第9話

「少しは落ち着いたか?」

 アルがシルフィに尋ねる。事後処理を終えたアルは、ようやく城へ戻ってきた。

 先に帰城していたシルフィとは、十日ぶりの再会だ。寝室のベッドの上に、二人は並んで座っていた。

「もう大丈夫でございます。それで……お父様の処遇は?」

 バンバーグは捕らえられ、その身柄は枢密議会の預かりとなっている。

「これまでの貢献もあるから、処刑はされないらしい。ガッデスは彼を助けるために尽力するつもりだ。もちろん、俺もだけど」

「そう……ですか。我が父のために、ありがとうございます」

 そう言って頭を下げるシルフィに対して、アルは手招きをする。

 シルフィはアルに近付き、二人は肩を寄せ合った。

「俺は、君のことをよく知らない……いや、知らなかった。そんな状態で、今の関係を続けるのは、いいことだとは思わないんだ」

 アルは目を伏せながら話す。シルフィの顔を見るのが怖いからだ。

「君にとって、本当の幸せがどこにあるのかは、君自身が決めるべきだ。だから、これからは俺と離れて君自身の……」

 別れの言葉を告げようと、アルが顔を上げる。すると、アルの目の前にシルフィが立っていた――一糸纏わぬ姿で。

「な、なななな何してるんだよ!」

 慌て目を覆うアル。シルフィはゆっくりと言葉を続ける。

「ちゃんと見てくださいませ、まおう様。これがワタクシでございます。魔王の妃ではなく、バンバーグ公爵の娘でもない。ただの一人の女――シルファルファでございます」

 シルフィの言葉に、アルは手をどけて、ゆっくりと彼女を見つめる。

 月の明かりが照らすシルファルファの白い肌は、透き通るように輝いている。それはまるで、真珠のような美しさ……アルは完全に見惚れてしまう。

「ワタクシは、あなた様にお教えできるほど、自分のことを知りません。ですから、まずはここから。ワタクシ自身を見ていただくことから始めたいのです――いかがでしょうか?」

「ああ、すごく……すごく――綺麗だと思う」

 その言葉に、シルフィはこれまで見せたことのない赤ら顔を浮かべる。

「もう何度も、まおう様にはワタクシを見ていただいているはずなのに……こんなにも恥ずかしいものなのですね。きちんと――自分を見せるというのは」

 アルはベッドの上にあったシーツを手に取り、シルフィの体にかける。シルフィは、アルに視線を向け、さらに言葉を重ねる。

「ワタクシは、あなた様にワタクシのことを知っていただきたいのです。許されるのなら、お側にいさせていただけませんか?」

 アルは頬を赤く染めながら、こくんと頷いた。その姿を見て、シルフィはアルに抱きつく。

「あっ」

「え? どうしましたの?」

 アルが急に声を上げたため、シルフィは少し驚いてしまう。

 きょとんとした顔を浮かべるシルフィに、アルは満面の笑みを浮かべて言う。

「シルフィのことを知るなら、いい方法がある」

 アルは自信満々に言った。シルフィは一体何のことかがわからず、キョトンとした顔をする。


 次の日の夕方、食卓の椅子にアルはいつものように座っていた。

 普段と違うのは、その横にシルフィの姿があることだ。

「一緒に食事をするってのは、お互いを知るのに最適だ!」

 アルは、幼い日をずっと孤児院で過ごしてきた。大人数で食卓を囲むことが当たり前であり、そこで育んだ絆は今でも心の支えになっている。

 だからこそ、シルフィとも一緒に食事をすることを提案したのだ。

 アルはニッコリと笑う。シルフィもそれに応じて微笑む。

 しかし、その食卓にはもう一人、不機嫌な顔を浮かべる女性がいた。

「お二人が仲睦まじいのは結構ですが、なぜ私まで?」

 眉間にシワを寄せながら、説明を求めるルナ。

 アルは彼女にも一緒に夕食を食べるように言ったのだ。

「まあいいだろう? 二人は昔からの知り合いらしいし。食事は賑やかなほうが楽しいぞ、きっと」

「たしかにそう言いましたが、あくまで私が覚えているだけであって」

 ルナはため息交じりに言う。だが、その言葉にシルフィが反応した。

「何を言っているのですか? それではまるで、ワタクシが昔のことを忘れているようではありませんか。ルナのことはよく覚えていますよ? そもそも、ワタクシのほうが目上なのですから、当たり前でしょう」

 そう言われて、今度はルナが目を丸くする。

「で、ですが、シルファルファ様。魔王様に嫁がれて以来、何度も顔を合わせておりますが、そんな素振りは見せなかったではありませんか!」

 ルナの言葉を聞いて、シルフィは眉をひそめる。

「ワタクシ、怒っていたのですから当然ですわ。まだきちんと謝っていただいていないのですもの。貴女はすっかり忘れているようですし」

「え、謝る? わ、私が? な、何のことやら」

 シルフィの言っている意味がわからず、挙動不審になるルナ。その様子を見て、シルフィは大きなため息をつく。アルは視線で、シルフィに尋ねた。

「ルナは昔よく、ワタクシの家に遊びに来ていたのです。でも、そのたびにワタクシの持っているものを欲しがって……仕方がないので貸してあげていたのですが、いつの間にか持って帰ってしまっていましたの。彼女はすっかり忘れているみたいですけど」

 それを聞いたルナは、頭の上に手を置く。そして、自分の髪留めに手を触れる。

「それも、わたくしが貸してあげたものですわ」

 シルフィの話を聞いて、彼女も昔のことをハッキリと思い出す。すると顔が一気に真っ赤になった。

「も、ももももも申し訳ありません!」

 ルナが大慌てする様子を見て、アルが大笑いする。

 ルナは内心腹が立ったが、今回ばかりは自分に非があるため何も言えない。

「今さらですわ。それに、ルナはワタクシを助けようとしてくれました。それでもう、許すことにしましたの」

 それを聞いて、ルナは気持ちが楽になる。下げていた頭を上げ、シルフィのほうへと視線を向けた。

「ありがとうございます、シルファルファ様」

「そんな風に呼ばないで。昔のように、シルフィでいいですわ、ルナ」

 シルフィが笑顔でいうと、ルナも微笑みを浮かべた。

 そんなルナとシルフィの姿に、アルも嬉しくなる。

「でも、今回ばかりは貴女に譲る気はありませんわ。それだけは覚えておいて」

 シルフィは一言付け加える。

 だが、ルナは何を意味した言葉なのかがわからない。質問を返そうと口を開くが……。

「はいはーい、皆様! 夕食をお持ちいたしましたでござりまする~!」

 そこにローラが入ってくる。両手と頭にクロッシュを載せた皿を持ち、一つずつアルたちの前に置いていった。

「ローラ、お願いしておいた通りにしたかい?」

「はい、皆様同じものをご用意しましたでござりまする!」

 それを聞いたアルはローラの頭を撫でる。彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「それじゃあ、いただきますか」

 アルのその言葉を合図に、ローラは各自のクロッシュを一つずつ開けていく。

 まず最初に反応したのは、ルナだ。

「ん~~!! くっさ……臭い!!!これは、ナトーか??」

「何度嗅いでも、コイツはたまらないな……」

 ルナに続いて、アルが言う。二人とも、渋い顔を浮かべている。

「ローラ。これはお前の村から持ってきたものか?」

「はい、そうでござりまする。あれ?ルナ様はナトーが苦手でござりましたか?」

 ローラは不思議そうな表情を浮かべる。ルナはずっと、ナトーを避けていた。

 バルナン村の地方官だった頃も、領民から贈られてきたことがあった。しかし、なんやかんやと理由を付けて、部下に渡し、自分では口にしなかった。

「嫌い……というか。この匂いが、もう――というか、このために私を食事に誘ったのですか、魔王様!」

「いや、まさかそこまで嫌がるとは! 意外だったよ、あっはっは」

 アルが笑い、ルナが怒る。

 その脇で、黙々とナトーを食べる者がいた。

「あら、ワタクシは好きですわよ。この香り、とても食欲をそそりますわ。味わいもありますし――メイドの娘、ナトーと言いましたか? ワタクシ、明日も食べたいのですが、まだ残っていますの?」

「はい! まだたくさん残ってござりまする。では、明日もお出しするのでござりまするよ!」

 ローラは嬉しそうに反応する。その状況に、アルとルナが顔を見合わす。

「い、意外だ」

「はい、意外です」

 笑顔を浮かべながら、ナトーを食べるシルフィは、とても幸せそうに見えた。


 南方大陸――人間たちの支配地域であり、かつてアルが暮らしていた場所。その中心となる帝都の東側に、一際大きな教会があった。大聖堂と呼ばれるその場所で、とある人物の葬儀が行われていた。

「どうして……どうしてこんなことに」

 一人の少女が、棺の前で泣いている。真っ直ぐに立ちながら、棺桶を見つめる少女は、グッと拳を握りしめていた。

「許せない。絶対に帰ってくるって……それを、魔族のヤツらは!!」

 涙ながらに訴える少女。その背中を支える神父姿の男は、ハッキリと告げる。

「許す必要などないよ。奴らは我らの敵であり――神の敵でもある。君に与えられた光の恩寵をもって、神に仇なす者共を討ち滅ぼさねばならない」

「はい、先生。命に替えても……魔王は私が殺します、必ず!」

 そう言うと、少女は男から離れ、大聖堂を背にして立ち去っていく。

 その背中を眺めながら、男はニヤリと笑いながら呟いた。

「そうだ、それでいい。お前はそのために育てられたのだ。必ずや、我らが敵を滅ぼしなさい。どうかあの娘に、神の加護があらんことを」

 そういって、男は両手を握り合い、祈る。そして、口の端をゆっくりと上げながら、彼女の名を呼んだ。

「我らに勝利をもたらせ、勇者アムラエルよ!」

 少女の歩く先には、夕日がゆっくりと沈もうとしていた。

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