第6話

 ルナは城下の混乱を見下ろしながら、騒動の中心に向けて飛んでいた。煙と悲鳴で満ちた街を見て、ルナの顔は険しさを増していく。

「あれは……!」

 ルナは今まさに、建物が崩れ落ちる様を目にし、そのすぐそばに着地する。周りを見回すと、一人の男の背中が視界に入った。

「やめろ! これ以上街を破壊するな!」

 ルナが大声で叫ぶ。すると、その男は歩みを止め、静かに話し始める。

「ほほう。今のは余に言ったのか? だとすれば、なかなかに不遜な態度だ」

 男はルナに背中を向けたまま、言葉を続ける。

「いや待てよ。今の声には聞き覚えがあるな……あぁそうか、そういうことか」

 男は右手を顎に添えながら、何か得心がいったという様子で頷く。ルナは、男の態度に対して、苛立ちを隠せない。

「お前は……何でこんな、街を壊すなんてことを! お前は一体、何者だ!」

「あーっはっはっは! 余が何者か……だと?」

 男は大きな声で笑い出す。まるで子どもが大笑いするような、本当に愉快そうな笑い声が周囲に谺した。

「よりにもよって、貴様がそれを問うのか……もうわかっているだろう? 呼ぶがいい、余の名を」

「テメェはただの――クソ野郎だ!」

 上空から聞こえた声に、男とルナは顔を上げる。

 崩れかかった建物の上から、アルが飛び出し、男に向かって蹴りを放つ。

 魔甲によって強化された蹴りを、男はとっさに避ける。地面に刺さった蹴りで、地面が大きく崩れた。

 反動を利用して、アルはルナのほうへと飛ぶ。そして、彼女を庇うように立ち、声をかけた。

「ルナ、大丈夫か? ていうか、お前、勝手に先走るなよ! 行くならせめて、俺を連れてけって」

「ま、魔王様……」

 アルはルナに怪我がないのを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。その直後、またしても男の笑い声が聞こえてきた。

「あっはっは! まさか本当に生きているとは……世の中とは、こうも想像を超克するもので満ちているのだな」

 アルの蹴りが起こした砂煙の向こうで、男の影が立ち上がる。体についた埃を払うと、男はルナに向かってもう一度尋ねた。

「さぁ、今度こそ、余の名を呼んでみよ」

「お前……いい加減に!!」

 アルが相手に向かっていこうとする。だが、それをルナは腕を掴んで止める。

 アルが振り返ると、ルナは首を横に振ってみせた。

「おい、ルナ。お前、まさか……」

 アルの言葉を聞かず、ルナは前に出る。続けて自分の右手を左胸の前に当て、深くお辞儀をしてみせた。

「お久しゅうございます。我らが魔王……ゼクス様」

 アルはルナの言葉に動揺する。

 その可能性は聞かされていた。シルフィが話したからだ――魔王ゼクスが生きているかもしれない、と。

 だが、アルが心を揺らしたのは、ルナの発言だけではなかった。土煙が収まり、その向こうに男の姿をハッキリと見てしまったからだ。

 そこには、〈勇者アルフレッド〉の姿があった。

 直後、アルはすぐに腰に下げていた剣を抜く。と同時に、男に向かって駆け出す。有無を言わさず、彼の刃は男の首筋へと振り下ろされた。

 バキィィィィン!!

 だが、アルの放った一閃は、男の――ゼクスの眼前で止まってしまう。

「お前は……何してやがんだよぉぉ!」

「おや、この体を傷つけていいのかな? これは本来、貴様のモノなのだぞ?」

 ゼクスが言葉を放つと同時に、アルは目に見えない何かで薙ぎ払われ、思いきり上空へと吹き飛ばされてしまう。

「魔王様!!」

 ルナは飛び上がり、アルの体を受け止める。

「げほげほっ! 何だ、あれ……何もないのに――ぶん殴られたぞ」

「あれはゼクス様の魔甲……全魔族の中で唯一独自の名を持った、最強の魔甲だ!!」

 魔力を用いて作られる魔甲は、魔族にとっては身体能力の一部だ。人が腕を動かすように、足で歩くように、魔族は魔甲を使っている。そのため、本来は名前を付けることなどない。

 だが、ゼクスの魔甲は他の魔族のものとは、明らかに違う代物だった。

「その特性から、魔王様に忠する者は皆、〈オロチ〉と呼んでいた。伸縮自在にして、不可視の双頭龍を従える……歴代魔王の中で、あの方が史上最強と謳われる理由だった」

「やはり、これが決定打だったかな? お前なら、すぐに気づくと思っていたぞ……ルナ!」

 ゼクスがそう言うと、ルナはすぐにアルを抱えたまま、旋回行動を取る。目に見えない何かが、ルナたちのすぐそばを、高速で移動する。

 ブオオォォォン!! ブオッ!

 風切り音を聞きながら、ルナは目に映らない攻撃をギリギリのところで避け、何とか地上に足を着けた。すると今度は大声で問いかける。

「どうして……どうしてこんなことをするのですか!!」

「いや、すまなかった。今のは戯れだ、許せ。ルナを本気で殺そうなどとは思っておらんよ」

 ゼクスは苦笑しながら、頭を掻く。本当に悪気がないといった態度だ。それが、ルナの気持ちを逆撫でする。

「私のことはどうでもよいのです!! どうして街を――魔族を襲ったのかと聞いているのです! こんな、こんなの……あなたらしくありませんよ!!」

 ゼクスはルナの言葉に、不思議そうな表情を浮かべた。彼女が質問していることの意味が、本当にわからないといった様子だ。

 すると、ルナの横に倒れ込んでいたアルが、起き上がると同時にゼクスへと再び駆けていく。脚の魔甲を使い、一瞬で間合いを詰め、蹴りを放った。

 ガッキィィンッ!

 アルの蹴りはまたしても、不可視の魔甲に妨げられる。が、すぐさま体勢を変え、アルは上空に飛び上がった。今度は拳の魔甲で、ゼクスに殴りかかるために。

 それさえ防御されるが、アルはそのまま拳を乱打する。

「うおおおおおぉぉぉぉぉぉおおお!!」

 ガンガンガンガンッ!! バキィンッ!

 目には映らないものの、手応えはあり、ゼクスの魔甲が少しずつ砕かれていく。

 ――このまま、ぶっ壊してやる!!

 次の瞬間、アルは背中から大きな衝撃を受ける。

「がはっ!」 

 地面に叩きつけられ、アルは呻き声を上げた。背後に危険な気配を感じ、すぐにその場から転がって移動する。すると、先ほどまでアルがいた場所に、同時に二つの穴が開いた。

「二本あるのかよ……」

「伸縮自裁の〈双頭竜〉だと、ルナは言っていただろう? 人の話は聞いておくものだ、魔王君?」

 アルはすぐに体勢を立て直し、ゼクスと少し距離を置く。すると、今度はルナがゼクスに近づいていく。

「ルナ! バカ野郎、さっさと逃げろ!!」

 ルナはゼクスの目前に立つ。

 シャキィィン!!

 ルナの翼剣がゼクスの喉元に当てられる。だが、彼の表情は余裕に満ちたままだ。

「答えてください……どうして、魔族を襲うのですか?」

「その理由を、きさまは……貴様だけは承知しているだろう? 我が内に秘められた、叶わぬ願いの正体を。あぁ!! 何ものにも縛られことなく、世界を眺めることができる――自由とは素晴らしい!」

 ゼクスは一切曇りのない、本当に子どものような笑顔を浮かべ、体を震わせた。

 ルナはその表情を見て、自分の翼剣を下げる。ゼクスは、ルナの姿を見て、ゆっくりと彼女の肩に手を回す。

「お前だけは、本当の余を知っている。だから、一緒に……」

「ルナから離れろ!」

 アルは叫びながら、ゼクスへと向かう。ゼクスは、すぐにルナを手で軽く押し、離れさせた。と同時に、オロチをアルにぶつける。

 バキィィンッ!

 アルはオロチの一撃を、硬化の魔甲で受け止める。

 ゼクスの表情が、初めて曇る。

「先ほどから、貴様は何をしている……それは、たしかガッデスの……」

「コイツか? はっ!これはな、見よう見マネってヤツだよ!」

 アルは再び脚部の魔甲を展開。同時に剣を構え、強烈な踏み込みと一緒に剣を振り抜く。だが、それも再びオロチに防がれてしまう。

「何度やっても、結果は変わらぬぞ?」

「なんで……なんで、すぐに帰ってこなかった!!」

 余裕を見せるゼクスに対し、アルは強い口調で問い質す。

「何の話だ?」

「お前を……待ってたんだぞ、みんな! ルナだって! それが何だって、こんなことしてやがる!!」

 彼は脚の魔甲でフェイントをかけつつ、ゼクスに何度も剣戟を打ち込む。

「……いれば、もっと泣かなくていい奴がいたのに! お前さえいれば!!」

「面白いことを言うものだ。余を殺そうとした貴様であろうが。あまつさえ、余の代わりに魔王を演じておいて!」

 反撃も紙一重で避けながら、何度も何度も斬りかかった。

「ルナが泣いてたんだ!! お前が、戻らないからぁ!!」

「貴様、先ほどからグダグダと……ウルサイ蝿めがぁぁ!」

 ゼクスは、アルの言葉に苛立ち、二本の魔甲で同時に仕掛ける。アルの殻を確実に捉えた挟み撃ち……が、アルはその隙間に紙一重で滑り込んだ。

「何だと……!!」

「これで――終わりだぁぁぁ!!」

 動揺するゼクスを尻目に、アルは渾身の力を込めて斬りかかる。

 パキィィィンッ!!

 振り抜いたはずの剣。だが、その一撃はゼクスに届かない。気づけば、アルの剣から刃が消え去っていた。失われた刃を茫然と眺めるアル。

「残念……惜しかったな? 口ばかりのまおうクン?」

 ゼクスが言葉を放った直後、アルは自分の体に違和感を覚える。腹部には巨大な穴が開き、大量の血を流していた。そのまま膝をつき、血の海に倒れ込む。

「いや……いやぁぁぁ! 魔王様……まおうさっ――アルゥゥゥ!!」

 ルナは叫びながら、彼の元に駆け寄ろうとする。そこに、ゼクスはさらに追い打ちをかけようとした。

「これでトドメ……消え失せよ!!」

 オロチがアルの頭に向かって、振り下ろされた。ルナは直視できずに目を瞑ってしまう。

 ズドオオォォォン!!

 ルナは下ろした瞼を上げられない。閉じた目に映るのは、彼女の心を映すような暗闇だけだった。

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