第8話

 ルナの執務室。

 彼女は自分の机の前に座り、その視線の向こうにガッデスが立っていた。ガッデスは窓から外を眺めながら、ルナに尋ねた。

「あの男……信用して大丈夫なのか? ルミナリアよ」

「どう思われますか? 父上は」

 ガッデスの問いに答えず、逆にルナから質問が出る。

 ガッデスは顎に手を当てながら、眉間にシワを寄せた。普段とは違う――奥歯に何かが挟まったような言葉を彼は口にした。

「二度も命を救われた――バンバーグの時、そして今回の件。だが……人間共の刺客を庇ったのも事実だ。いっそ、我らの敵になるなら話は早いのだがなぁ」

 そう言いながら、ルナのほうに視線を向けるガッデス。ルナは何も言わず、視線を下に向けていた。

「それで、お前はどう……」

「私は……このまま、彼に魔王を続けてもらいたいと思っています」

 ガッデスの言葉を遮り、ルナはハッキリと意見を口にした。その時も、ルナは自分の手を見つめるばかりだ。

「ふむ……お前が信頼するならば、私はそれに従おう。正直、あの男を見極めたいという気持ちもあるからな」

 ガッデスの言葉に、ルナはゆっくりと視線を上げる。

 だが、彼は心に整理がついたのか――そのまま扉のほうに歩いていった。

「私はこのまま、軍に戻ろう。お前には苦労をかけるが……何かあれば、すぐに早馬を寄越すのだぞ」

 それだけを言い残し、ガッデスは執務室から出ていった。

 閉まる扉を眺めながら、ルナは静かに呟く。

「信頼……? 私が何を信じているのか――わかるのですか? 父上……」


「悪いな、アム。お前に面倒事を押しつけて」

 魔王の私室――夜が明けるより前に、アムラエルは旅の支度を整えていた。

「ううん、いいよ。どうせここにいても、できることなんてないし。それよりも、アル兄の役に立てるのが嬉しいから」

 アムラエルは自ら、アルの体を持ってくると言い出した。

 アルも最初は止めたが、元の肉体に戻る希望を彼女に託すことにした。支度を終えた彼女は、部屋を出ようとする。

 だが、そこで思い出したように、腰の剣をアルに手渡す。

「これは……俺の剣か? 何で、アムがこれを持ってるんだ?」

「アル兄の体と一緒に見つかったんだって。仇を討つって言ったら、先生が渡してくれたんだ。でも、もともとはアル兄のものだから、返すよ」

 アムラエルの言葉を聞き、アルはその剣――かつての自分の相棒を手に取る。

「ありがたく受け取るよ」

「うん。やっぱりその剣は、アル兄が……本物の勇者が持つべきだね」

 アムラエルの言葉は、単なる素直な感想だ。しかし、その言葉に、アルはなぜか喜びを感じられなかった。

「だ、大丈夫だよ! アル兄はきちんと、元の体に戻れるから」

 アムラエルは、アルの表情を見て、元の体に戻れるかどうかを心配していると受け取った。

 アルはその勘違いを正さず、アムに対して笑顔を返す。それを見て、アムラエルも微笑み、部屋を出ていく。

「それじゃあ行ってくるね、アル兄」

「ああ、いってらっしゃい――アム」


 月が昇り始め、大地を優しい光が照らす頃。

 魔王城のバルコニーに、ルナの姿があった。バルコニーの手すりに両腕を乗せ、その上に頭を乗せるルナ。ただ、昇ってくる月を眺めるルナだが、その目は月は捉えていない。

 コンコン。

 ノックの音がした。しかしルナは返事をせず、ひたすら空を見つめている。

 ゆっくりと扉が開くと、顔を出したのはローラである。

「ルナ様……やはりこちらでござりましたか。他の者に尋ねたら、こちらへ歩いていく姿を見たと聞いたのでござりまするよ」

 ローラはルナに話しかけるが、全く反応がない。困惑しつつ、ローラはルナに近づいていく。

「あの……ルナ様? 何を見ているのでござりまするか?」

 ローラが尋ねても、やはりルナは答えない。代わりに一言だけ口にした。

「悪いが、一人にしてくれないか?」

 ルナは小さく、けれどハッキリとした口調で言った。その言葉に、ローラは少し寂しそうな表情を浮かべながらも、頭を下げてから部屋を出た。

 ルナはまだ、月を眺めている。しばらくして、今度は胸の前で両手を組んだ。祈るように彼女は、静かに問いかける。

「我らが月の女神様……私は正しかったのでしょうか? それとも過ちを犯したのでしょうか? どうか――どうか、お教えください」

 ルナの問いかけに、答える者はいない。ただ静寂と、月明かりだけが彼女を包み込んでいった。

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