第5話

「申し訳ありませんでした!!」

 事件から四日ほど経ち、シルフィの体調が戻ったと聞いたルナは、彼女の部屋を訪ねていた。

 謝罪すると同時に、シルフィの目を閉じたのは、彼女から殴られる覚悟があったからだ。

 ペチンッ

「痛い!! え、ええ? あの、今のは?」

 シルフィは、ルナにデコピンをお見舞いした。自分の額を撫でるルナ。

「今回の件、これで許してあげますわ。まおう様が納得している以上、ワタクシから責任を問う気はありません」

「しかし……!!」

 シルフィの言葉に驚き、ルナが口を開こうとした――その時。

 シュッ!!

 シルフィは拳を突き出し、ルナの顔の直前で止めた。

「その代わり、次にまおう様を傷つけたら、全力でぶっ飛ばしますわよ」

 シルフィの言葉を聞き、ルナは一瞬涙をこぼしそうになる。だがグッと歯を食いしばると、精一杯強がって見せる。

「……わかりました。でも、その言い方だと……この間は手を抜いたみたいに聞こえますよ?」

 ルナはいつもの調子で嫌味を言う。その言葉を受け、シルフィは口元をニヤリとさせた。

「当然ですわ。だってワタクシたち――お友だちですもの。本気で殴ったりしませんわ」

 すると、ルナは声を出して笑ってしまう。それに合わせるように、シルフィも笑い出した。


 アルは魔王城の中庭で、いつものようにトレーニングをしていた。

 剣を握りしめ、目を瞑るアル。そこから、一連の型で剣を振る。一通り型を終え、アルが目を開くと、そこにローラが立っていた。

「魔王様、今日もよい汗をかかれているのでござりまするね」

 そう言ってローラはタオルを手渡す。それを受け取りながらアルは彼女に礼を言う。

「ああ、ありがとう。もう怪我は大丈夫なのか?」

「はい、もう全然へっちゃらなのでござりまする」

 ローラは両手を上げ、自分が元気だということをアピールする。その姿を見て、アルは小さく笑う。

「しっかし、魔族っていうのは、随分と丈夫にできてるんだな」

「これも魔力のおかげでござりまするよ。えーと、何でしたか……たしか、魔力が魔族の生体機能を向上させる、とか何とかでござりまする」

 ローラはルナに教わった話を、うろ覚えながらに、アルに伝えた。アルはそれを、感心したように聞く。

「ふむふむ、魔力のおかげで怪我の治りが早いわけだ。よし、ローラが元気なら、ちょっと試してみるか」


「むむぅ……なんだが悔しいのでござりまする」

 ローラがめずらしくむくれ顔を見せる。

 アルが提案したのは挑んだジャンプ対決。魔甲を使って、どっちが遠くまで飛べるか勝負した。

 結果、ローラがわずかに負けてしまったのだ。アルは彼女の頭を撫でながら言う。

「大丈夫だって。ローラはこれから、もっと大きくなるんだから。そうすれば、俺なんかよりずっと飛べるんじゃないか?」

「ほ、本当でござりまするか?」

 ローラが不安そうな顔でアルに尋ねた。アルはニッコリと笑って答える。

「間違いないって。それにローラは将来すごい美人さんになるぞ! 料理もできて、気立ても良いし……きっと最高のお嫁さんになるな!」

 ローラはアルの言葉に嬉しそうに笑う。アルも普段通りの日常が戻ってきた喜びで、いつもの倍、ローラの頭を撫でてしまう。

 が、次の瞬間、ローラが急によそよそしい態度を取り始める。

「あ、あの、私は昼食の準備がありますので……これで失礼するでござりまする!」

 そう言って、ローラは急に駆けていった。ローラの慌てぶりを見て、アルは首を傾げる。

 だが、背後から聞こえた声で、今度はアルが青ざめた。

「ルナだけではなく、今度は侍女にまで色目を……ワタクシとの約束をお忘れですか?」

 いつの間にか、アルの背後にはシルフィが立っていた。振り返ったアルは、いつもと変わらない表情を浮かべるシルフィを見て、後ろに三歩ほど身を引いてしまう。

「シシシ、シルフィ! い、いつからいたんだ?」

「つい先ほど――まおう様が訓練なされているところを見て、声をかけようといたしました。けれど、ちょうどよくあの侍女が現れて……随分と仲が良さそうでございましたわね?」

 ニコニコと笑いながら、淡々と言葉を口にするシルフィ。

 ――コレに気づいて逃げたな、ローラ! 何かルナに似てきてないか……?

 アルは自分の額から、嫌な汗が出ていることに気づく。そんなアルを見て、シルフィはふぅっとため息を吐く。

「ワタクシ、もうケガは治りましたので。今日から寝所にお供いたしますわ」

「あ……はい」

 それだけ告げると、シルフィはその場を立ち去ろうとした。ところが、途中で立ち止まり、もう一度アルのほうへと向く。

「まおう様、ワタクシはあなた様を誰にも譲る気はこざいませんから、そのつもりで」

 シルフィの言葉に、アルは訝しげな表情を浮かべる。

 アルはしばらく彼女の言葉について考えるが、結局意味はわからないまま。仕方なく、再びトレーニングに戻った。


 二日後、アルとルナは並んで廊下を歩いていた。アルは大きな欠伸をする。

「ふわぁ~あ……朝っぱらから一体何だよ」

「昨日の夜。ウエスト地方の貴族同士が小競り合いを起こしました。何でも、領地の線引きで諍いが続いていたとか」

 ルナは淡々と説明する。アルはその話を聞きながら、目をこすった。だが、眠気は消えないままだ。

「貴族ってのは、そんなことで争うのか?」

「バンバーグ公がいなくなってから、貴族たちのまとまりが弱くなっているのです。誰が主導権を握るかで……商業組合理事のグウィスレット様なら、抑えになるかもしれませんが……あの方は、貴族同士の争いには関心がありません。父上も政治は苦手ですから」

 アルはルナの説明に耳を傾けながら、思いきり体を伸ばした。

「それで早々に枢密議会に上がってきたわけか……全く魔王遣いの荒い皆様で」

 議場の扉が、二人の視界に入ってくる。アルはそのまま歩いていくが、ルナが途中で立ち止まった。

 アルは、ルナが足を止めたことに気づき、振り返る。

「ん? どうしたんだ、ルナ」

「いいか、一度しか言わないから――よく聞け」

 ルナが神妙な面持ちを見せる。だから、アルも真剣な表情を浮かべた。

 ルナは一度大きく息を吸ってから、落ち着いた声を言う。

「お前のおかげで、命を救われた――心が救われた。だから……ありがとう、勇者アルフレッド」

 ルナの言葉に、アルは驚いた表情を浮かべる。けれど、すぐに口元が緩み、次に笑い出してしまう。

 ルナは顔を真っ赤にして、声を上げる。

「な……お前、人が真面目に礼を言ってるのに! 笑うヤツがあるか!」

「わ、わるい……いや、まさかお前がそんな風に言うとは思わなくてな」

 アルの言葉に、ルナはさらに不機嫌そうな表情を浮かべる。

 一通り笑い終えると、アルはルナを真っ直ぐに見据える。

「礼を言うのは、俺のほうだよ。お前が……ルナがいたから、俺はこうしていられる。本当にありがとうな!」

 アルの言葉を聞いて、ルナは表情を崩す。そしてゆっくりと微笑みを浮かべた。

 すると、アルはルナの言葉に一つ、訂正を加える。

「でも、俺はもう勇者じゃないぞ。お前と会った日から、俺は魔王になったんだからな」

「ああ、そうだな。頼りにしてるぞ、魔王様!」

 ルナの言葉を聞くと、アルは向きを変えて歩き、議場の扉を開いた。続いて、ルナも議場に入る。アルは自分の席に座り、ルナはその傍らに立つ。

「皆様、お集まり頂きありがとうございます。さっそく本日の議題ですが……」

 静かに言葉を続けるルナ。その姿を横目で見つつ、アルはニコリと笑った。

 ルナの説明が終わると同時に、アルが口を開く。

「魔王として、まずは全員の意見が聞きたい。よろしく頼む!」

 アルのハッキリとした言葉を聞き、議場にいた者は全員、ピシッと背筋を伸ばした。


 南方大陸にある人間たちの都――帝都から西に三十キロほど離れた場所にある森の中。

夜の闇に包まれた道を、一人の人間が歩いていた。深々とフードをかぶった男は、ゆっくりと歩きながら呟く。

「全く、こればかりはどうにもならんな。寒さというのは、堪えるものだ」

 一瞬身震いをするが、それでもゆっくりと足を進める。

「おおっと! ちょいと待ちな兄さん!」

 男の前に、別の男が立ちふさがる。一人ではない、二十人は軽く超えている。

「身ぐるみ全部、置いていってもらおうか!」

 フードの男は一瞬驚くが、すぐに口元を緩めた。

彼はこう考えたのだ。「いい運動ができそうだ」と。男の瞳は〈漆黒〉の中に沈んでいた。


「なんで……何でこんなことに!一体何があったの……?」

 帝都に戻ってきたアムは、呆然と立ち尽くしていた。

巨大な建造物を要し、南方大陸で三本の指に入る大都市が崩れ落ちている。街のおよそ四分の一が破壊され、そこら中に怪我人と……死体が転がっていた。

「大聖堂は? 大聖堂はどこに消えたの!」

 特に破壊が酷いのは東部地区。大聖堂を中心に、建物が破壊され、ほぼ廃墟と化していた。

「う……うぅ……」

 アムは、大聖堂があった場所の近くで、怪我をした兵士を見つける。彼を抱えて起こそうとするが、腹部から大量の血が流れていることに気づく。

「大丈夫? 返事をして!」

「あ、あれは……あれは何だ? あんな、人間のはずなのに……手も触れず、建物が……人間も、殺されて。化け物……本物の化け、も……の」

 兵士はそのまま事切れてしまう。

アムは全く頭の整理ができない。しかし、周りには助けを求める声が聞こえ、アムはとにかくそちらに足を向けた。

「一体、何が起きてるの? 誰が……何でこんなことに!」

 崩れゆく街の中、アムは混乱する自分の心を抑えながら、人々を救助するため駆け出した。


 帝都西の森――数分前まであった静けさは消し飛び、悲鳴と苦悶の声に満ちていた。

二十人はいた男たちは全て、血まみれで転がっていた。ある者は、両足を失い、死を待っている。またある者は、胸に穴を空けて事切れていた。

 フードの男は、最後の一人に近づいた。追い剥ぎたちの頭目らしき大男は、泣きながら土下座を始める。

「悪かった、許してくれ! 何でもする、金が欲しけりゃアジトにあるもん、全部やるよ! だから、俺だけでも見逃してくれ。命だけは……命だけはぁぁ!」

 その姿に、フードの男は頭を押さえ、ため息を吐く。

「最低だな、最も唾棄すべき選択だ――この愚物が!」

 男が叫ぶと、頭領の腹に大きな穴が空く。口から大量の血を流す頭。

「げはぁっ! お、お前……いったい、何なん、だ……よ」

 事切れる直前、盗賊が発した言葉に、男は静かに考え込む。

「余が何者か、だと? そうだな、魔王……いや、勇者なのかな? まあ、どちらでもいいか。フフフッ」

 小さく笑いながら、男はその場を後にする。

ただ、血に染まった真っ赤な足跡だけを残しながら。

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