第4話

 アルたちは人間の街を離れ、北方にある森の中を探索しながら移動していた。

 残された形跡を負いながらも、警戒しつつ動く。アルはなかなか前に進まない状況に声を上げた。

「こんなんじゃ、日が暮れても追いつかないぞ! どうにかならないのか?」

「辛抱してください。相手が何者かわからない以上、ここで無茶をするわけにはいきません」

 ルナはなだめるように言う。さらにガッデスも同意する。

「何をしたかはわかりませぬが、魔王軍が長年、苦戦してきた人間共の街を……軍隊を打ち倒した何かが存在するのです。決して油断するべきではありませぬぞ」

 アルは二人の言葉に、反論できずに黙る。だが焦る心までは消すことはできない。

 正体不明の不安が、彼の胸の中を埋め尽くしていた。アルの焦りは、ルナにもヒシヒシと伝わる。

「落ち着いてくれ。何をそんなに焦っているのかはわからないが……ここは慎重に行動するべきだろ?」

 ルナは何とかアルを落ち着かせようと声をかける。その言葉に、アルは一度目を閉じてから、もう一度開く。

「そう……だよな。悪い。ここは俺がしっかりしなくちゃな」

 アルは一度自分の両頬をパシンッと叩いてみせる。彼女はホッと息をついた。

「そうだ、ルナ。さっきはありがとな。俺の味方してくれて。おかげで街の人たちを助けることができた」

 アルはルナが自分と一緒に頭を下げてくれたことを、感謝していた。自分だけの言葉では、ガッデスは動いてくれなかったかもしれない――そう感じていたからだ。

「必要なことだからだ……私は、自分で納得しないことなんて、頼まれてもしないからな!」

 ルナは少しトゲのある言い方をする。だが、その顔はどこか赤く、照れた様子をしていた。

「人間と魔族が――もう少しわかり合えるようになれればいいと、今なら思うよ」

 アルは静かに言う。だがルナは、その言葉にすぐ反論した。

「私たちは、別に人間と戦いたいわけではない。ただ自分たちの土地と生活を……守りたいだけだ。もちろん、恨みを持ってる者もいるが……」

 ――それでも、希望はあるはずだ! 俺にできることも、きっと!!

 アルがそう強く念じた時だ。前方から伝令が駆けてきた。

「お知らせします!! 前方に血まみれの人間を発見しました! どうやら女のようですが……」

 アルは背筋に悪寒が走るのを感じる。次の瞬間には、馬の手綱を強く握っていた。

 急に先行したアルに、ルナとガッデスは驚き、慌てて後を追う。

 アルは前方に、魔王軍の兵士が数人、固まって立っている姿を見つけた。

 馬で近づくと、すぐに飛び降り、その輪の中心に目を向ける。

 そこには、体中を血で染めている少女の姿があった。

「アム! アムラエル!!」

 追いかけてきたルナとガッデスも、馬から降りる。

 アルはアムの名前を呼び続けた。すると、アムが目を開く。

「アル兄? よかった……今度は、本物、の……うっ!!」

「一体誰がこんな事……アム、喋らなくでいいぞ!」

 アルはアムを抱えながら、近くにいた兵士に、医者を呼ぶように言った。

 アムラエルの横腹は、何かで抉られたような傷があり、血が流れ続けている。

 そのとき、ルナとガッデスは周囲の様子に目を向けていた。道端に大小無数の穴が開き、周囲の樹木にも抉られた跡がある。

「ふむ。何をしたら、こんなメチャクチャな状況が出来上がるのだ?」

 ガッデスはあまりにも奇異な状況を目にし、疑問の言葉を口にする。

 通常の武器で生まれる痕ではない。魔甲を用いた打撃などでもない。何か巨大な筒状の物体で貫いたような痕跡。

 ルナは口をつぐんでいる。返事がないことに気づき、ガッデスはルナのほうへと顔を向けながら、再び声をかけた。

「ルミナリア、お前はどう思う……」

 ガッデスがルナへと目を向けた時、彼女は小刻みに震えていた。額からは汗を流し、自分で自分の体を抱きしめるようにしていた。ガッデスは、その様子に心配そうに言う。

「ルナ……大丈夫か? お前……」

 ガッデスが近寄ると、ルナは彼の腕を強く掴む。そしてルナは、ガッデスに告げた。

「私たちはこれとよく似たものを……いいえ、全く同じものを知っています」

 ルナの言葉は、ガッデスの表情を変える。訝しげな顔をしながら、ガッデスは強い口調で、ルナに問い質した。

「本当か、それは! いや、待て……私〈たち〉だと? それは一体……」

「もう忘れたのですか? 我らが戴いた、あの方の力を。こんなことができるのは、〈オロチ〉しかありません!」

 ルナの言葉に、ガッデスは困惑した表情を浮かべる。そのとき、アルが大声で叫ぶ。

「どういう意味だ、アム!」

 アルの声に驚き、ルナとガッデスは彼の元に駆け寄ってくる。

 ルナはすぐにアルへと声をかけた。

「どうしたのですか、魔王様?」

 しかし、アルは返事をせず、アムに声をかけ続ける。

「お前を襲ったのが……俺? 何言ってるんだ? 俺は今ここにきたばかりで……」

「違う……よ。そうじゃないの」

 アムは必死に、訴え続ける。その右手には、血で汚れたフード付きマントが握られていた。

「アイツは、アル兄と同じ顔を……ううん、アル兄の体……で。ごめんね――止められ、なかった……私じゃ」

 その一言を最後に、アムは気を失ってしまう。それはとても不可解な内容だったが――アルは一つの可能性を思い浮かべた。

 ――俺の体が動いてる? 

 だが、それを口にできず、言葉を飲み込んでしまう。

 同時に、彼女を運ぶための用意が整う。

「ここからだと、魔王軍の野営地に戻るほうが近いでしょう。そちらなら、優秀な軍医も待機しておりますゆえ、この娘はそちらに運びましょう」

 ガッデスがそう言うと、兵士たちは担架にアムを載せる。

「わかった、なら俺もついて……」

 アルが担架と並んで歩きだそうとしたとき、ルナが腕を掴む。

「待ってください。魔王様は城に戻っていただきます」

「な、何でだよ! 今はアムの傍にいていてやらないと……」

 アルはルナの手を振り解こうとしたが、思い留まる。

 アルはルナの手が、震えていることに気づいたからだ。

「ルナ……お前、どうして……」

「お願いです……とにかく一度、城に戻りましょう」

 ルナの動揺ぶりに、アルも言葉を失う。

「この娘に関しては私にお任せを。どちらにせよ、軍内の調整もありますからな」

 ガッデスの申し出はあったが、アルは一瞬ためらいを覚えた。だが、ルナの様子が気になるのも事実。

「わかった。どうかアムラエルのこと、よろしく頼む!」

 アルはアムラエルのことをガッデスに任せ、ルナと一緒に城に戻ることにした。


 男は、ゆっくりと歩き続けていた。だが今の彼には、明確な目的地がある。

「あの娘、余の顔を見て、体を返せ――と言っていたな。アル兄に体を返せ、と。つまり、まだ持ち主は生きているわけか。となると、彼の者はやはり……くっくっく。だとすれば極めて愉快な話だ」

 そう呟くと、男の足取りがわずかに軽くなる。

「余の考えが正しいとすれば……感動的な対面になるだろうな。はっはっは」

 笑い声を響かせながら、男は夜の道をのんびりと進む。それは魔王城へと続く道だった。


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