第8話

「あそこにバンバーグとシルフィが……」

「はい、間違いなくいるはずです」

「では、これより城を攻め落とす。ここからは隠密とはいかん。みな、死力を尽くして戦え!」

 兵たちに気合を入れるガッデス。アルとルナも、互いに視線を合わせ、うなずいた。

 城の周辺には予想以上の兵が配置されていた。

 戦いに勝つことよりも、自分の身を守ることに重きを置いている……バンバーグのそうした考え方を、アルたちはありありと感じていた。

 ギギィィィ……バタン!

「何とか……城に入れたな」

「兵たちが外の連中は抑えております。その間に早くバンバーグを押さえねば」

 城内に侵入できたのは結局、アルとルナ、そしてガッデスの三人だけだ。

「バンバーグ! もう貴様に勝ち目はないぞ! おとなしく投降するのだ!」

 ガッデスが叫ぶ。静かな城の中に、彼の声が谺した。城の中にはわずかな明かりしかなく、薄暗い。

「誰も……いないのか?」

 アルが呟く。ルナとガッデスも、城の中を見回すが、人影は見えない。

 ――予想が外れた? もう逃げた後なのか?

 アルは最悪の状況を考える。

 だが、その時だ。

「いらっしゃいませ、おじ様」

 女の声が聞こえる。

 目を凝らすと、正面からシルファルファが現れた。ゆらゆらと、足取りが不確かで、まるで幽霊のように。

「シルフィ!」

「え? あら、まおう様。ごきげんうるわしゅう……まさか、あなた様までいらっしゃるとは思いませんでしたわ」

 そう言うと、シルフィは立ち止まり、ニッコリと笑った。

「せっかくでございます。ワタクシのお願い、今度はちゃんと聞いてくださいね?」

 シルフィの腕が純白の魔甲で覆われる。アルたちも、すぐに臨戦態勢へ。

「来るぞ!」

 アルが叫ぶと同時に、シルフィがアルに向かって飛びかかる。拳の威力は相変わらずで、城の床を軽々と砕いた。アルたちは彼女の攻撃を飛んで避ける。

「また、逃げるのですね、まおう様。でも今度は絶対に、逃がしませんわ」

 そういうと、シルフィは再びアルへと向かって走る。アルはシルフィの拳を紙一重で避けながら、何とか距離を取ろうとするが、なかなか離れられない。

「シルファルファ! お前はこのようなことをする娘ではなかったであろう!」

 ガッデスが、シルフィを後ろから羽交い絞めにした。突然のことで、一瞬驚いた顔をするシルフィ。

 しかし、すぐに振り返り、ガッデスを睨みつける。

「おじ様? ワタクシの邪魔をしないでくださいませ! お父様を裏切った――裏切り者のクセに!!!」

 その言葉と、これまで見たこともないシルフィの剣幕に、動揺してしまうガッデス。

 その隙をついて、彼の腕からシルフィは強引に抜け出す。さらに、そこから振り向きざまに、ガッデスの腹へと拳をぶつけた。

 ゴーーン……ドガーーン!

 壁に打ち付けられるガッデス。深手は追っていないが、胸の腹を抑えつつ呻いている。

「シルフィ……君は!」

「さあ、ワタクシのために、死んでくださいませ!」

 アルの呼びかけに反応する様子もなく、再び彼に襲いかかるシルフィ。

 その巨大な白い拳が、アルへと売り降ろされる。

「シルフィーー!」

 ガキィィン!!

 シルフィの右側面に回り込んだルナが、翼剣で相手の右腕を弾いた。

「王妃様、気を強く持ってください! どうしてあなたが、魔王様を殺そうとするのですか?」

「うるさい……うるさいですわね。また、あなたはワタクシの、ワタシの……ルーーナーー!!!」

 シルフィは、右腕にぶつけられたルナの翼を、左手で強引に握る。続けて左腕をそのまま上方へと振り抜いて、ルナを投げ飛ばした。

 ドガッ!! ズザザザザァァァ!!

 天井にぶつかったルナは、そのまま上の階の廊下に落ちる。

「けほっ……シルフィ……それだけは、ダメ」

 小さく血を吐くと、ルナはそのまま気を失ってしまった

 アルは一瞬ルナのほうを見るが、すぐに視線をシルフィへと戻した。

 すでにシルフィは眼前にまで迫っていた。駆け込んできた勢いそのままに、シルフィはアルの体を押し倒すと、そのまま馬乗りになる。

「グウッ!」

 思わず声が漏れる。アルの苦しそうな表情を見て、シルフィが申し訳なさそうに言う。

「失礼しました、まおう様。苦しかったでしょうか? しばらくのご辛抱を。すぐに楽にして差し上げますわ」

 シルフィはすぐさま、自分の両腕を頭の上に構えた。

「……これが、君の望みなんだな?」

「そうでございますわ、まおう様」

 最後の問いを投げかけたアルは、シルフィの答えを聞き――覚悟を決めた。

 ピキィ……パキン!

 アルは脚の魔甲を解く。両手を広げ、シルフィにその身を差し出した。

「……何の、おつもりですか?」

「俺は、ずっと君のことがわからなかった。何にも教えてくれなかったし。愛してるって言ってくれて……それが本心なのは疑ってない。けど、今の君は、それより大事なんだろう? お父さんのこと守りたいっ気持ち。その望みに、俺は応えたい」

 本心だった。

 孤児であるアルにとって、親を想う気持ちを本当に知ることはできない。けれど、それが尊いものだと信じている。

 彼が勇者として、命がけて守りたいと願ったものの一つだからだ。

 シルフィの顔が歪む。眉間にシワが寄り、唇を噛んでしまう。

「ワタクシの望み……」

「そうだ。君が俺の死を望むなら、それを引き受ける」

 ――どうせ、死んでてもおかしくない命だったしな。

 アルは瞳を閉じて、体から全ての力を抜いた。

 同時にシルフィは思い出す。自分のことを知りたいと言った魔王の顔を。

 自分のことを教えてほしいと言われた時、彼女は答えなかった……いや、答えられなかった。彼女は、自分が何者なのかなど考えたことがなかったからだ。

「ワタクシが、望むもの……まおう様の、死が?」

 シルフィの頭に、再びアルとの記憶が蘇る。「愛して、愛されて――そうやって肌を重ねないといけないんだ」と、言ってくれたこと。優しく抱きしめてくれた彼の腕の中……それがとても心休まるものだったこと。

「う、うわぁぁぁぁぁ!!!」

 錯乱して叫び出すシルフィ。そして振り上げた拳を、アルに向けて振り下ろした。

 トンッ……。

 シルフィの白く、小さな手がアルの胸を叩く。

「ちがう……違いますわ。どうしてワタクシが、まおう様を……? こんなの、ワタクシの望みではありませんわ!」

 魔甲はすでに解かれていた。シルフィは涙を流しながら、アルの胸に顔をうずめる。

「あんなにも温かいのに……ワタクシのことを知りたいとおっしゃってくださったのに! それを、自分の手で壊そうだなんて。ワタクシはただ、幸せになりたいだけでしたのに」

「大丈夫さ……幸せになるなんて、そんなに難しいことじゃないよ」

 アルは倒れた上体を起こし、シルフィの頭を抱える。

「でも……でも、ワタクシには何もないのです。誰かから、愛を注いでもらわないと……だからお父様に従って、あなた様に嫁いで。でも、人から愛される方法なんてわからない。一人では夜も眠れないのに! だから、だから!」

「そうか……それが君の、本当の君なんだな」

 アルはそういうと、シルフィを思いきり抱きしめる。

 シルフィもまた、アルの体にしがみつく。

 抱きしめられながら、少しずつ呼吸を整えることで、シルフィはようやく落ち着きを取り戻した。

「まおう様、本当に申し訳ありません。ワタクシ、あなた様を傷つけて……そうですわ! おじ様とルナ、二人は無事ですの!」

 正気に戻った彼女は、自分がしたことを思い出す。

 周りを見渡し、ルナとガッデスを探した。すると、シルフィの後ろから、ガッデスが歩み寄ってきた。

「ようやく元に戻ったのだな。私のことなら心配はいらん。伊達に鍛えてはおらんさ。娘もあの程度で死んでしまうほど、ヤワにはできとらんよ」

「父上……無茶を言わないで、ください」

 二階から、ルナがガッデスに反論した。

 その声を聞いて、シルフィは立ち上がる。

 二階に上がる階段へと近づくが、そこに別の人影があることに気づく。

「また……お前は役目を果たしもせず――父の言うことが聞けないのか! この、役立たずが!」

「お……お父様!!」

 バンバーグの怒鳴り声に、シルフィは後ずさる。

 その様子を見て、バンバーグが彼女に呼びかける。今度は温かみのある声で。

「おお、私の可愛いシルフィ。お前は、お前だけは私を裏切らないだろう? ずっと、愛してきたのだ。誰よりも、お前を愛しているのは、父であるこの私だ。だから、魔王へも嫁がせてやった。お前の幸せは、全部私が用意してやった」

「バンバーグ……自分の娘を何だと! シルフィは貴様の所有物ではないぞ!」

 同じ娘を持つ親として――そしてかつての戦友として、ガッデスは怒りで声を上げる。

 しかし、バンバーグは彼の言葉など意に介さない。

 シルフィは、父親の言葉に彼へと歩み寄ろうとする。だが、アルは彼女を引き留める。

「ダメだ。そっちに行っちゃいけない! シルフィ、君は誰かの持ち物なんかじゃないんだ!」

「ですが……!」

 シルフィはためらいを見せる。

「それなのに……それなのに!」

 バンバーグの表情がみるみるうちに、怒りと憎しみに彩られていく。

「お前は、魔王との子を作れなかった! そればかりか、私の言いつけも守れず、魔王を殺し損ねた! おかげで、私は、私は……全てを失ったのだぞ! お前には、私しかいないのに。お前を愛してやれるのは、私だけなのに!」

 シルフィは怯えた――これまで見たことのないほど、恐ろしい顔を浮かべた父親の姿に。

 彼女の震えを感じ、アルは怒りのまま、バンバーグに向かって足を進めようとする。

 が、シルフィが止めた。アルの顔を見つめた後、今度は父親を真っ直ぐに視線を向ける。

「お父様。お父様は本当に……誰よりもワタクシを愛してくれました。木漏れ日の下で、お父様を追いかけいた日々を。宵闇が怖いと泣いたワタクシのために、一緒に眠ってくれたお父様の優しさを。ワタクシは一度たりとも忘れたことはございません」

「おお、シルフィ……我が愛しの娘」

 シルフィの言葉に、バンバーグは彼女に歩み寄ろうとする。しかし、シルフィは言葉を続けた。

「でも、ワタクシにはもう、お父様の愛は……不要です! もう、ワタクシは空っぽのままではいたくない! だから選びます。ワタクシはまおう様の隣にいることを。この方からの愛を」

 シルフィはアルに寄りかかるのを止め、一人で真っ直ぐに立っていた。

「この方から愛されたいと――選んだのです、ワタシ自身が!!」

「シル、フィ……お前まで、私を? シルフィーー!」

 激昂したバンバーグは叫び声と共に、両腕を紫色の魔甲で覆う。そして全速力でシルフィに向かって走り出した。

 彼女は自分の父親から目を外らさず、立つ。

 バッガァァーーーン!!

 バンバーグは憎々しい表情を浮かべる。その拳をガッデスによって防がれたからだ。

 ガッデスの鎧には大穴が空いた――だが、ダメージはない。

 浅葱色の魔甲によって、全身を硬化させているからだ。

「バンバーグよぉ、鈍ったもんだな。かつては『破岩』の異名を取った貴様が! その程度の器で――魔王になろうなどと、片腹痛いわぁぁ!!」

「うるさい! このボンクラがぁぁ!!!」

 バンバーグがガッデスに二撃目を入れようとした時、その背後から飛び出す影が見えた。

 アルがガッデスの背中を蹴って、上方へと跳ねた。

「いい加減にしろよ……この――クソ親父がぁぁ!!」

 拳を振り抜くアル。瞬間、その拳は純白の結晶で覆われた。

 バッゴーーン!!

 アルの一撃が、バンバーグに直撃する。その瞬間、彼の体を吹き飛ばされ、壁に激突。

 殴った衝撃で、アル自身も後ろに飛んでしまう。思いきり尻餅をつき「いってーー!!」と叫ぶ。

 シルフィは慌てて、アルの元へと駆け寄った。すると、アルは彼女に手を差し出した。

「君の分も殴っといたぞ、シルフィ」

「ありがとう――ございます!」

 シルフィはアルの手を掴み、体を引き揚げる。彼女は少し涙を浮かべながら、微笑んでみせた。

 バンバーグ公爵の敗北の知らせにより、魔族同士の内戦は終わりを告げる。

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