第4章「どこにもいないのだ、魔王様なんて!」

第1話

 人間が支配する南方大陸。そのほぼ中央に位置するのが、大陸最大を誇る帝都である。

 帝都東部に位置し、広大な敷地と巨大な建造物を持つ大聖堂。その地下でひたひたと歩く裸の男。

「手に入れた……これが、人間の――自由の……!!」

 呟く男は出口を探す。すると、向かいから神官姿の男が一人歩いてくる。

「ん? な、なんだお前は? どうしてこんなところに……」

 べちゃっ!

 裸の男の体に、真っ赤な液体が付いた。向かいにいた男は、地面に這いつくばり、ピクリとも動かない。

 一瞥さえしないまま、男は再び歩き出す。日の差す地上――彼の望む世界を目指して。


 魔王城への襲撃から、丸一ヶ月が経過していた。ようやく城下にも賑わいが戻っている。

 だが、アルたちの食卓は、むしろ寂しさに包まれていた。炊き上げたコーメと、豆を腐らせた調味料〈オミーソ〉を使ったスープ……以上である。

「いただきます……」

 ルナはそれに特別な反応を示さず、ただ黙々と食べる。手早く食べ終え、ルナは手を合わせた。

「ごちそうさま……」

 ルナはそれ以上何も言わず、そのまま部屋を出ていってしまう。ローラも空いた皿を静かに下げる。

 その顔に笑顔はない。

「ま、まおう様……ルナに何かしたのではありませんか?」

「お、俺は知らないって。シルフィこそ何か言ったんじゃ……」

 目の前の状況が理解できず、狼狽するアルとシルフィ。

 ぐきゅるるるぅぅぅ……。

 だが、二人の腹の虫は声を上げる。アルとシルフィは、お互いに自分の前に置かれた食事を見つめた。

「とりあえず、飯を食うか……」

「そうでございますね……」

「「いただきます」」

 質素な食事ではあったが、さすがにローラが作るだけあり、二人とも味に文句はなかった。


 食事を終え、寝室に戻るアルとシルフィ。だが、その表情は暗い。

「最近、食事が貧相になっていると思っていましたが……今日のはあまりにヒドイですわ! まあ、美味しくはございましたが」

 シルフィは困惑する。アルを見つめる視線はこう言っている――「ルナと何かあったのか?」と。

「ルナとは最近、ほとんど口も利いてないって」

 アルはシルフィ不安に、答えるように言った。

 だが、実際には心当たりがあった。

 アムラエルとの騒動である。

 ガッデスの提案で魔王を襲撃した者は、処刑されたことになっている。また、アルの正体も秘匿されたままだ。秘密を知る者は少ないほうがよいと、ガッデスはアルにも口外を禁止した。

 そのため、シルフィには真実を語れない。

「ならきっとそれですわ。まおう様がなかなか声をかけないもので、あの子……拗ねているのでしょう」

 シルフィは断言する。アルは困惑した様子で、シルフィに尋ねる。

「なんで、そんなことわかるんだ?」

「わかります。ワタクシも女でございますから。あの子、寂しいのだと思います。明日にでも、きちんと話をしてあげてくださいませ」

 アルは驚いた。シルフィが、彼とルナの関係を心配したからだ。

「めずらしいな、シルフィがそんなことを言うなんて。俺がルナと仲良くしているの、気に入らなかったんじゃないのか?」

 その言葉に、シルフィはアルから体を離し、顔を彼と反対の方向へと向ける。

「気に入りませんわ! あの子に限らず――まおう様が他の女性と仲良くするなんて……でも、でも!」

 シルフィがアルのほうへと振り返る。目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「あの子の機嫌が悪くなると、その分ローラの料理の質が下がるのです。まおう様も気づいてらっしゃるでしょう? 今日なんて、コーメとオミーソスープだけ……いえ、もちろん美味しかったのですけれど。でもワタクシ、アレがこれからも続くと思うと耐えられませんわ!」

 シルフィの切実な思。それはアルにも十分伝わったのだが、彼は小さく頷くばかり。あとは苦笑いを浮かべることしかできなかった。


「魔王様……」

 真夜中の玉座の間で、ルナは囁いた。月は厚い雲に覆われ、光の一筋さえ差してはいない。

 暗闇の中、ルナは一人でゆっくりと玉座へと歩み寄る。

「ゼクス様……一体どこに行ってしまったのですか」

 そう言うと、ルナは玉座の左側に立ち、ゆっくりと膝をつく。そのまま、肘掛けに額を付け、下を向きながら呟いた。

「月の女神様は、私に何も教えてはくれません。あなたも同じ――何も言わずに、何も教えてくれないまま、置いていった」

 ルナは両手を組み、額に当てる。目を瞑り、祈るような――あるいは縋るような――姿勢になる。

「いいえ、あなたを消したのは私。繋いだのも、消したのも、全て私自身。なのに、なんて身勝手な……」

 歯を食いしばり、今にも泣きそうな顔を浮かべるルナ。

 けれど、すぐにルナの顔からは表情が消える。すっと立ち上がると、今度はハッキリとした足取りで自分の執務室へと歩いていく。

 ルナが執務室へ戻ると、扉の前にローラが待っていた。ローラはルナの姿を見つけると、小走りで近づいていく。

「ルナ様……お茶をお持ちしたのでござりまする」

 ローラが声をかけるが、ルナは一瞥だけして、そのまま部屋の扉を開ける。背中を向けるルナに、ローラは語気を荒げて言う。

「この頃のルナ様、少し変でござりまする! 魔王様の前であんな態度ばかり……魔王様と何かあったのでござりまするか?」

 ローラの言葉に、ルナは立ち止まる。それでも振り向くことはなく、ただ拳だけを握る。

 その変化に気づかないまま、ローラは言葉を続けた。

「もし魔王様と直接お話しするのが難しいのでござりましたら、私が話すでござりまする。だから、ルナ様、魔王様と何かあったなら……」

「どこにもいないのだ、魔王様なんて!」

 バシャッ! パリィィン!

 ルナの大きな声に、ローラはお茶を落としてしまう。

 ローラは、今まで聞いたことのなかったルナの大声に驚いてしまった。

「ルナ……様?」

「ローラ……しばらく私に構うな。いいな?」

 今度は、静かに優しい声でルナが言う。先ほどの声との差があまりにも大きいせいで、ローラはその場でへたり込んでしまう。

 ルナは振り返ることもせず、そのまま執務室の中に入ってしまった。

「ルナ様、どうしてしまったのでござりまするか……」

 ローラは力なく呟き、ただ茫然とするしかなかった。

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