第5話

 アムラエルを救助してから四日が経過した。だが、彼女を襲った者は未だに発見できないままだ。

 魔王城に戻ってからも、アルは苛立ち続けていた。ルナに請われて、城の中でひたすら待つことしかできないからだ。

「俺と戦ったって言ってたな、アムは……一体、どういう意味だったんだ?」

「魔王様の姿? 魔王様ではなかった頃のお姿をしていたのでございますか?」

 アルの食事を用意しながら、ローラが尋ねる。アルは首を横に振った。

「難しいことはわからないでござりまするが、魔王様は魔王様なので大丈夫でござりまするよ!」

 ローラは、何とかアルを励まそうとする。

「それは、そうだけど……はぁ、ローラにまで心配かけちゃ、魔王失格だよなぁ。ごめんよ。」

「いいえ、魔王様がお悩みの多い方なのはわかっているのでござりまするよ。私などでよければ、どんなお話でも聞いて差し上げまする! あ、ちょっと調子に乗ってしまいましたでござりまする……」

 ローラはすぐに頭を下げた。アルはそんな彼女を撫でる。

 彼女の気遣いが嬉しかったからか、アルは気分を変えて質問する。

「ところで、今日の食事は何だ? いい匂いがするんだが」

 アルが問いかけると、ローラは笑顔を浮かべ、食事の説明をしてくれる。

 だが、アルは聞きながら、必死に笑顔を浮かべていた。

 用意される食事は、いつも通り美味しそうな香りを醸し出していし、実際に美味しいのだろう。だが、アルの食欲は刺激されず、頭の中の疑問ばかりが膨れ上がっていった。


 ルナの執務室。

 シルフィは神妙な面持ちで、ルナと対峙していた。

「それは……本当ですの?」

「わかりません……ただ、あれはどう見ても〈オロチ〉の跡でした」

 ルナはアムラエルが倒れていた現場を見て、一つの推論を立てていた。それがあまりにも受け入れ難いものだったため、シルフィに相談したのだ。

「もしも、私の推測が正しかったとしたら……シルフィは、どうしますか?」

 ルナは震える声で問いかける。

 シルフィは一度両目を閉じるが、すぐにルナを真っ直ぐに見つめた。その瞳には、一切の揺らぎはない。

「ワタクシの心は、すでに決まっていますわ。真実はどうであれ、ワタクシはまおう様を愛しているのですから。それよりも、貴女はどうするつもり?」

 シルフィからの問いかけに、ルナは奥歯を噛むような顔を浮かべる。そして、彼女は、小さく呟いた。

「もしそうなら、私は……」

 ドォォォン!!! ズゴゴゴォォォォォ……!!

 ルナとシルフィは、遠くで大きな音がするのを聞く。急いで部屋の外へ出た二人は、城下街から煙が上がっているのを見た。

 続けざまに、何度も破壊音が響き、人々の悲鳴も微かに聞こえてくる。

「これは……何が起こっていますの?」

 シルフィが呆然とした表情を浮かべながら、静かに声を出す。

 そこに一人の兵士が駆け込んできた。

「る、ルナミリア様!! た、大変です! 街に賊が侵入しました! 警備隊が応戦していますが、まったく歯が立ちません!!」

「どういうことだ? 人間どもの襲撃か? それとも、貴族たちの謀反?」

「お、おそらく違います。敵は軍隊ではありません。ひ、ひとり……たった一人で攻めてきて!!」

 ルナは最悪の状況を想定する。次の瞬間には、廊下を駆け出していた。

「ちょっと、ルナ!! どこに行きますの!!」

 シルフィが止める声も、彼女には届かない。

 すると、今度はアルとローラが、シルフィの元へと駆け寄ってきた。

「シルフィ!! ルナは部屋の中か?」

 アルが尋ねる。シルフィは首を横に振り、窓の外を指差した。

「兵からの報告を聞いて、あの子は飛び出してしまいました」

「何だって? まったく!! せめて、俺を呼べっての!」

 アルは軽く舌打ちをする。すぐに追いかけようとするアルだが、シルフィは彼の呼び止める。

「待ってくださいませ、まおう様!」

「え? どうした、シルフィ。俺はルナを追いかけないと……」

「とても……とても大切なお話がございます。あなた様にとっても、ワタクシたちにとっても」

 シルフィの深刻そうな表情を見て、アルはゴクリと喉を鳴らしてしまう。


 城下から煙が上がる二日前。壊滅した街の郊外に魔王軍は陣取っていた。

「ダメ! ダメだよ!! アル兄を……うぅッ! 助けに――いかないと!」

 アムラエルは悲鳴に近い声を上げていた。

 軍医による治療が功を奏し、何とか一命を取り留めた彼女。だが、意識が戻ると、すぐにベッドから離れようとした。

「待て待て! お主は大怪我をしておるのだ。まだ動ける状態ではないのだぞ!」

「そんなの……関係ないわ!! わたし……私がアル兄を守らないといけないのっ!! ぐうぅぅ……」

 ガッデスの静止にも関わらず、無理やり起き上がろうとしたアムラエル。だが腹部の痛みにうずくまってしまう。

 両手で寝かせようとするが、それを力いっぱい跳ね除ける――が、その反動で、彼女は簡易ベッドから落ちてしまう。それでも這いずりながら、外に出ようとする。

「この馬鹿者が!! 己の状態もわからぬ者に、何が守れるというのだ!」

 這いずる少女をガッデスは抱き上げる。だが、その顔を見て驚いてしまう。

 その顔は涙でぐちゃぐちゃになっている。

 ガッデスは思わず、娘に対するように、優しい言葉をかけてしまう。

「大丈夫だ! お前の兄なら――あの男なら安全だ。多くの兵が守っておるし、彼自身も強いのだから」

 何とか説得しようとするガッデス。その目には、少女の体についた無数の傷が映る。それは相手を殺すためではなく――ただ痛めつけるための、嬲ることを楽しんだ跡のように見えた。

「ダメだよ! そんなんじゃ! アイツ、アル兄に会いに行くって言ってた! きっと殺す気なんだ……あんな化け物が相手じゃ、アル兄が死んじゃう!!」

〈治癒の奇跡〉が聞いているおかげで、アムの傷は通常の数倍の速さで治っていた。深手を負いながら、何とか動けているのは、そのおかげである。

 だが、それでもまだ、血は止まりきっていない。じわりと血が滲ませながら、訴えてくる少女。その姿にガッデスは拳を握り込む。

 必死に大切な人を守ろうとする人間の少女――その姿は魔族のそれと何も変わらない。

「わかった……お前の代わりに私が行こう。だから、ゆっくり休みなさい。目が覚めたら、兄さんのところで連れていってやるからな」

「本当に? ほんとに……アル兄を守って、くれるの?」

「ああ、もちろんだとも!」

 ガッデスの返事を聞くと、アムラエルはそのまま眠ってしまう。〈治癒の奇跡)により体力を消耗していたからだ。

 ガッデスは少女を部下たちに任せ、自分の馬に跨る。

 目指す場所は、ただ一つ――人間の少女との約束を果たすため、彼は全速力で駆け抜ける。

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