第2話

 魔王城から南東に馬で三日ほど駆けた場所に、人間たちの住む街があった。

 そこは五十年ほど前までは魔族が治める漁業の街だった。それを海の向こうからやって来た人間たちが占拠、以後魔族と戦うための拠点として使用してきた。

 ところが、かつて漁師たちによって活気づいていた街の姿はない。

 瓦礫の山と化してしまった。人間たちの姿さえ、ほとんどない。港には停泊している船は見当たらず、残っているのは、くすぶる炎から上る黒い煙と――人間たちの遺体ばかり。

「まさに、全滅という感じですね」

 ルナが静かに言う。

 長年戦ってきた相手とはいえ、あまりの惨状にルナも苦々しい顔を浮かべていた。さらに表情が曇っていたのはアルである。

「俺は、これまでもいろいろと嫌なものは見てきたつもりだ。人間と魔族の争いも、人間同士の戦争だって……でも、これは酷すぎる! 民間人だっていっぱい住んでたんだ、この街には! 何をしたらこんな状況になるんだよ!」

 ――掠奪が目的じゃない。ただ壊そうとしただけ……そんな感じた。

 建物のほぼ全てが破壊され、生きた人間が全く見えない街。

 アルは勇者として、この街を訪れた時のことを思い出していた。長く滞在したわけではなく、強い思い入れもなかったが……アルは目の前の惨状に、歯噛みしてしまう。

「魔王様! 生き残った人間の中に、話を聞けそうな者を発見しました!」

 兵からの報告を受け、足早に移動するアルとルナ。

 そこにいたのは人間の女性。だが、周りを魔族に囲まれ、怯え、震えている。

 アルは兵たちに周囲の捜索を命じる。ルナにも一度離れてもらい、女性と二人きりで話す。

「大丈夫だ。俺たちはあなたを傷つけない。まずは落ち着いてくれ」

 アルはまず、目の前の女性を安心させることを優先した。彼の言葉を聞き、女性は彼の顔をじっと見る。

 アルは、ゆっくりと微笑んでみせた。女性の震えも段々と収まる。彼女の呼吸が整ったのを確認してから、アルは女性に尋ねた。

「この街で一体何が起きたんですか? もしかして、人間同士で争いが起きた……?」

 アルとしては、あまり考えたくない話だ。だが、魔王軍が手を出してない状況で、これほどの破壊が起こる事態を想定すると、それほど数は多くない。

 アルの質問を聞き、女性は頭を横に振った。

「違います……違うと、思います」

「では、一体何が、街を破壊したのですか?」

 自分の予想を否定され、アルは改めて女性に質問する。

「わ、わかりません。ただ、みんな船に乗って逃げたんです。私は、私たちは乗り遅れてしまって……急いで建物の中に隠れました」

 女性が、ゆっくりと話す。

 ちょうどその時、ルナがアルのそばまで近づいてきていた。なかなか話が進んでいない様子を見て、苛立ちの声をあげる。

「逃げる? 何から逃げようとしたのだ? それがこの街をこんな風に……」

「ヒィィィィ!」

 ルナの言葉を遮って、女性は大きな悲鳴を上げた。周りにいた兵士たちまで、女性の声に足を止める。続けて、女性は震えた声で言う。

「わ、わからない……〈アイツ〉は急に現れて、街を壊していったんだよ。誰もアイツには近づけない……兵士たちも、誰も! だから皆逃げんたんだ……私は、私たちは置いてかれたんだよ!」

 取り乱すように言う女性だったが、それ以上は口を開かず、体を震わせるばかりになる。

「すいません、驚かせてしまって……ありがとうございました。街に残った人たちには危害を加えたりしません。安心してください」

 アルは女性の背中をさすりながら、柔らかく告げる。女性も少しずつ落ち着きを取り戻した。その様子を見てから、アルは立ち上がる。

「ルナ、行くぞ」

 ルナに声をかけ、その場を離れるアル。だが、ルナは不満そうな顔をしていた。

「どうして、もっとキツく問い質さないのですか? まだ、何か知っていることがあるかもしれません」

「彼女、相当憔悴していたんだ。それに、まだ混乱しているみたいだし……今は休ませてあげるべきだろう」

「人間に、甘いんですね」

「そういう意味じゃない。弱っている奴をいじめるようなことをして、一体何になるっていうんだよ」

 ルナの言葉に、アルは語気を強めて反論した。ルナのキツい視線に、アルはため息を吐く。

「怯えてる人間は、記憶の混乱がめずらしくない。幻聴や幻覚みたいなのもあるんだ。だから、話を聞いても、こっちまで混乱することもある。不正確な情報が、ピンチを呼び込む場合もあるんだよ」

「そういう、ことなら。失礼いたしました、魔王様」

 ルナは軽く頭を下げる。アルは彼女の肩をポンッと叩いた。

 それとほぼ同時に、二人に呼びかける声が聞こえてくる。

「魔王様、ルミナリア! どうやら、この街を壊した奴は、ここから北上したらしいぞ」

 ガッデスがアルのところに歩いてくる。彼は北を指差しながら言葉を続けた。

「あちらの森に、不自然な破壊痕があったらしい。えぐられたような形跡が樹木に……おそらく、街を壊滅させた何かが通った跡だろうな」

 ガッデスは指差す方向に歩き出す。だが、アルは彼の腕を掴む。

「頼みがある。もし街に生存者がいるなら、保護してもらえないか? ずっと刃を交えてきた人間を、助けるのは嫌かもしれないが……」

 アルはガッデスに頭を下げた。アルの頼みに対して、彼はハッキリと渋い表情を浮かべる。

 そんな二人のやりとりを見て、ルナは一瞬、ためらいを見せる。が、すぐにガッデスへと頭を下げた。

「父上、私からもお願いします。お気持ちはわかりますが、今のままでは状況がわかりません。情報を得るためにも、人間たちの救助を」

 ガッデスはルナの言葉に、頭を掻いた。しばらく黙るが、ゆっくりと口を開く。

「ふむ……そうだな。ここを壊したモノが何であるにせよ、魔族を害する可能性も十分にある。では、兵の一部を救助のために残すとしよう」

 アルはガッデスの言葉に、改めて頭を下げて礼を言う。ガッデスが、アルに頭を上げるよう促した。

 そこに、兵士の一人がガッデスに声をかけてくる。

「将軍。兵の中に妙な話をする者たちが」

「妙な話? 一体どんな内容だ?」

 兵からの報告に、アルとルナも耳を傾けた。

「それが……二日ほど前に、この街から北の空に飛んでいく影を見たとか。鳥かとも思ったそうですが、あんな大きな鳥は見たことないと。何か関係があるかはわかりませんが」

 その話に、ガッデスとアルは眉をひそめた。しかし、ルナだけは何かに気づいた様子を見せる。

「人間の街から飛び立つ大きな影? それはもしかして……」

 ルナがそこまで言うと、アルも心当たりを思いつく。

「飛翔の奇跡? アムか!」

 状況は全く飲み込めないままだが、事件の中心が北に移動し、それを追いかける者がいる……そこで、アルたちはすぐに北に向かうことを決めた。

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