第6話

 襲撃から四日が経った後も、魔王城と城下街は騒然としている。

 賊の侵入という思いがけない状況もあり、統一祭も二日目以降は中止になった。

「街にも城内にも、衛兵を倍に配置した。これで、何とか対応できるだろう」

 ルナの私室にいたアルは、彼女から報告を聞くが、納得しない顔を見せる。

「その中に、空飛べるヤツはいるのか? お前みたいに」

「あれは、私にしかできない――特別なものだ。少なくとも、同じことができる者を見たことがないな、私は」

 ――なら、今のアムにはあまり効果がないはずだ……。

 アムラエルは空が飛べる。

〈飛翔の奇跡〉を使える相手に、ルナの対策は無意味――アルはそう判断した。

 そんなアルの考えを見て取ったのか、ルナはきっぱりと告げた。

「直接の意味はなくとも、街や城の中の者たちは安心できるだろう。大切なのは、奴を倒すことだけではない。少しでも被害を抑え、住民たちに不安を感じさせないのも重要だ」

 その時、二人の耳にローラの声が耳に入ってきた。

「魔王様、ルナ様! ガッデス大将がお戻りになりましたでござりまする!」

 ローラの意外な言葉に、アルとルナは互いの顔を見合わせる。

「ルナ、お前……ガッデスに戻るよう伝えたのか?」

「いいや、父上には現状を報告する書状を送っただけだ。たしか今は軍のほうも騒がしいはずだが……」

 二人は理由のわからないガッデスの帰還を訝しがりつつも、とりあえず会いに行くことにした。


「魔王様の警護、このガッデスにお任せ願いませぬか!」

 ガッデスは謁見の間で、アルに申し入れる。その発言に、アルとルナは眉をひそめた。

 私室を使わず、わざわざ正式な手続きを踏んで会うことを望んだガッデスが、挨拶も早々に放った一言だからだ。

「ガッデス大将、あなたには魔王軍を指揮するという大切な役目があるはずです。聞けば、魔王軍は人間との戦いで相当な痛手を受けたそうですが……それを放り出して、どうして戻ってこられたのです?」

 ルナは、今のガッデスの行動がまるでわからない。

 何より自分の役割と魔族全体のことを考える父親の――普段とは、あまりにもかけ離れた姿に戸惑っていた。。

 しかし、ルナの言葉に対し、ガッデスは頭を下げたまま何も言わない。

「理由は聞くな――ってことか?」

「必要であるなら、魔王軍指揮の任を解いていただいてもかまいませぬ」

 ガッデスが決心に満ちた顔でアルを見る。

 しばらくその表情を見つめるアルだが、相手の視線に負け、ため息をついてしまう。

「今の俺には、お前以外の適任者なんて見つけられない。魔王軍をこれまで通りに率い、魔族の領地を守ること。そこが崩れないなら、護衛も任せるよ」

「はっ! このガッデス、どちらの任も完璧に遂行してみせましょう」

 ガッデスは立ち上がり、胸を張って目の前の魔王に誓いを立てた。

 だがルナは二人のやりとりに納得がいかない。

「お待ちください! 軍の指揮をしながら、魔王様の護衛をする? そんなことできるわけがありません!! 前線に戻ってください、父上!!」

 ルナは胸に浮かぶ不安を口にした。

 だが、それはすぐに杞憂へと変わる――彼女の眼が、別の危機を察知したからだ。

「どうして……貴様がここにいる!!」

 ルナの叫び声に、アルとガッデスは視線を移す。謁見の間――その入口。

「下をどんなに固めても、上がガラ空きじゃ意味ないわ」

 馬鹿にするように笑った女――アムラエルはすぐに剣を抜いた。

「待て!! ガッデス、早まるな!!」

 アルはすぐにガッデスを止めようとした。だが……。

「私が貴様に引導を渡してくれるわ!!」

 アルが叫んだ時、ガッデスはすでに走り始めていた。

 手に持っていた戦斧を振りかぶる。アムラエルは相手の殺気を読み、瞬時に屈む。

 ガッデスが横に薙いだ斧は、勢いよく空気を斬った。

 ゴウゥゥ!!!

 その轟音がアムラエルを襲うが、一切怯まない。

 今度はアムラエルが剣を抜き、ガッデスの腕を狙う。切っ先は、鎧の隙間――右腕の関節部分を正確に捉える。

 だが、ガッデスが余裕を見せる。

「そんなもの、効きはせん!!」

 アムラエルの剣が突き刺さる――が

 ガキィィン!

 確実にガッデスの体を貫いたはずの剣……だが、その刃は弾かれる。

「何で? どうして刺さらない!」

 予想を裏切る状況に、アムラエルは一瞬慌てる。

 ガッデスはすぐに斧を返し、アムラエルへと反撃する。だが、寸でのところで、彼女は斧を躱した。

「武器はでかけりゃいいってもんじゃないのよ? 覚えておきなさい!」

 ガッデスの攻撃は、アムラエルに当たらない。ヒラリと風に舞う木の葉のように、大斧を避けていた。だが、彼女の刺突も、たとえ鎧の隙間を狙おうとも、一向に刺さることがない。

 アムラエルが四度目の攻撃に失敗した時、彼女は一つの答えを得る。

 答え合わせをするため、アムラエルはもう一度、ガッデスの左肘の関節部へと突きを放った。

「何度やろうと無駄だというに!!」

「ええ、そうでしょうね!!」

 アムラエルは、攻撃が当たる直前で剣を止める。直後、ガッデスの背後へ。さらにガッデスの背中を登り、彼の後頭部に向けて剣を突き立てる。しかし、ガッデスは浅葱色の魔甲で後頭部を硬化させ防御する。

「何度も見せられれば、バカでも気づくわ! あなた、体を硬くしている間は動けないでしょ! さあ、いつまで甲羅の中でうずくまっていられるかしら! 猛り狂え、〈剛力の奇跡〉!! あははははは!!」

 アムラエルの体に、光の文様が浮かび上がる。

 バギィィィンッ!! バギィィィンッ!! バギィィィンッ!!

 ガッデスに打ち付けられる剣撃の音が増大する。アムラエルの放つ一撃は、先ほどよりも遥かに重いものとなったからだ。

 〈奇跡〉とは、人間が魔族に対抗するために編み出した技術。世界を満たす神の力を体内に取り込むことで、人の身では体現できない現象を発揮できるようになる。〈剛力の奇跡〉により、アムラエルの膂力は数十倍に引き上げられる。

 ガッデスの魔甲は、彼女の攻撃に耐えていた。だが次第にかけ始め、わずかな亀裂が入る。

 それを見て、アムラエルの表情はニタリと歪む。

 その姿を見て、アルは頭が空っぽになってしまう。自分の知るアムとは、似ても似つかない――怒りと憎しみに満ちた顔に恐怖さえ覚えた。

 刃こそ通らないものの、魔甲を使い続けるガッデスは確実に消耗していた。

 ガッデスの魔甲は、魔族の中でも屈指の硬度を持つ。しかし、それゆえに魔力の消費は激しく、長時間の使用には向いていない。

「アムラエルゥゥ!!」

 ドン!! ゴウウウゥゥゥゥ!!

 アルの大声が響く。脚の魔甲を使って、玉座から一足飛びでアムラエルに飛びかかった。

 だが、それを難なく避け今度は彼女が玉座を背負う形になる。

「ガッデス! アイツは殺すな! 殺さず……捕まえるんだ!」

 アルはガッデスに命令する。

 しかし、ガッデスは小さく首を横に振った。アムラエルを睨み続けながら。

「なぜ、そのようなことを……!! できませぬ! 私はあの人間を許せぬ――許すわけにはいかんのです!」

 そう言うとガッデスがもう一度斧を持ち上げる。

 すると、アルはガッデスの前に立ち、アムラエルに近づくのを阻む。

「どいてくだされ、魔王様! なぜですか? あの娘は人間……勇者なのですぞ!!」

「ダメだ! あの娘を、殺させるわけにはいかない!」

 アルはガッデスの言葉を、強い語気で拒んだ。

 ――クソッ!どうしたら、この場を収められる?

 アルは頭をフル回転させ、現状を打開する方法を探す。

 だが、戦いの場において、それは大きな隙となった。

 アルは背後から遅いかかるアムラエルの気配を察する。

 ガキィィン!

 アルは腕の魔甲で、アムラエルの剣を防ぐ。だが、魔甲の展開が一瞬遅れた。

 その刃はアルの魔甲を破り、わずかに右腕に食い込む。

「背中を向けるなんて、舐めてくれるじゃない! ほーら!! もう少し力を入れれば、バッサリいくわよ! まずは右腕一本!!」

 アルは食い込む剣に左手を添え、何とか押し返そうとする。

 だが、アムラエルは渾身の力を込め、アルの腕を斬り落としにかかった。

「そうは――させぬわぁぁ!!」

 その叫びとともに、ガッデスが勢いよく戦斧をアムラエルに向けて薙ぐ。

 斬撃を見て、アムラエルは後方へと跳ねる。空中でくるりと周り、左膝をつきながら華麗に着地した。

「だから、そんなの当たらないんだってば。魔族ってのは、バカばっかりなの?」

 勝ち誇るように言いながら、アムラエルは視線をガッデスに向けた。

 その瞬間、彼女は目を疑う。

 目の前に巨大な斧が飛んできたからだ。

 ガッデスはアムラエルが後方に飛ぶことを予測し、斧を横薙ぎすると同時に、投げ飛ばしていた。

 予想外の状況に驚くアムラエル。それでも、体はすぐさま反応し、今度は左にジャンプする。

「はっ! せっかくの武器――投げたら、意味ないって……」

 アムラエルは見事に身を躱しす――が、着地点に向かいガッデスが全力で駆けてくる。

 だが、アムラエルはすぐに体勢を立て直すと、反撃のために剣を構えた。

「自分から死にに来るなんて……今度こそ串刺しだ!」

「使えば動けぬ……我が力、よくぞ看破した――だが!!」

 全力で走っていたガッデスが、思いきり一歩を踏み込んだ。瞬間、彼の体は勢いそのまま宙に浮く。

「動いてから硬くなれば、どうであろうな!!」

 アムラエルは状況を理解し、避けようとした。

 飛び跳ねようとした瞬間、ガッデスの突進が彼女の左肩に引っかかる

 衝撃で、アムラエルの体は右斜め後方へと吹き飛んだ。

 同時に、ガッデスは壁まで突っ込んでいく。

 見事に破壊された床と壁。土埃が舞う中、ガッデスが立ち上がる。

「通っては嵐の後の如く……これぞ、我が二つ名『剛嵐』の所以よ!」

 そう言うと、ガッデスは歩き出し、投げた斧を拾い上げる。斧を手に、アムラエルへと歩み寄るガッデス。

 だが、それを阻む姿があった。

「絶対に……絶対に、彼女を殺させたりしないぞ」

 アルは震えるように言う。その姿に、ガッデスの表情は険しさを増した。

「私たちを裏切るつもりですか……魔王様!」

ルナの叫びにも似た声が聞こえる。

心臓を掴まれるような気分になるアル。ずっと自分を助けてくれた彼女に、裏切り者と呼ばれるのは、アルにとっても辛いこと。

だが、後ろで倒れる少女のために、引くわけにはいかなかった。

「そこをどいてください! 我らに仇なす者を許すわけにはいきませぬ!!」

 ガッデスが手に持った斧を肩に乗せ、すぐにでも振り下ろせる構えを見せる。

「それは……絶対に断る!」

 アルはガッデスの言葉を拒絶する。同時に、自身の足に腕に魔甲を纏う。

「魔王様……あなたは!」

 ルナはひねり出すように言った。歯を食いしばり、拳を握りしめる。

「我らを裏切り、魔族を裏切り――人間を守ると。では容赦はいりませぬな、魔王様……いや、反逆者ゼクス!」

 ガッデスは構えた斧を、全力で振り下ろした。


 アムラエルは朦朧とした意識の中、周囲を見渡す。

先ほどまで戦っていた大男と魔王が、仲違いをしていた。追い詰められる魔王。

だが、アムラエルは思う。「それは私の仇だ」と。

ぼんやりと霞む視界と意識で、アムラエルは剣を手に取った。

 大男は、魔王に今にもトドメを刺そうとしている。

アムラエルは許せない。魔王を倒すのは自分でなければいけないからだ。

彼女は残ったわずかな力を振り絞り、大男の体に目がけて駆け出す。そして、勢いのまま剣を突き刺そうとした。

 ザシュッ!ポタッポタッ……。

 アムラエルの剣は、相手の腹部を貫き、体の向こう側に切っ先が見えていた。

滴り落ちる血。

 ガッデスは足元に落ちる血を見た時、何が起きたのか理解できなかった。

魔王にトドメを刺そうと打ち下ろした斧の下には、ただ破壊された床だけが見えた。魔王の姿を探し、彼が振り返った時、その腹部には剣が刺さっていた。

 そう剣が深々と刺さっていたのだ――アルフレッドの腹部に。

剣の持ち主――アムラエルは状況が飲み込めず、目をキョロキョロさせていた。

アルは、ガッデスへと飛び込むアムラエルに気づいたのだ。手に剣が握られ、ガッデスに突き刺そうとしていたことも。だから身を挺して間に割り込んだ。

「な……なんで? フフッ、馬鹿な奴! 魔王のクセに、部下を庇うなんて!」

 アムラエルは、うっすらと笑いながら言った。

アルは首を横に振る。

「バカ、だなぁ。いくら剣を振ったって……みんなを守れる人には、なれないぞ。お前、そう言ったじゃないか。みんなを守るんだって……俺みたいにって。俺はダメだったけどさ……お前はまだ、戻れる、はずだ」

 アムラエルは、目の前の男の言葉に頭が真っ白になる。「何を言って……」と呟くが、相手の言葉が示すもの――それは彼女にもわかっていた。

自分が一番憧れていた人との約束。

他人には意味のない話を魔王がどうして知っているのか――彼女にはわからない。

だからこそ、アムラエルは一つの可能性に――目の前の男の正体に思い至る。

「アル兄? 本当にアル兄なの? どうして……なんで! 生きて……いたの?」

「ははっ。また、そう呼んでくれるんだな。嬉しい、よ……アム」

 アムラエルの呟くような言葉に、アルは笑顔で応える。だが、そのままゆっくりと目を閉じていった。いった。頭の中が整理できなまま、アムラエルは叫ぶ。

「ダメだよ! 起きてよ、死んじゃダメ! ねぇ、目を開けて!」

 その様子を茫然として見ているガッデス。駆け寄ってきたのはルナだった。

「父上……どうすればよいのでしょう?」

「そのようなこと、わかるものか。だが命を……救われたのだ、私は! このまま放ってはおけぬ。医者を呼べ、手当てをするぞ。ルナ、お前は事情を知っているのだろう? 後できっちり聞かせてもらうぞ!」

 ガッデスはルナの問いに答えると、自分の服を破り始める。そして、アルの傷口に巻き付け始めた。

アルに声をかけ、呼びかけ続けるアムラエル。

二人の姿を見下ろしてから、ルナは駆け出した。その唇を自ら噛み、血を滲ませんながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る