとシルフィたちは睨み合う。その中で、ルナだけがアルの体を抱えながら、立ち上がることができずにいた。

 シルフィは、ルナのほうへと視線を向ける。

「ルナ、早くまおう様を連れて、城に戻りなさい」

「でも、皆を置いて、私だけ逃げるなんて……」

 パシンッ!!

 シルフィは、ルナの頬を平手で叩いた。そして、彼女の両肩を掴み、静かに口を開く。

「時間をあげる、と言っているの。今ここは、覚悟も決まらない者が立ってよい場所ではありませんわ。自分の答えを出しなさい。貴女がどちらを選ぶにしても……さあ、行きなさい!」

 シルフィの言葉に、ルナは翼を広げる。アルを抱え、魔王城に向かって飛び立つ。

 ゼクスは空に浮かんだルナの背中に向けて、オロチを放つ。

 ヒュウゥゥ! バッゴオオォォォン!!

 シルフィが投げた大岩がオロチに直撃。その軌道がズレ、ルナには届かない。

「あなた様のお相手は、ワタクシたちがいたしますわ。それとも、かつての妃では役者不足でございましょうか?」

 シルフィは口元に笑みを浮かべながら言う。それでも、彼女の視線に油断はなく、むしろ緊張と恐怖が顔色に表れている。

 ゼクスはゆっくりと、シルフィのほうへと顔を向ける。だが、何も言葉を言わずに、ただ睨みつける。そして、次の瞬間には彼女にオロチを放つ。

 うねるように地面すれすれを進む目に映らない魔甲。が、シルフィはそれを、拳で弾いてみせる。

 ゼクスは、不思議そうな表情を浮かべた。違和感を覚えたからだ。

 それでもすぐ頭を切り替え、今度はローラに向けてもう一方の魔甲を打ち下ろした。だが、ローラもこれを躱す。

 そこで、ゼクスはようやく疑問を口にする。

「なぜ、避けられる? 不可視の魔甲を……貴様ら、見えているのか?」

「いいえ、見えませんわ。あなた様の魔甲は、決して目で捉えることができませんから。けれど……」

 シルフィはゆっくりと、虚空に向けて指を指す。

「けれど、そこについた――まおう様の血なら見えますわ!」

 アルの体を貫いた際に付着した血液。それが透明な魔甲につき、微かに輪郭を浮き上がらせていた。シルフィの言葉を聞き、ゼクスは笑う。

「はっはっは! なるほど、これは気づかなんだ。倒れた仲間が、勝機を作るとは……まるでどこぞの英雄譚ではないか!」

 ゼクスは、再び攻撃を開始する。今度は、ガッデスに向けてオロチをぶつけた。ガッデスは鎧の魔甲を展開し、それを正面から受け止める。だが、その体はオロチにより、持ち上げられてしまう。

「ぐぐおおおおっ!?」

 その瞬間、シルフィとローラが、ゼクスに向かって飛びかかる。

「そうくると思ったぞ!」

 ゼクスはもう一本の魔甲を地面に刺し、その力で体を宙に浮かせた。シルフィとローラの攻撃は空振りに終わる。さらに、ゼクスは二人の立っている場所へと、ガッデスの体を持ち上げたオロチを、そのままぶつけた。

「やはり、厄介だな。まずは、コイツをどうにかせんと!」

 ガッデスの声が響く。地面に叩きつけられたものの、魔甲のおかげで傷はない。

 すぐに立ち上がり、手にしている斧を構える。そして、ゼクスの体を持ち上げている魔甲に向かい、思いきり振り抜いた。

 バキィィン!

 ガッデスの斧は直撃するが、表面をわずかに削ることしかできない。

 ゼクスがあざ笑う。

「あっはっは、無駄だ無駄! 貴様の魔甲ほどではないが、オロチの硬度は斧一本でどうにかなるものではないぞ!」

 ゼクスは、空いているもう一本の魔甲を、ガッデスにぶつけようとする。

 しかし、それはローラの蹴りによって阻まれた。

「誰も……死なせたりしないでござりまするよ!」

「チィィッ!!」

 思いも寄らない反撃に、ゼクスは舌打ちをする。だが、弾かれたオロチを素早く操作し、今度はローラに向けて放つ。

 その時、ゼクスはシルフィが自分の体を支える魔甲に向けて、拳を構える姿を目にする。

「だから、拳一つでどうにかなると……」

「今だ! シルフィ!」

 叫んだのはガッデスだった。先ほど打ち込んだ斧を、ゼクスの魔甲に押しつけたまま、腰を落として支えている。

「いきますわよ、おじ様ぁぁ!!」

 その反対から、シルフィは魔甲を纏った拳を全力で打ち付けた。

 バッゴォォォオォン!! バキィィ……バキンッ!!!

「な、何だと!?」

 ゼクスの体を支えていた魔甲が、真っ二つに割れる。同時にバランスを崩したゼクスは、勢いよく地面に投げ出された。シルフィたちはお互いの様子を気にしながら、歩み寄る。

「はぁはぁ、何とか……なりましたわね」

「でも、まだ一本残っているでござりまするよ……」

「ふぅ……なぁに、このままいけば、何とかなるだろうよ」

 少し気が抜けたのか、三人はそこで小さく笑ってしまう。

 そこに感情のこもらないゼクスの声が聞こえた。

「なぜだ? どうしてそこまでする? あれは、貴様らとは違う者だ。人間で、しかも勇者だぞ? なのに……なぜ身を挺してまで庇おうとする?」

 ゆっくりと立ち上がるゼクス。そして、言葉を続ける。

「貴様らは余に仕えていたではないか……あれは、一体何だったのだ? 散々、私を必要としたではないか? それを、体が入れ替われば、中身などどうでもいいというのか?」

 シルフィとローラは、ゼクスの言葉に表情を歪める。かつて主として従った相手から、その忠義を疑われる言葉を聞くのは、二人にとって心苦しいものがあった。

 だが、ガッデスだけは一歩前に出て、ハッキリと言った。

「それは違いますぞ。あの者が何者かは、もはや関係ありませぬ。あの男は、私の命を惜しんでくださった。私だけではない……ローラやシルフィ、そして我が娘ルミナリア。魔族も人間も関係なく、命そのものを大事にする……私は、あの男に――王の器があると信じておるのですよ。それに――約束しましたのでな、あの男を助けると」

 ガッデスの言葉に続き、今度はローラが口を開く。

「今の魔王様は、私の村を救ってくれたのでございまする。私の料理を美味しいと言って、頭を撫でてくれたのでござりまする。私はただ、あの方に死んでもらいたいたくないだけでござりまするよ!」

 シルフィもまた、力強く宣言する。

「あなた様から受け取った愛は、ワタクシを支えてくださいましたわ。けれど、今のワタクシは、あの方を愛すると決めました……ワタクシ自身の心が求める以上、たとえ相手がゼクス様であっても、邪魔させるわけにはいきませんわ!」

 三人の話を聞きながら、ゼクスはゆっくりと呟いた。

「そうか……そうだったな。くっくっく、余は何を期待していたのだ? まだ未練が残っていたのだろうか。私の苦しみは、そもそもここから始まったのではないか……今さらだろうに!」

 ゼクスは、三人に向けて鋭い眼光を飛ばした。その気迫に、三人は身構えるが、ガッデスはゼクスを説得しようとする。

「もうお止めください。あなたのオロチも――あと一つだけ。このまま戦っても、我ら三人に勝つ見込みなど……」

 ガッデスの言葉を、ゼクスは大きな笑い声で遮った。

「あーっはっは! 貴様らは何を勘違いしているのだっ!!」

 ゼクスが放った言葉に、ガッデスたち三人は、訝しげな表情を浮かべる。三人の顔を見て、ゼクスはニヤリと笑いながら続けた。

「この体になって理解したことが一つある。人間共の使う〈奇跡〉とやらは、どうも魔族の使う魔力と同質の力を使うらしい。魔族は体内に溜まった魔力を使うが、人間は世界に満ちる力を集め、使用するというのだ。体に刻んだ紋章を通じてな」

 ガッデスたちは、ゼクスが何を言っているのかが、まるで理解できなかった。だが、その話の結論はすぐにわかった。

 ゼクスの背後でうごめく〈複数の〉何かが存在することに気づいたからだ。

「残念ながら、体に刻まれた術式は訓練をせねば使えぬ。奇跡そのものは扱えぬわけだ……が、外から魔力を取り込む機能だけは、動かせるのだよ。これさえあれば、魔王たる余には巨大な魔力を自在に操ることができる!」

 ドンッドンッドンッ!!!

 連続で響く大きな衝撃音、それと同時に、ゼクスの周りには七つの穴が開いた。

「余はコレに、新しい名前を付ける。『ハダノカグヅチ』……オロチはもはや、オロチの域を超えたのだ!」

 その様子を見て、ガッデスがすぐさま斧を構える。シルフィとローラも、戦闘態勢に切り替えた。

 しかし、彼らの額からは、脂汗が流れてくる。

「出し惜しみはなしだぞ!! 残りは七本……二本相手に苦戦していた貴様らが耐えるか見ものだな」

 ゆっくりと三人に近づくゼクス。シルフィは眉間にシワを寄せながら呟いた。

「全く……これなら、ワタクシがまおう様を連れて帰ればよかったですわ」

「死ぬなよ、二人共!」

「私にはまだ、皆様に美味しい料理を作る仕事があるのでござりまするよ!」

 三人の話が終わる頃、ゼクスは足を止めた。そして、大声で叫ぶ。

「神にも及ぶ余の力を以て、鏖殺してくれるぞ! 己が愚かさを嘆きながら死んでいけ!」

 ゼクスの背後から、七つのオロチが放たれ、シルフィたち三人を襲った。

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