第6話

 ガッデスの弾劾決議を行うはずだった枢密議会――だが、今の話題は全く別のものに変わっていた。

 魔王が何ものかの襲撃を受けた噂によって紛糾した会議。

 それは今、バンバーグ公爵の独擅場だった。

「昨晩、この城に不届き者が侵入し、魔王様が襲撃を受けたという噂はお聞き及びであろう。だが、それは間違いなのです! 真実は別にある!!」

 拳を振り、まるで世界の中止が自分であるかのように振る舞うバンバーグ。

 さらに鼻息を荒くし、力強く言い放つ。 

「魔王様が殺害されたのです。それも脱走したガッデス大将の手によって!」

 その言葉に、ルナは猛然と反論する。

「バカバカしい! 何の根拠があって、父が犯人などと……」

「お忘れか!! 我が娘シルファルファは、魔王様の妃であった! 魔王様が殺害された時、娘はガッデスの魔の手から、命カラガラ逃げ出してきたのだ!」

 公爵のこの言葉が決め手となり、その場にいた者たちのほとんどが――バンバーグに反感を抱く議員も含め、一気に彼を信用する流れになる。

「魔王様が会議に現れないのがよい証拠ではないか。よもや、娘のあなたまで、片棒を担いでいたのでは……」

「私が魔王様を裏切ったと? いくら公爵閣下でも、言ってよいことと悪いことがあるでしょう!」

 フフンっと、鼻で笑うバンバーグ。

「そうですな。推測でものを言うべきではない。だが、魔王様不在は事実でしょう? その理由は一体?」

「……襲撃を受けたのは事実です。その際にお怪我を負われて、今はお休みに」

「では、面会を。私が会えば、ご無事である証明になりましょう」

 ルナは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「医者から、安静にするようにと……今は、面会などできません」

「そのような言い訳で、隠し通せると思うとは! ずいぶんと我々を甘く見たものだ!!」

 ここに来て、黙っていた他の議員たちも、本格的に発言を始める。

「魔王様がおられないとなれば、一体どうすれば」

「次期魔王を決めなければならないな、となれば誰が……」

「ガッデス大将が犯人だとすれば、娘である宰相殿も、やはり一枚噛んでいる可能性が」

 ルナに対して、議員たちの視線が向かう。ルナはその圧力に一歩後ろに下がってしまった。

 それを見て、バンバーグがさらに責める。

「そもそも、この城の地下牢は、たとえガッデス大将の力があろうと破れぬはず。ならば、当然脱走を手引きした者がいるのであろう。それが……宰相殿ではないですかな?」

「私は、そのようなことしておりません!!」

 議員からの追及に反論するルナ。だが、その言葉に、もはや説得力はない。

「まあいいでしょう。それよりも皆さん。魔王の座を空席にしておくわけにはいきません。こう致しませんか、暫定という形で、新しい魔王を決めるというのは」

 バンバーグがそう言うと、ルナの表情は凍りつく。

「な、何を馬鹿なことを!!」

「魔王不在では、何事も進みません。そうは思いませんか、皆さん?」

 ルナの言葉を無視し、バンバーグは話を進める。議員の一人が手を挙げた。

「私はバンバーグ殿が、魔王に相応しいかと」

 それに呼応し、一人また一人と賛同者が手を挙げる。初めは苦い顔をしていた議員もいたが、結局は大局に流される形で、バンバーグを魔王に推す。

 ついに、最期の一人が手を挙げようとした。その時――。

「そういう魂胆だったのだな、バンバーグよ!」

 議場の大テーブルの上に飛び降りてくる影があった。ガッデスである。

「が、がががががが、ガッデス……」

「私は、ずっとお主を信じておったのだがな。昔馴染みなのだから、魔族の未来を語り合った仲なのだから、と……過去の思い出に目を曇らせていたとは――我ながら情けない!!」

 怒りと寂しさが混じったガッデスの表情とは逆に、公爵は笑ってみせる。

「魔王様を弑逆した大罪人だ! 衛兵よ、この男を殺せ!」

 バンバーグが叫ぶと、ガッデスの表情は完全に怒りへと染まる。

 その時、会議室の奥。大扉の向こうから声が響いた。

「その必要はないぞ……生きてるからな、俺は」

 扉が開き、そこから現れたのは、額に包帯を巻いたアルだ。

「え、ええ? そんな、何で生きて……」

 バンバーグは間の抜けたような声を上げた。ルナのほうへと視線を向ける。

「私は一言も、魔王様が死んだとは言っておりません。あなたが勝手に勘違いなされたのです、バンバーグ公。最初から言っていたではありませんか、ケガをされただけだ、と」

 アルはゆっくりと歩いて自分の席へと向かう。その途中、ルナの隣まで来るといったん立ち止まった。

 そして、彼女の耳元で囁く。

「なかなかいい演技だったぜ」

「こういうことは、二度とさせないでくれ」

 アルは自分の席に座ると、腕を組んだ。ニヤニヤと笑いながらバンバーグを眺める。

「さて、俺はこうして生きているわけだが――お前はどうして『ガッデスが俺を殺した』、なんて言ったんだ?」

「そ、それは噂になっていたのですよ。魔王様が亡くなったと……いや、生きていらっしゃったなら、家臣として胸を撫で下ろすばかりで……」

 バンバーグはそれまでの態度をすぐに改める。まるでさっきまでの議論がなかったかのように振る舞う姿に、ガッデスは怒りを露わにする。

「まだ、我らを謀ろうというのか、バンバーグ! 貴様も人の上に立つ者ならば、自らの悪行を……」

「まあまあ、落ち着いてくれガッデス」

「何事も、頭ごなしに否定していては議論になりませんよ、父上」

 アルとルナの言葉を聞き、ガッデスは胸に溜まった息を思いきり吐き出す。続いて、テーブルの上で胡坐を組んだ。

 バンバーグは、ほっと息を吐き、安堵の表情を浮かべる。しかし、そこにルナが言葉を重ねた。

「ただ、バンバーグ様の答えは的外れです。こちらが聞きたいのは――どうしてガッデス大将を犯人だと言ったのか、です」

「ガッデスは牢から出てないぞ。昨日はずっと地下牢の中にいた。だから、脱走の話が噂になるはずないんだよ」

 バンバーグは目を丸くする。続いて、ガッデスの顔を見る。

 そこにあったのは、まるで捨てられた子犬を見るような――憐みの表情を浮かべる男の姿だった。

 アルは、議場にいる全員に話しかける。

「たしかに、牢の鍵が盗まれ、ガッデスの手にあった。脱走を手引きしようとしたヤツがいるんだろう」

「しかしながら、それをどうして、バンバーグ様が知っておられるのですか?」

 続いて、ルナが問う。全員の視線が彼へと向けられた。必死で言い訳を考えるが……。

「わ、私なのだ。わわわ、私しかいないのだ……そうだ、私だけなのだ!! そうであろう!!」

 議場を見回しながら、必死に腕を振り、、虚勢を張るバンバーグ。

「馬鹿な真似はするなよ、バンバーグ! 自分の罪を認めるのだ!」

 様子がおかしいことに気づき、ガッデスが彼を掴もうとする。

 しかし、その手はバンバーグによって払いのけられてしまう。

「触るな、この力バカが! 貴様なんぞが、この私を見下すなど許されるものか! 私なのだ! 魔王に相応しいのは!! そこの小僧や貴様のような馬鹿じゃあない……血筋も財も知性も、全てを備えた私こそが魔王になるべきなのだ!」

 その言葉に、議場の全員が黙ってしまう。訪れた静寂の中で、バンバーグは自分に向けられる視線の意味を悟る。

 憐憫――彼にとって、それはあまりにも耐え難いものだった。

「ちがう……違う! そうじゃあない! 私は、わたしが欲しいのは!! うわぁぁぁぁぁぁ!」

 叫び声を上げ、足をもつれさせながら、議場を逃げ出すバンバーグ。

「待て、バンバーグ! 貴様、それでも……」

「追わなくていいぞ。それよりも、まずはお前の免職決議を取ろう、ガッデス」

 アルの言葉通り、すぐに議決が行われた。そして、全会一致によって、ガッデスの免職は否決される。


 猛スピードで道をかける馬車。

 外は雨が降り、雷までも鳴り響いている。

 その暗闇を切り裂くように走る馬車が一台。揺れる車の中で、バンバーグは体を震わせていた。

「こんな、こんなはずじゃない。私が、こんな、惨めな……」

 一人事をブツブツと呟く。それを見守る女性が一人、向かいに座っていた。

「お前の、お前のせいだぞ! なぜきちんと殺さなかったのだ、シルフィ!」

「ごめんなさい、お父様。ワタクシは、ダメな娘ですわ。どうか捨ててくださいませ」

 虚ろな瞳で言葉を発するシルフィ。今度は、その言葉を聞いたバンバーグが悲しそうな顔をする。

「違うぞ、そうじゃないんだ。すまない、すまないなシルフィ。厳しいことを言ってしまった。もう、私にはお前だけだ。お前は私の宝物だぞ、シルファルファ」

 そういって、シルフィを抱きしめるバンバーグ。

「ありがとうございます、お父様」

 シルフィは力なく、そう答えるだけであった。そして、馬車はただひたすら、南へと下っていく。


 ガッデスの免職を否決した後も、議会は紛糾し続けた。その内容はもちろん、バンバーグの処遇についてだ。

 数時間にも及ぶ議論ののち、結局領地を召し上げる以上のことは決まらなかった。

 議論が終わった後、アルとルナ、ガッデスの三人は魔王の私室に集まっていた。

「何とか乗り切りましたな。あそこでさらに開き直られていれば、こちらもお手上げでしたが……」

「王妃様の話は隠そうと決めましたからね。父上の睨みがよほど効いたのではありませんか? まぁ、あれを見れば、バンバーグでなくても逃げ出しますよ」

「たしかに。あれは怖かったぞ!」

 アルたちにとって、議会でのやりとりは賭けであった。

 シルフィが魔王の命を狙ったことを公表すれば、それだけでバンバーグを失脚させることはできた。しかし、同時にシルフィの命もない……アルがこれに強く反対した。

「わざわざ芝居を打ってまで……魔王様は随分と王妃様を寵愛されていますね」

 ルナが皮肉めいて言う。アルはその言葉に対し、不機嫌に言い返す。

「お前は、シルフィが自分の意志で俺を殺そうとしてたと?」

「そうは……思いませんが」

 襲撃時、シルフィは明らかに混乱していた。アルを殺すことをためらい、涙を流した彼女の姿が、アルとルナの頭から離れなかった。

 二人のやりとりを見て、ガッデスが不思議そうな顔をする。

「お二人は随分と仲が良さそうですな。以前はそのような素振り、全く見せませんでしたが」

 アルとルナは、表情が固まる。

「王妃様への心遣いと言い、私のことと言い――魔王様は随分とお変わりになった。いや、悪いと言っているのではありませぬ。むしろ好ましいことかと」

「そう……かな? まぁ、記憶がないから何とも言えないけど」

「自らの変化など、自覚できるものではないでしょうな。ですが、これだけは言えます。今の魔王様は、以前とは全く別人のようです」

 ルナはガッデスの言葉にギョッとする。もしアルの正体がバレれば、ここまでの努力も水の泡だからだ。

 それは、アルにとっても同じである。

「まぁ、以前のことが思い出せるなら、それに越したことはありませんが――ご記憶が戻らなくとも、我らはあなたの臣でございます。がっはっは!」

 その言葉に、アルとルナは顔を見合わせ、はぁっと息を吐く。

 その時、部屋の扉が勢いよく開かれた。

 入ってきたのはローラだ。息を切らせているのは、ここまで全力で走ってきたからである。

「た、たたたたたた大変でござりまする!」

「どうしたローラ、そんなに慌てて」

「こ、これを」

 ローラは握っていた書状をルナに渡す。ルナはそれを黙読すると、一気に顔色を変えた。

「どうしたのだ、ルミナリア。それは……バンバーグからの書状か?」

 書状についた印章を見て、ガッデスはルナから書状を取り上げる。

「第十六代バンバーグ家当主、オルダム=バンバーグは、現魔王の廃位を求める。これが認められない場合は……」

 ガッデスは手に持っていた書状を握りつぶす。体を震わせながら、アルへと視線を移し、最後の一文を口にする。

「実力を持って……魔王を打ち倒すものとする」

 アルは、その言葉の意味するところを理解し、息を飲む。ローラは、青ざめたルナに不安そうに声をかけた。

「ルナ様……」

「魔族が……割れる」

 ルナは、魔族全体を揺るがす事件の予感を覚えた。

 中身の入れ替わった魔王を守ってまで、彼女が避けたかったもの――魔族同士の内乱の火種が生まれてしまったのだ。

 だが、アルはルナとは全く違うことを考えていた。

 ――それじゃあ、シルフィはどうなる?

 アルは、バンバーグが反旗を翻したことで、シルフィを救う機会が失われることを危惧した。

 部屋にいた四人は、そのまま押し黙ってしまう。

 不安に胸を揺らすアルたちを照らすはずの月は、厚い雲に隠れたまま――豪雨と雷の音だけ響いていた。

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